沖縄の酔雲庵

沖縄二高女看護隊・チーコの青春

井野酔雲





第二部




4.外出許可




 三月十八日の日曜日、千恵子たちは浮き浮きしながら首里へと向かっていた。東風平(こちんだ)の看護教育隊に入って十三日目、初めての外出許可が出たのだった。

 先週の日曜日は陸軍記念日の翌日だった。軍隊にも日曜日はあると聞いていたので、楽しみにしていたのに、その日の日朝点呼の時、東京が大空襲を受けたと知らされた。いよいよ、敵の沖縄攻撃も間近に迫って来た。気を入れて訓練に励むようにと言われ、日曜日は返上された。あれから一週間、休む間もない程、忙しい毎日が続いた。

 毛布を畳む事にも慣れて、崩される事もなくなり、蚊帳を畳む当番も飯上げの当番も三度やって、ようやく慣れてきた。講義は次々に新しい事を教えられるので気を緩める事もできなかったが、積徳高女の生徒には負けるものかと皆、頑張っていた。夕食後に復習していると突然、集合ラッパが鳴って、軍歌演習をやらされる事もあった。せっかく勉強しているのにと、いやいやながら、やけっぱちになって大声で歌った。星空の下、行進しながら軍歌を歌っているといやな事も忘れ、清々とした気分になるのは不思議だった。消灯ラッパが鳴った後、毛布の中にもぐって、各自が持って来た黒砂糖を回しながら、一口かじるのが唯一の楽しみだった。

 第六班の初年兵たちは女学生たちよりもずっと厳しかったようで、しごきに耐えられなくて脱走する者もいた。結局、捕まって正門の側にある営倉(えいそう)(禁固室)に入れられ、発狂してしまったと噂が流れた。

 第一班から順番に勤めてきた不寝番が第四班に回って来たのは十五日だった。消灯の九時から十一時までを一番立ち、十一時から一時までが二番立ち、一時から三時までが三番立ち、三時から起床の五時までが四番立ちと呼ばれた。二人づつ組んで各内務班を見回り、さらに校内を一回りしなければならなかった。

 晴美は十五日の二番立ちで、初江は同じ日の四番立ちだった。小百合は十六日の二番立ちでトヨ子は三番立ちだった。みんなの話によると楽なのは、少々夜更かしをしたと思えばいい一番立ちだった。消灯時間になったとはいえ、将校や下士官たちの中にはまだ起きている人もいて、校内を歩いていてもそれ程の不安はなかった。二番立ち、三番立ちになると校内はシーンと静まり、特に便所は怖い。どこの学校にもある怪談話が思い出されて、ちょっとした物音でも背筋がぞおっとするという。一番立ちになればいいのにと願ったのに、千恵子と澄江は運悪く、十七日の三番立ちだった。

 気持ちよく眠っていると夜中の一時に、慶子とヒロミにたたき起こされた。

 慶子たちは受験を済まして十三日の午前中に戻って来ていた。慶子は東京女子医専、政江は東京女高師、ハワイ二世で英語がペラペラの美紀は津田英学塾、和美は奈良女高師を受験していた。皆、よくできなかったと言っていたけど、やるべき事はやったというすがすがしい顔をしていた。あんな状況下で、あれだけ一生懸命に勉強してたのだから、きっと、みんな合格しているだろうと千恵子は思い、卒業したら、遠くに行ってしまうのかと少し寂しくなった。

 千恵子と澄江は慶子とヒロミからランタンと懐中時計を受け取って廊下に出た。廊下は寒くて、薄暗くて気味が悪かった。隣の第五内務班に入り、蚊帳の外から一人一人の顔を確認して人数を数える。皆、幸せそうな顔して気持ちよさそうに眠っていた。

 大柄の芳江は寝相が悪く、毛布を放り出して大の字に寝ている。両隣の恵利子と朝子は気の毒に小さくなって眠っていた。正美は寝巻の(えり)をはだけて自慢の胸が飛び出しそうだし、朋美は大口を開いて眠っているし、美代子はモゴモコと訳のわからない寝言を言っている。喜代は突然、笑い出すし、和江は泣きながら眠っている。

