第二部
2.内務班
起床ラッパで起こされた。 寝ぼけ 皆、目をこすりながら慌てて起きた。毛布を決められた通りに畳んで、当番の者は 慶子たちの案内で学校の裏を流れている小川まで行き、歯を磨いて顔を洗う。寝ぼけていた千恵子は澄江に引っ張られ、足の速い晴美の後に従って行動した。お陰で、点呼のラッパが鳴る前に教室に戻って来られ、余裕で中庭の点呼場に行く事ができた。 点呼場に整列していると金城先生と班長の米田軍曹が現れた。 米田軍曹の「番号!」の号令で、端から、いち、にー、さんと唱えたが、声が小さいともう一度やらされた。 モタモタしていて点呼に遅れた者が六人いた。蚊帳を畳んでいた六人だった。米田軍曹は遅れた六人を皆よりも前に並ばせた。ビンタが飛ぶに違いないと皆、冷や冷やしながら成り行きを見守った。 米田軍曹は後ろ手を組んで、六人の前を行き来していたが足を止めると、「 初江は見事に答えた。千恵子も頭の中で言ってみたけど、一つ思い出せなかった。遅れなくてよかったと胸を撫で下ろした。 「よし、下がってよし」 次の妙子は途中でつかえてしまい、後が続かず、泣き出してしまった。 「泣くな。泣いても何も解決はせん」 次の幸江と恭子は覚えていた。聡子も途中でつかえ、トヨ子は言えた。 泣いている妙子と聡子をそのままに、米田軍曹は全員に大声で軍人勅諭を唱えさせた。妙子と聡子を列に戻らせると、「右向け右、前へ進め!」と号令を掛け、 千恵子たちは足並みを揃えて歌いながら米田軍曹の回りをグルグル回った。回りを見ても、こんな事をやっているのは第四班だけだった。歌うのは好きだけど、罰を受けているようで悲しく思えた。 「声が小さい」と米田軍曹は怒鳴った。負けるものかと、皆、大声を出して歌った。 『愛国行進曲』が終わっても、止まれの号令はなく、次に『婦人従軍歌』を歌わされた。軍歌演習は三十分位続いて、ようやく解放された。内務班に戻る時も隊列を組んだまま足並みを揃えた。 「アキサミヨー(沖縄方言、驚いた時、思わず口から出る)」と先頭の由美が内務班の入口で叫んだ。 「なにこれ、ひどいわ。一体、誰がこんな事をしたの」と由美の隣で志津が言った。 「どうしたのよ」と後ろの者たちが部屋の中になだれ込んだ。 部屋の中はメチャクチャになっていた。蚊帳は広げられ、部屋の隅に畳んだ毛布は全部崩され、みんなの荷物が散乱していた。そして、黒板に『整理整頓』と大きく書かれてあった。 「これが軍隊なのよ」と晴美が言った。「あたしたちが甘えていたのかもしれないわ。覚悟を決めてやるしかないわね」 「そうよ」とトヨ子がうなづいた。「こんな事で負けるもんですか。あたしたちは二高女の生徒なのよ。軍隊なんか見返してやりましょ」 「米田軍曹なんて何よ。負けないわよ、あたし」さっき、軍人勅諭が言えなくて泣きべそをかいていた聡子も言った。 毛布を畳み直していると金城先生が来て、「当番の者は早く 「澄ちゃん、ごめん、あたしのもお願い」と和美が当番の者たちと一緒に部屋から出て行った。 千恵子と澄江は和美の毛布を直し、予備の毛布も畳み直した。 「使ってもいない毛布まで崩す事ないのに」と澄江は愚痴を言った。 「そうよね」と千恵子も 「でも、毎朝、こんな事されたんじゃたまらないわね」 「ほんとよ、まったく」 「ねえ、みんな、聞いて」と由紀子がどこに行っていたのか、部屋に入って来て言った。 「ここだけじゃないのよ。第一班から第六班まで全部、メチャクチャにやられてるのよ」 「ほんとなの」と皆が由紀子の回りに集まった。 「ほんとよ。それに、軍歌演習をやらされたのはあたしたちだけだったけど、どの班も遅れて来た人が何人かいたらしいわ」 「そうだったの」 「ねえ、由紀、一々、そんな事聞いて回ってたの」と初江が聞いた。 