沖縄の酔雲庵

沖縄二高女看護隊・チーコの青春

井野酔雲





第二部




6.山部隊第一野戦病院




 夜中に着いた所は山の中腹に建ち並ぶ茅葺(かやぶ)きの三角兵舎だった。

 艦砲の音を聞きながら眠る事もできず、不安のまま夜は明けた。夜明けと共にたたき起こされて、新しい班編成が行なわれた。

 本部勤務、第一内科病棟(びょうとう)、第二内科病棟、第三外科病棟、第四外科病棟に分けられた。

 千恵子は第四外科病棟勤務だった。共に働く事になったのはトヨ子、鈴代、悦子、ヒロミ、信代で、トヨ子以外はそれ程親しくはなかった。

 晴美は利枝と二人で本部勤務だった。本部勤務というのは本部から各部署への連絡や事務や雑役をやり、各内務班から二人づつ、四人が選ばれていた。

「どうして、あたしは看護婦じゃないのよ」と晴美は不満を言った。

「きっと足が早いから連絡係に選ばれたのよ」と千恵子は慰めた。「利枝の方は力持ちだからよ、きっと」

 利枝は身長が百六十センチもあって大柄なので、B29とあだ名されていた。声も大きいし連絡係に丁度いいと米田軍曹が考えたのかもしれなかった。第五内務班からは美智子と常子が選ばれていた。美智子は千恵子の幼なじみだった。十・十空襲以後、国頭の方にずっと疎開していて、二日遅れて看護教育隊に参加した。講義の時、ばったり出会って、チーコ、ミッチと呼び合って再会を喜んだけど、第五内務班に入ったので、あまり話す機会はなかった。どうして、おとなしい美智子が本部勤務になったのか、千恵子にはわからなかった。

 澄江は第二内科病棟で、佳代と初江と小百合は第三外科病棟だった。千恵子も澄江も第三外科に行きたいと羨ましく思った。

 三角兵舎も内科勤務者と外科勤務者に分けられ、外科勤務者は昨夜、第五内務班が使用した隣の兵舎に移らなければならなかった。本部勤務の晴美たちは内科の方だという。晴美と澄江とは別れ別れになってしまった。

 荷物を持って隣の兵舎に行くと中央の土間を挟んで右側が第三外科、左側が第四外科と分けられた。第五内務班から第四外科に配置された者が七人いて、千恵子たちと合わせて十三人が同僚という事だった。

 まず、水汲みと飯上げから始まった。初日なので場所を覚えるため、高良(たから)婦長に従って、第三外科と第四外科が一緒に出掛けた。炊事場は三角兵舎の近くにあって、擬装(ぎそう)したテントの下に大きな石で(かまど)を作った簡単な施設だった。働いている炊事班の中に東風平にいた正善上等兵や大城一等兵の姿もあった。彼らも夜のうちに移動して来たらしい。飯上げは近くでよかったけど、水汲みは富盛集落の井戸まで行かなければならなかった。兵舎から五百メートル位離れていて、行きは下り坂で帰りは上り坂だった。水汲みだけでなく、顔を洗ったり歯を磨いたり、食罐洗いもここまで来なければならないのは大変だった。

 井戸から一斗罐(いっとかん)に水を汲んでいた時、空襲警報が鳴り響いた。

「みんな、落ち着いて。まだ大丈夫よ」と高良婦長は空を見上げながら言った。

「上空を敵機が飛ぶ事はあっても、この辺りにはまだ爆弾は落とさないから大丈夫。ただ、トンボには気を付けるのよ」

「トンボですか」とトヨ子が言って千恵子の顔を見た。

 千恵子はわからないというように首を振った。

「トンボというのはね、敵の偵察機(ていさつき)の事なの。一機だけで飛んで来てね、陣地を見つけるとすぐに敵に知らせるのよ。すると集中砲火を受けるの。だから、トンボを見たらすぐにその場で隠れなさい。慌てて、三角兵舎や病院壕に飛び込んだりしたら敵に知られちゃうから気をつけるのよ」