 みんなの寝姿を眺めながら、「あたしたちもこうなのかしら」と千恵子は澄江に小声で言った。

「恥ずかしいわね。チーコなんか、この間、大きな声で安里先輩って寝言を言ってたわよ」

「嘘よ。あたし、寝言なんて言わないわ。ねえ、嘘よね」

「さあね、みんなに聞いてみたら」

「ねえ、嘘って言ってよ」つい千恵子は大きな声を出してしまった。

 誰かが、うーんと唸った。澄江は人差し指を口に当てて、シーと言った。二人は足音を忍ばせて第五内務班から出た。

「嘘よ」と澄江は言って笑った。「寝言は言ってないけど、あたしを安里先輩と間違えて抱き着いて来たのよ」

「もう、嘘ばっかし」

 次は第六内務班、男たちばかりが寝ている部屋に入るのは恐ろしかった。千恵子と澄江は手をしっかりつないで恐る恐る部屋の中に入った。疲れ切っているのか、皆、ぐっすり眠りこけていた。ビンタを食らったのか、顔が腫れている者が何人かいた。

 次は男子便所、風の音に驚かされて、ビクッとしたが異状なく無事にすんだ。廊下に戻って、下士官集会所や将校集会所、隊長室、事務室、医務室などの前を通り、学科室を覗いて、物置に使われているらしい真っ暗な教室の前を通って女子便所を調べる。ノックしながら個室を調べていると三つ目の個室から『キャー』と悲鳴が聞こえて来た。

 千恵子と澄江は驚いて、思わず身を引いた。恐ろしさで膝がガクガク震えていた。

「誰よ、誰なの」と澄江が千恵子にしがみつきながら聞いた。

「不寝番の人なのね」と逆に聞いて来た。

「そうよ。あなたは誰なの」

 ギイッときしむ音が響いて戸が開き、女生徒が恐る恐る顔を出した。

「よかった」と言って、ホッとしたように胸を撫で下ろした。

「第二内務班の国吉清子です。おなかを壊してどうしても我慢できなくて‥‥‥ごめんなさい。帰ろうとしたら足音が聞こえて来て、怖くなって震えてたんです」

「もう、脅かさないでよ」

 千恵子たちは清子と一緒に便所を後にした。第一内務班から順番に見回り、第四内務班に戻って来た時には一安心した。時計を見るとまだ二十分しか経っていなかった。気持ちよさそうに眠っている皆の顔を羨ましそうに見守りながら、二回目の見回りに向かった。二回目は無事に終わり、三回目の時、見回りをしていた週番下士官の笠島伍長と出会った。

 千恵子と澄江は敬礼をして、「不寝番、勤務中異状なし」と報告した。

 笠島伍長は答礼して、「よし、御苦労」と言った後、「寒いから風邪をひかないようにな」と優しい言葉を掛けてくれた。

 笠島伍長は第五内務班の班長で、朋美から優しい人だと聞いていた。第五内務班では食事の時、班長を囲んで和気あいあいと食べているという。第四内務班ではとても考えられない事だった。第四内務班の者たちは米田軍曹に怒られる度に、第五内務班はいいなあと囁き合っていた。

 二時間の勤務は無事に終わり、笠島伍長に報告を済まし、午前三時、次の番の和美と信代を起こした。和美はすぐに起きたけど、信代にはてこずった。寝ぼけていて起きたと思ったら、また寝てしまう。ようやく起こして時計とランタンを渡して、毛布の中に潜り込んだ。すぐには眠れず、ようやく眠りについたと思ったら起床ラッパが鳴り響いた。

 寝ぼけ(まなこ)で日朝点呼に並ぶと、米田軍曹より、本日は外出を許可する。夕食時までには必ず戻って来るようにと言われたのだった。眠気もすっかり覚めて、千恵子は大喜びした。

 外出許可が下りても帰る所のない者も多かった。八時から五時までではあまり遠くまで行けない。離島の者は帰れないし、家族が国頭(くにがみ)に疎開してしまった者も帰れなかった。小百合も家までは帰れないとがっかりしていた。千恵子は一緒に行こうと小百合を誘った。千恵子にしても家族に会えるかどうかわからなかった。たとえ、日曜日でも父は県庁に行っているだろうし、首里にいる弟も一中の防衛隊に入って、日曜もなく作業をしているに違いない。それでも、首里に行ってみようと思い、小百合を誘ったのだった。