「そうよ。だって、他の班に負けられないじゃない。特に積徳高女にはね」 「そうよ。負けられないわよ」と晴美も言う。「明日はちゃんとやりましょ」 食事当番が二人づつ組んで棒を担ぎ、 当番の六人はお互いの顔を見合わせた。 「ケーコ、行って来てよ」と和美が言った。 「お願い、ケーコ、行ってよ」と美紀も言う。 慶子はうなづいて、お盆に食器を乗せて部屋から出て行った。 「よし、 先生が出て行くと、各自、食器を持って板の間に座り込んだ。あまりおいしそうではなかったけど、朝っぱらから大声で軍歌を歌わされたので、おなかはすいていた。 慶子がお盆を持ったまま戻って来た。 「あれ、どうしたの」と和美が不思議そうな顔をした。 「米田軍曹、食べないんだって」 慶子は困ったような顔をしてお盆を机の上に置いた。 「ねえ、何があったのよ」 慶子は皆に説明した。米田軍曹がいる下士官集会所の入口には毛布が垂れ下がっていて中が見えなかった。両手がふさがっているので慶子は外から声を掛けた。 「あのう、班長さんのご飯を持って参りました」そう言うと、「貴様は何か」と怒鳴られた。 突然、怒鳴られて、どぎまぎしていると、「ここには女はいない」と米田軍曹は言った。 「ここは軍隊だ。軍隊には軍隊の言葉がある。もう一度、言い直せ」 「はい。でも、どう言ったらいいのでしょうか」 「第四内務班の誰々以下何名、米田軍曹殿に飯を持って参りました。そう言え」 「第四内務班の真玉橋慶子、米田軍曹殿に飯を持って参りました」 慶子はビクビクしながらもやり直した。よし、入れと言ってくれると思ったのに、「他の班より、わしの飯が遅くなった。食わん」と言った。 どうしたらいいのかわからず、立ったままでいると、「とにかく食わんから持って帰れ」と怒鳴った。 慶子は仕方なく帰って来たという。 「ケーコ、まずいわよ、それ」と小百合が言った。 「間違いなく、ビンタよ」と和美が言って身震いした。 「それより早く食べましょうよ」とトヨ子がご飯を持ったまま言った。「早く食べないと、朝飯抜きにされちゃうわよ」 「そうよ、食べない人に無理にやる事ないわよ」と晴美は食べ始めた。 千恵子も先の事を心配しても仕方がないと思って、ご飯を食べた。慶子は今にも泣きそうな顔して食事も進まないようだった。そんな事おかまいなしに、トヨ子と晴美はお代わりをしていた。皆が食べ終わった頃、米田軍曹が鬼のような顔をしてやって来た。 「整列!」と怒鳴ると仁王立ちした。 皆は慌てて二列横隊に並んだ。 「貴様たちはそういう考えか。俺は軍曹なんだぞ。班長の中で階級が一番上なんだ。だから、飯は一番先に持って来い。前列、両足を開いて歯を食いしばれ」 そう言ったかと思うと、端からビンタが飛んだ。次に後列の者たちが前に出され、全員が殴られた。 「よし、解散」と言って、米田軍曹は出て行った。 しばらく、皆は打たれた 「みんな、ごめんなさい。あたしのために」と慶子が泣きながら謝っていた。 「いいのよ。誰が行ったって同じだったんだから」とトヨ子が言った。 「そうよ。それより、あんな事で殴るなんて許せないわ」と小百合は強きだった。 「もう、やだ。早く、おうちに帰りたい」と泣き声で言っている子もいた。 「ケーコ、早く、食罐を返した方がいいわ」和美が当番たちを促した。 皆で食器を集めて食罐に入れ、当番の者たちはそれを持って小川まで行き、残りの者たちは部屋の掃除を始めた。 「ねえ」と千恵子は床を拭きながら、晴美に声を掛けた。 「なあに」 「晴美、お昼から飯上げの当番でしょ。大丈夫なの」 「何が」と晴美はとぼける。 「何がって、班長さんに一番先に持ってかないとまたビンタよ」 「任せといてよ。