 婦長の指示で千恵子たちは水汲みと飯上げをして三角兵舎に引き上げた。東の方からピューピューという艦砲の音が聞こえ出し、那覇の方向から落雷のような爆撃音も聞こえて来た。食事は内務班の頃と同じような物だった。食事が済むと千恵子たち第四内務班だった六人が上空を飛ぶ敵機に気をつけながら食罐や食器を洗いに行った。第三外科も第四内務班の者たちが来て、佳代や初江や小百合たちとワイワイ話しながら洗い物をした。富盛集落はひっそりとしていて、村の人たちは皆、防空壕に避難しているようだった。

 高良婦長の案内で、第三外科と第四外科は一緒に病院内を見て回った。三角兵舎は十棟あり、本部が一つに病棟が三つに手術室が一つあり、後は看護婦や衛生兵の宿舎になっていた。外科病棟は内科勤務者の兵舎の隣にあった。土間に寝台が並んでいるだけで患者さんは一人もいなかった。

「今はこの通り。でも、間もなく、ここもいっぱいになるでしょう」と高良婦長は言った。

 その隣が手術室だった。中央に手術台がポツンとあって、奥の方に医療器具や薬品などが並んでいる棚があった。

「今の所は盲腸の手術くらいだけど、そのうち、ここも忙しくなるわ」

 千恵子は白衣を着て軍医さんにメスを手渡している自分の姿を想像した。いよいよ、看護婦になれると思うと嬉しかった。

 手術室の隣は内科病棟で、中に入った途端、消毒薬の臭いが鼻をついて、ここが病院だという事を改めて実感した。入院患者は十一人いて、肺結核(けっかく)、アメーバ赤痢(せきり)、腸チフス、マラリアなどの伝染病と盲腸の患者だという。三人の看護婦が患者さんたちの世話をしていたが、高良婦長と同じようにモンペ姿だった。白衣に憧れていた千恵子は少しがっかりした。

「白衣は着ないのですか」と高良婦長の隣にいた悦子が聞いた。皆も同じ思いだったらしく、一斉に婦長の顔を見た。

「白衣の天使に憧れるあなたたちの気持ちはわかるけど、白衣は目立ち過ぎるのよ。この緑の中で白い物はすぐに敵に見つかってしまうわ。あなたたちも白い服は絶対に着ては駄目よ」

 そうだったのかと千恵子は納得した。そういえば、南風原の陸軍病院でも看護婦たちは一人も白衣を着ていなかった。浩おばちゃんもお姉ちゃんも地味なモンペ姿だった。

 内科病棟の隣には将校病棟があって、四人の将校が入院していた。内科病棟の寝台は毛布だけだったのに、将校病棟の寝台には寝心地のよさそうな布団が敷いてあった。やはり、病気になっても将校と普通の兵隊では待遇が違うんだなと千恵子は思った。

「敵の攻撃が激しくなると、この兵舎もやられてしまうでしょう。その時は山の中に掘られた病院壕に移ります」そう言って高良婦長は山の方を示した。

 八重瀬岳はこんもりとした緑に覆われて、上の方は切り立った絶壁のようにそびえていた。その下の方に木の枝でうまく隠してあるが、よく見ると四つの穴があいているのが見えた。その穴に向かう途中、ブーンという音がして西の空から飛行機が現れた。

「みんな、隠れて」と婦長が叫び、千恵子たちは草むらの中に身を隠した。

 (つばさ)に星印の付いた飛行機は爆音を立てながら低空を飛び去って行った。

「あれがトンボよ。よく覚えておいてね。ただ偵察するだけじゃなくて、機関銃を撃って来る事もあるから、トンボを見たらすぐに隠れなさい」

 確かにトンボに似ていた。十・十空襲の時に見た戦闘機よりも小さくて、おなかの下に爆弾もなく、車輪のついた足を出したまま飛んでいた。

「もう大丈夫みたいね」と草むらから出ると、高良婦長は山の方を見ながら説明した。

 右から第一坑道、第二坑道、第三坑道、第四坑道と名付けられ、ここからは見えないが、一番左側に第五坑道もあるという。目の前に見える第一坑道の入口近くには掘り出した土砂が山積みにされていて、モッコを担いだ兵隊が上空を気にしながら出たり入ったりしていた。