 いい天気だった。久し振りの解放感で知らず知らずに口から歌が飛び出した。無理やり歌わされた軍歌も、のびのびとした気分で歌うのはまたいいものだった。十番まである長い『日本陸軍』も『歩兵の本領』もすっかり覚え、炊事班の正善上等兵からこっそり教わった『可愛いスーちゃん』も、新垣看護婦から教わった『愛国の花』も覚えていた。

 『愛国の花』を歌い終わった後、初江が、「マラリアの歌、歌いましょうよ」と言った。

 講義の時、神津教官から習った『荒鷲の歌』の替え歌だった。

「それ行こう」と晴美が言って、皆で歌い出した。

 見たか聞いたかマラリアは
   プラスモジウムという虫が
    血液犯して(かか)るもの
   熱帯熱に三日(みか)、四日、継続熱の四種あり
    ブンブン、ハマダラ蚊、ブンと飛ぶぞ〜

 東風平から北上して南風原(はえばる)に出た。南風原の山中には兵隊が大勢いた。那覇の方から物資を積んだトラックが何台も来ていて、山中に隠しているようだった。姉と叔母に会えるかもしれないと期待しながら陸軍病院の前を通ったが、会う事はできなかった。

 兼城(かねぐすく)の四つ角で那覇に向かう晴美、澄江、初江たちと別れ、千恵子は佳代、小百合と一緒に首里に向かった。南風原から首里への道も多くの兵隊が行き来していて、何となく慌ただしく、戦争が間近に迫っている事がひしひしと感じられた。千恵子たちが東風平の看護教育隊に入ってから敵機の空襲は一度もなかった。敵は沖縄を通り越して本土の方に行くのではないかと淡い期待を抱いていたのに、世の中は確実に恐ろしい方向に向かっているようだった。のんきに歌など歌っている場合ではなかった。

 もしかしたら、家族はもう国頭(くにがみ)の方に疎開してしまったんじゃないかと佳代は心配しだした。佳代の母親は三日前に、佳代に会うため東風平まで訪ねて来ていた。午前中に行ったのに訓練中で会う事ができず、会えたのは夕食後の六時頃だった。やっと会えたのに、こんな所まで親が出て来るなんてみっともないと佳代はそっけなく追い返してしまった。もしかしたら、あれは別れに来たのかもしれない。あんな冷たい素振りをしなければよかったと後悔していた。

 首里への坂を登り、赤田町で佳代と別れた。

「もし、おうちに誰もいなかったら、幸ちゃんちに行くからね、待っててよ」と佳代は手を振った。

「大丈夫よ、きっといるわよ」と千恵子と小百合は励ましたが、我が家へ向かう佳代の後ろ姿は元気がなかった。

 祖母の家は何となくひっそりとしていた。日曜日だから国民学校に行っている栄二や貞子の騒ぐ声が聞こえるはずなのに静かだった。みんなでどこかに行ったのかなと思いながら、声を掛けると奥の方から祖母が出て来た。

「あら、チーちゃんじゃない。よく来たね。康ちゃんから聞いてるよ。今、東風平の方に行ってるんじゃなかったの」

「そうよ、おばあちゃん。今日はお休みなの。それでお友達と一緒に来たのよ」

「あら、そう」と言って、祖母は小百合を見て、「いらっしゃい」と笑った。

 従弟(いとこ)の栄一も栄二も貞子も一週間位前に母親の実家のある国頭に疎開して、今残っているのは祖母と師範学校に行っている陽子と康栄だけだという。陽子は寄宿舎に入っていたが、一月二十二日の空襲で寄宿舎の一部が破壊されてしまい、以後、自宅から通っていた。幸子は石部隊(第六十二師団)の野戦病院に入るため、赤田町の山城病院に合宿して看護訓練を受けていた。陽子たちの父親は一月の半ばに防衛隊に招集されている。陽子と幸子を残して疎開するわけにはいかないし、代々続いた造り酒屋を守らなければならないと祖母は一人で頑張っていた。

