沖縄の酔雲庵

沖縄二高女看護隊・チーコの青春

井野酔雲





第二部




3.陸軍記念日




 ゆっくり休む暇もない、忙しい毎日が続いていた。きちんと畳んだつもりなのに朝の点呼が終わって戻って来ると毎日、毛布はグチャグチャになっていた。

 千恵子たちが蚊帳を畳む当番になったのは三日目だった。二日目の当番たちは顔を洗う時間がなくて、畳み終わるとすぐに点呼場へ向かった。全員、遅れずにすんだのに、三つ編みの髪が乱れている子が二人いたため、また軍歌演習をさせられた。その日の歌は『日本陸軍』だった。

 天に代わりて不義を討つ、という一番は知っていたが、十番まである長い歌で、全部の歌詞を覚えろという。行進しながら、米田軍曹の後に従って大声で歌った。その日は第四班だけではなく、積徳高女の生徒たちも軍歌演習をやらされていた。歌詞を覚えろと言っても、米田軍曹はその時、教えてくれただけだった。明日、歌わされて覚えていなかったらビンタが飛んでくるかもしれないと困ったけど、千恵子が持っていた愛唱歌集に載っていたので助かった。みんなで歌詞をノートに写して覚えた。

 千恵子たちが当番の日、六人は早起きをして、起床ラッパが鳴る前にこっそりと内務班を抜け出した。夜明け前の薄明かりの中、千恵子たちは小川で歯を磨いて顔を洗い、風呂に入っていないので、ついでに体も拭いて、さっぱりした。炊事場の方を見ると、煙が立ち上っていて炊事班の人たちが働いているのが見えた。

「気持ちいい」と澄江が体を拭きながら嬉しそうに言った。「ねえ、明日も早起きして来ましょうよ」

「そうね。頭も洗いたいしね」と千恵子は三つ編みをほどいた髪をとかしながら言った。

「でも、不寝番の人たちに見つからないかしら」と佳代が心配した。

「うまくやれば大丈夫よ」と由美が言った。「不寝番の人たちはだいたい二十分置きに来るの。だから、不寝番の人たちが最後の見回りに来た後、抜け出せば大丈夫よ」

「でも、最後かどうかわからないわ」

「あたし、時計を持ってるの」と言って、由美はモンペのポケットから懐中時計を見せた。

 五時二分前だった。

「あたしも持ってるわ」と佳代もポケットから腕時計を出した。「ここに来る時、母が内緒でくれたの」

 信代も腕時計を持っていた。信代は嘉手納(かでな)から汽車通学していたので、時計は必需品だった。千恵子も持っていたけど、家と一緒に焼けてしまった。デパートに勤めていた秀子おばさんがお嫁に行く時にくれた時計だった。毎日の作業で汚れてしまうので、大事に机の中にしまったままだった。十・十空襲の時、時間を気にして柱時計を見たのに、腕時計に気づかなかったのが未だに悔やまれていた。

「だからね」と由美が時計を見ながら言った。「四時四十分に不寝番が来れば、それが最後になるのよ。もし、三十五分に来たら、もう一度、五十五分に来るから抜け出せないわ。今日は四十六分に来たのよ」

「という事は早くても二十分前なのね」

「運がよければね」

「十分でも五分でもいいわよ。顔を洗えば目が覚めるもの」

 起床ラッパが鳴り響いた。千恵子は慌てて髪を三つ編みにした。澄江と佳代が手伝ってくれた。内務班に戻って蚊帳を畳み、毛布を畳んで点呼場へ向かう。

 その日の点呼は問題なく無事に済んだのに、いつものように駈け足で営庭に向かった。何も失敗してないのに軍歌演習をやらせるつもりなのかしらと思っていると、そうではなさそうで、朝礼台の前に二列縦隊に並んだ。やがて、集合ラッパが鳴り響き、他の班の人たちも営庭に集まって来て並んだ。

 隣にいる澄江が、「今日は八日なのよ」と言ったので、千恵子も今日が大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)だったのを思い出した。

 国旗掲揚(けいよう)、詔書奉読式、『君が代』の斉唱といつものように式典が行なわれた。

 内務班に戻ると相変わらず、毛布はメチャメチャだったが、蚊帳は無事だったので助かった。

 千恵子の食事当番は四日目だった。その日の点呼でお(なか)の具合を悪くした佐和子が(かわや)(便所)に行っていて遅れてしまい、軍歌演習をやらされた。『日本陸軍』を歌った後、『歩兵の本領』を歌わされ、歌詞を覚えろという。その歌も十番まである長い歌だった。毎日、試験があって大変なのに軍歌まで覚えなければならないなんて、まったく忙しかった。