 並んでいる三角兵舎の後ろを通って、第四坑道の方まで行った。坑道と坑道の間は二十メートル位の間隔があり、入口の近くには小さな小屋が立っていた。見張りの小屋かと思ったら、(かわや)(便所)だという。

 第四坑道に入ると両側にずらりと二段の寝台が並んでいた。中央の通路の所々にランプがぶら下がっているけど薄暗くて、目が慣れるまで、よく見えなかった。坑道の幅は二メートル五十センチ位、高さは二メートル位、奥はかなり深そうだった。

 剥き出しの岩壁に沿って並んでいる寝台は松の丸太に竹を編んで作られ、幅は七十センチ位で、戸板や古畳が敷いてあるのはいいが、何もないのは寝心地がいいとは思えなかった。

 奥の方から話し声が聞こえて来た。どうやら、内科勤務の人たちが先に入っているらしい。

「ここが第一内科病棟よ」と高良婦長は言った。「四十二人収容できます」

「へえ、そんなにも入るんだ」と千恵子たちは感心した。

 しばらく行くと左側に通路があった。その通路は斜め前方に掘られ、第四坑道より少し幅が狭くて寝台はなかった。奥の方から岩を砕く音や木を打つような音が聞こえて来た。

「ここを行くと第五坑道に出ます」と婦長は立ち止まった。「まだ工事中だけど、第五坑道は衛生兵たちの宿舎になる予定よ」

 少し進むと、今度は右側に通路があった。第四坑道と同じ位の幅で、寝台のない坑道がずっと向こうの方まで続いていた。

「こっちに行くと第三坑道、第二坑道、第一坑道まで抜けられるわ」と婦長は右側の通路を示してから正面を向いた。

「ここから先が第二内科病棟よ。四十四人収容できます」

 正面を見ると、そこから先も両側に寝台が並んでいた。婦長に従って、第二内科病棟を抜けると奥の坑道に突き当たった。

 婦長は左側を指さして、「こっちが本部よ」と言った。「軍医さんたちの宿舎も本部の手前にあります」

 婦長は反対側の右側に曲がった。本部の方では兵隊たちが威勢のいい掛け声を掛けながら作業をしていた。千恵子たちは本部の方をチラッと見てから右に曲がった。

 奥の坑道は片側だけ寝台が並んでいて、衛生兵の宿舎だという。しばらく行くと右側に第三坑道があり、左側にちょっとした部屋があった。

「ここは内科の治療室よ」と婦長は言った。暗い部屋の中はまだ何もなかった。千恵子たちが治療室を覗いていると、

「ねえ、みんな、こっちを見て」と婦長は反対側の第三坑道を示した。

「ここがあなたたちの職場よ。手前が第四外科病棟で、中央の坑道の向こう側、入口の方が第三外科病棟。どちらも四十四人収容できるわ」

 第三坑道も両側に寝台がずらりと並んでいた。

「どうして、内科の治療室の前に外科病棟があるんですか」と初江が聞いた。

 病院壕の規模の大きさに驚いていた千恵子は気づかなかったけど、そう言われてみればおかしな事だった。

「本来なら第四坑道の突き当たりにあった方がいいんだけど、そこは岩盤が堅かったらしいわ。穴の中だから何かと不便な所はあるけど、みんなで協力してやって行くしかないのよ」

 第三坑道には入らず、まっすぐ進んで第二坑道まで行った。第二坑道の突き当たりにも部屋があり、外科の手術室だった。ここもまだ何もなかった。

「この先の第一坑道があなたたちの宿舎になるんだけど、今はまだ、拡張工事をしているから入れないのよ」

 第一坑道の方から工事中の音が聞こえて来た。婦長は第二坑道を入口の方に向かった。ここは片側しか寝台はなく、しばらく行くと左側に部屋があった。薬剤室だと婦長は説明した。中央を貫く坑道まで来た時、婦長は立ち止まって第四坑道の方を見た。