 しばらくして、買い物に行っていた陽子が帰って来た。千恵子の顔を見て懐かしそうに笑って駈け寄って来た。小百合を交えて、千恵子と陽子は様々な事を語り合った。話が尽きる事はなかった。小百合の故郷、大宜味村から師範学校に行っている生徒もいるし、陽子の母親が大宜味村(おおぎみそん)生まれだと聞いて、益々、話に花が咲いた。

 お昼に祖母の手料理を御馳走になり、千恵子たちは陽子と一緒に佳代の家に向かった。

 首里城の側まで来た時、「せっかく来たんだから康ちゃんにも会って行けば」と陽子が言った。「さっき、記念運動場にいたわよ」

「でも、まだいるかしら」と言いながら、千恵子は康栄と一緒にいるかもしれない安里先輩の事を思っていた。

「まだ時間はあるし、行ってみよう」と小百合が言ったので、千恵子はうなづいた。

「安里先輩もいるかもしれないし」と小百合はニヤニヤしながら千恵子を見た。「初江からみんな聞いたわよ」

「まったく、もう、余計な事を言うんだから」

「ねえ、チーちゃん。安里先輩って、一中の野球部の」と陽子が聞いた。

「そうなのよ。あの有名な安里先輩とチーコがうまく行ってるんだって」

「うまく行ってるだなんて、康栄と一緒の時、何度か会っただけじゃない」

「あら、そうかしら。その救急袋の中に何が入ってるの」

「えっ」と千恵子は救急袋の蓋を押さえた。「澄江ね。まったく、他人の物を勝手に見て」

「時として、君を思えば、安かりし、心にわかに騒ぐ悲しさ」

「何よそれ」

「チーコったらとぼけて。啄木の歌じゃない。安里先輩が赤い線を引いてくれたね」

「へえ、チーコが安里さんのいい人だったなんて驚いたわ」と陽子が目を丸くして言った。

「陽子ちゃんも何を言ってるの。そんなんじゃないったら。もう、澄江ったら許さないわ。みんな、知ってるのね」

「チーコ以外はみんな知ってるわ」

「ああ、やだやだ。みんなしてあたしの事、笑い物にして」

「笑い物じゃないわよ。みんな、羨ましいと思ってるのよ」

「嘘ばっかし。ねえ、佳代も知ってるの」

「勿論よ」

「もう、みんな、信じられない」

 いつの間にか、金城(きんじょう)町を抜けて記念運動場に来ていた。陽子が指さす方を見ると、一中の生徒たちが泥だらけになって防空壕を掘っていた。見渡した所、康栄の姿も安里先輩の姿も見当たらなかった。

「誰かに聞いてみれば」と小百合は言ったが、怖い顔した配属将校が作業の指揮をしているので、勝手な行動はできそうもなかった。特別な用があるわけでもないので千恵子は諦めた。

 佳代の家に行こうと一中の通用門の前を通り過ぎようとした時、「チー姉ちゃんじゃないか」と声を掛けられ、振り返ると康栄がいた。

 康栄は板切れをいっぱい積んだ荷車の後ろを押していた。

「こんなとこで何してるんだい」

「今日はお休みなのよ。那覇に帰ってもお父さんはいないだろうと思って、こっちに来たの」

「ちょっとすまん」と康栄は仲間に言って荷車から離れて千恵子の側に来た。

「ねえ、あんた、お父さんに会った?」

「伯母さんたちが疎開する前に、一度訪ねて来たよ。チー姉ちゃんがいなくなってから、俺も那覇の方に行ってないからわからないけど、父さんも忙しいみたいだよ。首里もそうだけど、那覇もほとんどの人が国頭の方に疎開したらしい。父さんも疎開の仕事をやってるみたいで、あの小屋にも帰らないで県庁にいる事が多いって言ってたよ」

「そう。みんな疎開してるんだ」

「うん。(たま)部隊の司令部がここの地下に移って来て、この辺りは兵隊だらけになって、今にも敵が攻めて来るかのように慌ただしいよ。毎日、壕掘り作業で休む間もないくらい忙しくて、もう、くたくたさ」