 軍歌演習が終わると千恵子たちは炊事場に飛んで行った。炊事場は校舎の東側の外れにあって、内務班から五十メートルくらい離れていた。他の班の当番たちはもう並んでいた。

「第二内務班、上原繁子、他五名、飯上げに参りました」と積徳高女の生徒が大声で言っていた。

 炊事班の小柄な上等兵が、「よし、持って行け」と言って、積徳高女の生徒たちが食罐を棒に通してかついで行った。炊事班はその上等兵の他に一等兵が三人と近所から集められた雑仕婦(ぞうしふ)が三人いて、一仕事終わったらしく、のんびりと休んでいた。三人の一等兵たちはニヤニヤしながら女学生たちを眺めていた。品定めをしているようで、いやな感じと思いながら千恵子たちも列に並んだ。千恵子たちの番になり、先頭にいたヒロミが大声で飯上げに来た事を告げた。

 千恵子は澄江と組んで、みそ汁を運んだ。思っていたよりも重かった。それに、うまく運ばないとみそ汁がこぼれてしまう。後ろから、「こぼすなよ」と声を掛けられた。澄江が振り返って、「大丈夫であります」と答えた。澄江が急に立ち止まったので、また、こぼれそうになり、少しも大丈夫ではなかった。それでも何とか校舎まで運ぶと、廊下で晴美たちが待っていた。

「早くしないと怒られるわよ」と晴美は班長のお盆を差し出した。「ここでよそっちゃいなさいよ」

 千恵子たちは回りを見回し、兵隊の姿がないのを確かめて、素早く盛った。晴美からお盆を渡され、千恵子は真っすぐに下士官集会所へと向かった。

 入口に下がっている毛布の前で、「第四内務班の美里千恵子、米田軍曹殿に飯を持って参りました」と大声で決められた通りの言葉を言うと、「よし、入れ」と米田軍曹の返事が返って来た。毛布を(ひじ)で押して入ろうとしたら、誰かが毛布を開けてくれた。中にいたのは米田軍曹ともう一人初めて見る軍曹で、その軍曹が毛布を開けてくれたのだった。

 米田軍曹は機嫌よく、「御苦労」と言ってお盆を受け取った。千恵子は敬礼をして部屋から出た。廊下に出るとホッと胸を撫で下ろした。

 朝食が済むと、食罐の中にみんなの食器を入れて小川に行って綺麗に洗った。第六内務班の初年兵が食罐の洗い方が悪いと怒られ、食罐を頭にかぶらされて、大シャモジでガンガン叩かれているのを見て驚いた。千恵子たちはその様子を皆に知らせて、気を付けるように注意した。昼食も夕食も晴美たちが廊下で待っていて、千恵子が班長に食事を運んだ。怒られる事もなく、飯上げ当番は無事に終わった。

 次の日は晴美が飯上げ当番だったので、千恵子たちが廊下で待っていて助けた。その日の昼食が済んだ後、米田軍曹がやって来た。誰かが何か失敗でもしたのかなと不安な面持ちで整列した。米田軍曹は後ろ手を組んで皆の顔を見回すと、「今日は何の日だ」と聞いた。

 三月十日が何の日だと聞かれても、心当たりはなかった。そういえば、宮崎にいるおばあちゃんの誕生日が三月十二日だったのを千恵子は思い出した。いくつになるのだろうかと考えていると、「今日は陸軍記念日である」と米田軍曹は言った。

「明治三十八年の三月十日、我が大日本帝国陸軍が日露戦争最後の大会戦で大勝利を得た名誉ある記念日である。よって、今日は午後の講義は中止し、学科室において演芸会を行なう事に決まった。各内務班から出し物を出さなければならないので、何を演じるか決めておくように。なお、演芸会の時だけは無礼講となるので、女学校で習った歌や流行歌(はやりうた)などを歌ってもよろしい。二時から始まるので、それまでに学科室に集合する事、以上」

 厳しい顔でそう言ってから米田軍曹は、「楽しみにしているぞ。頑張れ」と言って笑った。米田軍曹の笑顔を初めて見たような気がした。

 米田軍曹が出て行くと皆、キャーキャー言いながら喜んだ。まさか、演芸会があるなんて思ってもいなかった。さっそく、何をやろうかとみんなで相談をした。時間もないし小道具とかもないので、演劇や踊りはできない。やはり歌を歌う事にした。『ラバウル航空隊』『若鷲(わかわし)の歌』『新雪』『ああ紅の血は燃ゆる』『勝利の日まで』『婦系図(おんなけいず)の歌』が候補に上がった。