「今は何もないけど、患者さんが増えれば、ここにも寝台を並べて、病棟になるかもしれないわ」

「そんなにも患者さんが来るんですか」と佳代が聞いた。

「来る事になるでしょうね。そのためにあなたたちが呼ばれたんだから。ここまで患者さんが入るようになると、あなたたちの勤務場所も変更されるでしょう」

 婦長は真っすぐ入口の方に向かった。ここも片側しか寝台はなかった。

「ここは病棟じゃないんですか」と小百合が聞いた。

「今の所はね」と婦長は言った。「ここは患者さんの搬入口なの。ここから手術室や内科の治療室に運ぶのよ。でも、患者さんがいっぱいになれば、ここも病棟になるでしょうね」

 頭の中では、この壕は碁盤(ごばん)の目のように掘られてあるとわかっても、実際に薄暗い穴の中を歩いていると迷路の中をさまよっているような気がした。婦長が言うように、百五十以上もある寝台がいっぱいになる程、患者さんが来るのだろうかと不思議に思った。

 入口に近づくに連れて、艦砲の音が聞こえて来て現実に戻された。外は眩しくて何も見えなかった。しばらくして目が慣れると(はる)か北の方に首里の高台が見え、その左側、那覇の上空は真っ黒になっていた。那覇が爆撃されているに違いなかった。東の方から敵機の編隊が那覇の方に飛んで行った。それを見送っていると、今度は西の方からも敵機の編隊が北の方へ飛んで行った。友軍機は何をしているのかどこにも見当たらなかった。

 トンボに気をつけながら三角兵舎に戻ると婦長は、「ちょっと待ってて」と言って、どこかに消えた。

 自然と以前の内務班の仲間で集まり、あんな穴の中で患者さんの看護をするの、と今見て来た病院壕の感想を述べ合った。

「でも、凄いわね。よくあんなにも掘れたと思うわ」と佳代はしきりに感心した。

「ほんとよね。さすが大日本帝国陸軍よ」と小百合も驚いている。「でも、あんな中に長時間いたら息苦しくならないのかしら」

「それより、あたしは迷子にならないかって心配だったわ」と悦子が言った。

「あたしもよ」と里枝子が同意した。「一人で置いて行かれたらどうしようって、ずっと心配してたの」

「そんなの大丈夫よ。慣れれば何でもないわ」と佳代は笑いながら言うが、千恵子もあんな中に一人で置かれたら泣き出してしまいそうだった。

「トヨちゃんいる?」と誰かが入口の方で呼んでいた。

 見ると内科勤務になった佐和子がいた。

「あら、どうしたの」とトヨ子が佐和子の所へ行った。

「あたし、帰らなけりゃならないの」と佐和子は今にも泣きそうな顔して言った。

「えっ、どうしたの。何かあったの」

「あたし、ここに来る前に除隊願いを出したの。そしたら、今、それが許可されたのよ」

「そうだったの。よかったじゃない」

「だって、家族がどこに行ったのかわからないし、あたし、どこに行ったらいいの」

 佐和子は子供のように泣きだした。千恵子たちが大丈夫よ、きっと会えるわよと慰めても無駄だった。佐和子と一緒に同じ内科勤務の嘉子と春枝も除隊になり、引率の任を解かれた与那覇先生と一緒に去って行った。

「充分に体に気をつけて、お国のために頑張ってくれ」と与那覇先生は言い残し、佐和子と嘉子と春枝を連れて、何度も振り返りながらサトウキビ畑の中に消えて行った。先生もいなくなって、急に心細くなってしまった。上空では、まるで演習でもしているかのように敵の戦闘機が編隊を組んで、次から次へと那覇の方に飛んで行った。

 この日、那覇では『米軍が慶良間(けらま)に上陸した』との噂が流れ、『慶良間の次は間違いなく沖縄本島に上陸するぞ』と人々は慌てふためき、国頭へと向かう幹線道路は疎開する人々でごった返していた。米軍の慶良間上陸は誤認で、実際に米軍が慶良間に上陸したのは翌日の二十六日だった。






山部隊第一野戦病院の推定図



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