「なに言ってんの。頑張りなさいよ。あたしたちだって毎日、看護婦の勉強で忙しいんだから」

「うん、わかってるよ。それじゃあ、俺は行くよ。チー姉ちゃんも頑張れよ」

 康栄は通用門の先にある別館の校舎の方を眺めて、「あっ、来た来た」と言った。

「あの荷車の所に安里先輩がいるはずだよ」康栄は笑って手を振ると、記念運動場の方へ走って行った。

「安里先輩が来るって」と小百合が千恵子を(ひじ)で突ついて、こちらに向かって来る荷車を見た。

「どの人」と陽子が興味深そうに小百合に聞く。「噂には聞いてるけど、あたし、よく知らないのよ」

 荷車を引いているのは安里先輩ではなかったが、千恵子たちの前まで来ると「おやっ」と言って止まった。

「おい、何やってんだ」と声がして、荷車の後ろから安里先輩が顔を出した。

「あっ」と安里先輩は千恵子を見た。千恵子は頭を下げた。

「安里、お前に面会らしいぞ」と荷車を引いている人が言った。

「先に行っていてくれ。すぐに行く」と安里先輩が言うと、

「どうぞ、ごゆっくり」と荷車を引いている人は安里先輩に言って、千恵子たちを見て笑った。荷車を押している人たちも安里先輩を冷やかしてから去って行った。

「こんな所で会うなんて、ほんと驚きました」安里先輩は額の汗を拭きながら言った。

「あたしだって‥‥‥記念運動場に行ったんですけど、作業中だったので諦めて帰る所だったんです」

「そうですか。今、地下壕の補強に使う板を集めていたんです。集めていたと言っても教室の壁やら床やらを壊していたんですけどね。もう、学校もメチャクチャですよ。まあ、空襲にやられたら燃えてしまうので、今のうちに使える物は何でも使えってわけです」

 千恵子は陽子と小百合を紹介した。安里先輩は丁寧に頭を下げた。

「陽子さんの事は康栄から聞いています。まもなく国民学校の先生になるそうですね。今の時期は授業もなかなかできなくて大変でしょうが、陽子さんのような方が先生になれば子供たちも喜びますよ。頑張って下さい。千恵子さんと同じ吹奏楽部にいた小百合さんの事は以前から知っていました。二高女の吹奏楽部は美人が多いって男子学生の間では有名なんです。小百合さんに憧れている奴も何人もいるんですよ。自分が小百合さんに会ったと言えば、皆、羨ましがりますよ」

「そんな、あたしが美人だなんて」と小百合はしきりに照れていた。

「二高女が焼けてしまって、みんなの演奏が聞けないのが残念です」安里先輩がそう言った時、将校らしい人が二人、こちらにやって来るのが目に入った。

「自分はそろそろ失礼します。看護婦、頑張って下さい」

 安里先輩は頭を下げると走って行った。二人の将校は話をしながら首里城の方へと歩いて行った。千恵子たちの方は見なかったが、この御時世に若い男女が道端で立ち話をしていたら何を言われるかわかったものではなかった。

「いい人みたいね」と陽子が言って、千恵子の肩をたたいて笑った。

「あたしたちの事、有名だって言ったわね。晴美や佳代が有名なのはわかるけど、あたしたちが有名だったなんて。チーコ、もっと早く紹介してくれたらよかったのに」

「そんな事言ったって、あたしが初めて会ったのが、十・十空襲の前の日だもの。それから、ずっと小百合は帰って来なかったじゃない」

「そうか。やっぱり、もっと早く帰ってくればよかった」

「今度、会った時、小百合に憧れてる人っていうの、紹介してもらえば」

「なに言ってるのよ。あたしは何もそんな事言ってないじゃない」

「いいから、いいから。今度のお休みもまた来ましょ」

 小百合は膨れっ面をしながらも、嬉しそうにうなづいた。

 大通りに面した家々の壁には標語を書いた紙がベタベタ貼り付けてあった。

鬼畜米英(きちくべいえい)上陸近し、何するものぞ、撃ちてしやまん』

『青い目のアメリカ兵はトリ目が多い、夜襲かければ必勝だ』

『沖縄よいとこ一度はおいで、米軍撃滅したところ』

 佳代は自宅にいた。新聞社に勤めている父は留守で、母と二人で楽しそうに話し込んでいた。千恵子たちは歓迎されて家に上がり込み、佳代の母親が作ったお菓子を御馳走になった。