「ねえ、『ラバウル航空隊』って海軍の歌じゃない」と初江が言った。

「そうよ」と小百合。「『若鷲の歌』も海軍よ。ここは陸軍、いくら無礼講って言っても、うまくないんじゃない」

「それじゃあ、『加藤(はやぶさ)戦闘隊』ならいいんじゃない。あれは陸軍のはずよ」とトヨ子が言った。

 『ラバウル航空隊』『若鷲の歌』を消して、『加藤隼戦闘隊』を加え、多数決で『加藤隼戦闘隊』に決まった。さっそく、練習をしていると、隣の部屋からも同じ歌が聞こえて来た。

「ちょっと待って」と由紀子が言った。「他の班の人たちが先に歌っちゃったらどうするの」

「そうか。同じ歌は歌えないわね」と佳代が言って、『新雪』と『ああ紅の血は燃ゆる』も練習した。

 二時前に学科室に行くと、部屋の中は飾られ、舞台もできていた。みんなが集まると女学生たちには羊羹(ようかん)が配られ、兵隊たちにはお酒が配られた。羊羹を見るのは久し振りで、皆、大喜びをした。

 第二内務班の班長、高森伍長の司会で演芸会は始まった。米田軍曹が後ろの方から高森伍長の司会振りを冷やかして皆を笑わせた。

 最初に登場したのは吉田上等兵だった。千恵子たちが初めて見る人で、『誰か故郷を想わざる』をよく通る声で歌った。三十人位いる兵隊や下士官たちはしんみりとしながら聞いていた。皆、故郷の事を思い出しているようだった。

 二番手は炊事班の正善(まさよし)上等兵だった。朝食を取りに行った時は怖そうな人だと思ったけど、昼食、夕食と顔を合わせるうちに、冗談を言ったり、食罐を叩きながら、

 いやじゃありませんか、軍隊は
    カネのおわんに竹の(はし)
   仏様でもあるまいに
     一膳飯とは情けなや〜 (軍隊小唄 作者不詳)

 という『軍隊小唄』を教えてくれた面白い人だった。もしかしたら、その歌を歌うのかなと思ったけど違った。正善上等兵が歌ったのは灰田勝彦の『(きら)めく星座』だった。この歌は安里先輩がよく口ずさんでいた。安里先輩の事を思い出しながら千恵子は聞いていた。

 安里先輩から借りた啄木歌集はまだ読んでいなかった。読む暇もないし、寝る前に読もうと思っても、澄江が隣にいるので読む事もできない。裏表紙に書かれた名前を見つければ、みんなに言って、冷やかすのに決まっていた。

 軍隊小唄を歌った時と違って、真面目な顔して歌っていた。もしかしたら、正善上等兵も野球をしていたのかもしれないと思った。

 三番目も炊事班の大城一等兵だった。沖縄人(うちなーんちゅ)の大城一等兵はどこから持って来たのか三線(さんしん)を持っていて、雑仕婦の三人を連れていた。誰かが指笛をヒューヒュー鳴らした。大城一等兵は三線を弾きながら『てぃんさぐぬ花』を歌った。

 三線の音を聞くのは久し振りだった。千恵子は縁側で三線を弾いていた祖父を思い出し、父や母の事を思った。沖縄の人なら、この歌は誰でも知っていた。女学生たちは皆、親の事を思いながら、しんみりと聞いていた。大和人(やまとぅんちゅ)には沖縄口(うちなーぐち)はわからないだろうが評判はよかった。アンコールの声が掛かって、大城一等兵は気をよくして『安里屋ユンタ』を歌った。この歌は内地でもヒットしたので、皆、知っていて大合唱となった。そして、例のごとく、『チンダラカヌシャマヨ』が『死んだら神様よ』と歌われた。

 大いに盛り上がり、次の人は気の毒だなと思っていると、上田上等兵は女装して登場し、皆を笑わせた。さすが、(かつら)はなかったとみえて、手拭いで坊主頭を隠していた。真っ白な顔をした上田上等兵は高い声で『湖畔の宿』を歌った。兵隊たちは腹を抱えて笑っていた。千恵子たちもつられて笑った。『湖畔の宿』は女々(めめ)しい歌だと軍のお偉いさんたちが禁止した歌なのに、こういう場所で平然と歌われるなんて変な感じだった。歌と歌の間にある台詞(せりふ)も真面目な顔して感情をたっぷり込めて言ったので、みんなは笑い転げていた。

 いよいよ第一内務班の番となった。演目は『愛国行進曲』だった。必ず、どこかの班が歌うだろうと思っていた。

 第二内務班は『蘇州夜曲』だった。兵隊たちはシーンとして聞き惚れていた。大陸の方から来た兵隊もいて、当時の事を思い出しているのかもしれない。歌い終わると『愛国行進曲』以上の拍手が起こった。