あたしの足を信じてよ」 「だって、晴美の足が速くたって一人じゃ運べないじゃない」 「大丈夫よ。みんなでここまで運んで来て、班長さんの分を先に盛って、あたしが飛んで行けばいいのよ」 「頼むわよ。食事の度にビンタもらってたんじゃもたないわ」 「任せといて」 食事当番が洗った食器を抱えて戻って来た。 先発隊の四人は荷物をまとめて受験のために帰って行った。みんなして頑張ってねと見送ったが、去って行く後ろ姿を 看護教育は広い教室で行なわれた。二高女も積徳高女も全員集まって講義を聞いた。 教官は知事官舎での看護教育で馴染みになった神津見習士官だった。あの頃と違って専門的な医学用語が多く、初日から講義は難しかった。今日教わった事は明日、試験をして、その成績が貼り出されると言われ、皆、真剣にノートを取っていた。一日置きの作業もなく、勉強に集中できるのが、皆、嬉しくてしょうがないようだった。 十二時に講義が終わって内務班に戻ると佳代がいて、晴美や初江、小百合に囲まれていた。 「佳代」と叫びながら千恵子は駈け寄った。 「親を振り切って出て来たんだって」と晴美が言った。 「そう。心配してたんだから。でも、よかった。佳代が来てくれて」 「あたしもよかった、みんなに会えて。追い返されたらどうしようって考えながら来たのよ。途中でケーコたちに会ったわ。みんな、ビンタをもらったって聞いたわよ。ほんとなの」 ビンタで思い出し、千恵子は晴美の肩をたたいた。 「晴美、あんた、食事当番でしょ」 「あっ、忘れてた」 「頼むわよ。早くしないとまたビンタよ」 他の当番の者たちも飯上げの事をすっかり忘れて話し込んでいた。 「食事当番は集まって、飯上げに行くわよ」 晴美は五人の当番を引き連れて炊事場に向かった。 当番が出て行った後、千恵子たちはお盆に班長の食器を乗せ、机にみんなの食器を並べて待っていた。当番が食罐を持って来ると、まず班長の食器に麦飯、みそ汁、おかずを盛り、晴美が下士官集会所に運んだ。千恵子たちが心配しながら待っていると、晴美は得意な顔して戻って来た。千恵子たちに指で丸を作って、ニコッと笑った。よかったとみんなで喜び、お昼ご飯を食べた。 昼食の後、食事当番が食罐を洗っている時、他の者たちは部屋の掃除をして、一時までは休憩だった。洗濯をする場合はこの時間にしなければならないという。 一時から五時まではまた講義だった。午前中は内科だったが、午後は外科の講義で、教官も変わって、小柄で神経質そうな顔をした米沢見習士官だった。今まで聞いた事もない医学用語が次々と出て来て、覚えるのも大変だった。 夕食の飯上げも晴美がうまくやり遂げた。 夕食後は明日の試験のために復習をした。午前の講義を聞いていない佳代にみんなで教えた。あっと言う間に八時になり、点呼ラッパが鳴り響いた。 解散となって部屋に戻って寝床を作り、当番が蚊帳を吊って、毛布の中に潜り込む。初日で緊張していたせいか、疲れがどっと出て来た。毛布から顔を出して無駄話をしていると、すぐに消灯ラッパが聞こえて来た。部屋に吊ってあるランプを一つだけ残して、あとは消す。 隣に寝ている澄江が、「ねえ、チーコ」と声を掛けて来た。 「あのラッパ、何て言ってるか知ってる?」 「早く寝なさいって言ってるんでしょ」 「違うわよ。よく聞いてて。新兵さんは可哀想だね、また寝て泣くのかよって言ってるのよ」 「そういえば、弟がそんな事言ってたわ。ほんとね、そう聞こえる」 何となく物悲しい消灯ラッパを聞きながら、千恵子は敏美の事を思い出していた。
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