 二時過ぎに佳代の家を出て、祖母の家に寄ったら、兵隊さんはお酒が好きだから、お世話になっている兵隊さんに差し上げなと言って、(かめ)に入った泡盛をくれた。

 見るからに重たそうなので断ろうとしたら、「班長さんの機嫌を取るのにいいかもしれない」と小百合が言ったので、おばあちゃんは喜んで、「いっぱいあるからもう一つ持って行くかい」と言った。それは断って、仕方なく一つをもらう事になった。余計な事を言った小百合を恨みながら、千恵子はリュックの中に泡盛を入れて、おばあちゃんと別れた。陽子は別れを惜しんで坂の下まで見送ってくれた。

「看護婦、頑張ってね」と陽子は言い、千恵子は「先生、頑張って」と言って別れた。

「来週はわからないけど、再来週にはまた来られると思うから」と言って手を振った。

 四時過ぎに東風平に帰った。那覇に行った晴美たちはまだ帰っていなかった。

「ねえ、これ、班長さんにあげるんでしょ」と小百合が途中から代わって持って来た泡盛の瓶をリュックから出した。

「あっ、どうしよう」と千恵子は小百合と佳代の顔を見た。

「それとも、今晩、みんなで飲んじゃおうか」と小百合が笑った。

「なに言ってんのよ」と佳代が(にら)んだ。「小百合、お酒なんか飲んだ事あるの」

「ほんの少しだけどね」

「駄目よ」と千恵子は言った。「みんなで酔っ払っちゃったら、また、ビンタが飛んで来るわよ。いいえ、ビンタだけじゃすまないわ。重営倉(じゅうえいそう)になるかもしれない」

「じゃあ、早く、班長さんにあげて来たら。ここに置いとくのはまずいわよ」

「でも、何て言ってあげればいいの」

「おばあちゃんから貰って来たって言えばいいんじゃない」

「二人も一緒に来てよ」

 千恵子たちは泡盛を持って下士官集会所へ向かった。米田軍曹はいなかった。第二内務班の班長で演芸会の時、司会をしていた高森伍長がいて、「そうか、ありがとう。米田軍曹殿も喜ぶだろう。預かっておくよ」と喜んで受け取ってくれた。

 五時の飯上げ前に点呼があり、第四内務班は皆、無事に戻って来た。点呼の後、千恵子は米田軍曹に呼ばれ、泡盛のお礼を言われたが、今後、そういう事はしないでくれと言われた。

「すみませんでした」と千恵子は謝った。千恵子自身も先生の機嫌を取っているようで、いやな気分だった。

 夕食後、集合ラッパが鳴った。また軍歌演習かと営庭に集まると怖い顔した米田軍曹が朝礼台に上がった。

「残念ながら門限に遅れた者が二人いた。本来なら営倉入りとなるのだが、女学生の君たちを営倉に入れるわけにもいかん。かと言って、このまま放っておいたら大日本帝国陸軍としての示しがつかん。よって、連帯責任を取ってもらう事になった。第一内務班より順に営庭(えいてい)五十周、駈け足始め」

 第一内務班の班長、土肥(どい)伍長の指示によって第一内務班が二列縦隊で駈け出した。

「誰よ、遅れたのは」と第四内務班の者たちはブツブツ文句を言っていた。文句を言っても走らないわけにはいかなかった。五十周と言っていたけど、きっと途中でやめさせるだろうと思っていたが甘かった。倒れる者が出てもやめろとは言わなかった。隊列は自然に崩れて脱落者が続出した。

 千恵子は晴美の後を必死に追ったが付いて行く事はできなかった。前日の寝不足がたたったのか、急に気が遠くなって倒れてしまった。

「チーコ、チーコ」の声で目が覚め、顔を上げると初江の顔があった。

「ねえ、大丈夫」

「大丈夫よ」と千恵子は起き上がった。

 もうすっかり暗くなって、星空の下、走っている者より倒れている者の方が多かった。

「負けるものか」と千恵子は初江と一緒に走り出した。






県立第一中学校



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