 しんみりとした会場に、第三内務班が威勢よく『加藤隼戦闘隊』を歌った。舞台の脇で待機していた千恵子たちはやられたと思い、小声で何を歌うか相談した。晴美や小百合は『ああ紅の血は燃ゆる』がいいと言ったが、千恵子は『新雪』の方がいいと主張した。

「威勢のいい歌の後はしんみりした歌の方が絶対に受けるわ。それに今までの歌を見ていると軍歌よりは普通の流行歌の方が評判よさそうよ」

 千恵子の言う事に皆が納得して『新雪』を歌う事になった。

 高森伍長の紹介で千恵子たちは舞台に上がった。晴美の合図で歌い出した。会場はシーンとなった。会場の後ろの方にいる下士官たちも静かに耳を傾けていた。歌い終わると、しばらくしてから拍手が沸き起こった。

「いいぞ」と誰かが叫んで、指笛も飛んだ。うまく行ったと千恵子たちは満足して、頭を下げると舞台を降りた。千恵子たちは知らなかったが、山部隊の野戦病院に所属している衛生兵は富山県、長野県、北海道の出身者が多く、皆、雪深い故郷の事を思い出していたのだった。

 第五内務班は『空の神兵』を歌い、第六内務班の初年兵たちは『空の勇士』を歌った。

 どの班もそれなりによかったが、やはり、第二班の『蘇州夜曲』と第四班の『新雪』が評判よかったようだった。

 これで終わるのかなと思っていると、佐藤上等兵が舞台に上がった。千恵子たちの知らない人だった。何となくとぼけた顔をしていて、兵隊たちに人気があるようだった。佐藤上等兵は『可愛いスーちゃん』を歌った。この歌は陣地作業の時、何度か聞いた事があった。

 お国のためとは言いながら、人のいやがる軍隊へ、志願で出てくる馬鹿もいる、という歌詞は千恵子も覚えていた。そんな歌を上官たちのいる前で歌うとは度胸のある人だなと感心していたら、二番では、いやな上等兵にゃいじめられと歌い、三番では乾パンかじる暇もなく消灯ラッパは鳴り響くと歌った。四番で不寝番の事を歌い、五番でスーちゃんからの手紙を喜び、八番まで延々と内務班の事を歌っていた。こういう歌だったんだと千恵子は改めて、兵隊さんたちが好んで歌っていた意味がわかった。いつも偉そうにしている米田軍曹たちも初年兵の時は、この歌のように苦労して来たに違いない。それがわかるから、こういう時に歌っても誰も文句を言わないのだろう。

 次に高良(たから)婦長と新垣(あらかき)看護婦と石川看護婦が舞台に上がった。高良婦長は浩子おばさんと同じ位の年で、いつも堂々としていて、婦長としての貫禄充分だった。女学生たちの責任者のような立場だったらしく、二日目の講義の時、簡単な挨拶をして、困った時は何でも相談しなさいと言っていた。新垣看護婦と石川看護婦は講義の時、教官の助手を務めていた。新垣看護婦はおっとりとしていて優しい人で、石川看護婦の方はきびきびしていて無駄口は一切きかなかった。

 婦長たちは渡辺はま子の『愛国の花』を歌った。白衣を来た三人が美しい声で歌う姿は女学生たちの憧れの姿だった。千恵子はうっとりしながら聞いていた。自分も早く一人前の看護婦になりたいと改めて思った。そして、南風原の陸軍病院で働いている浩子おばさんと姉の事を思った。

 ぼうっとしているうちに婦長たちはいなくなり、矢野兵長が舞台に立っていた。兵隊たちから掛け声が掛かり、矢野兵長は照れ臭そうに笑っていた。『勘太郎月夜唄』は見事だった。歌い慣れているような感じだった。アンコールの声が掛かり、『梅と兵隊』を歌った。これも見事に歌って、さすが、とりを務めるだけの事はあった。本来なら、これでお開きになるはずだったが、矢野兵長は大城一等兵が歌った島唄が気に入ったらしい。もう一度、聞かせてくれと言って、大城一等兵は同じ沖縄人(うちなーんちゅ)の浜川一等兵を誘って舞台に上がった。勿論、雑仕婦の三人も一緒だった。

 三線を弾きながら歌い出したのは『唐船(とうしん)ドーイ』だった。祝い事の席で必ず最後に歌われる唄だった。雑仕婦たちは合いの手を入れながら陽気にカチャーシーを踊りだした。浜川一等兵が踊りながら、みんなも踊ってと言った。踊りたくてうずうずしていた初江が小百合を誘って踊り出した。積徳高女も踊り好きな生徒が負けずに踊り出す。次から次へと踊り出し、千恵子も澄江と一緒に加わった。大和(やまと)の兵隊たちも身振り手振りを真似して踊り出し、演芸会は大盛況のうちに幕を下ろした。







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