沖縄の酔雲庵

沖縄二高女看護隊・チーコの青春

井野酔雲





第二部




8.第一坑道




 紺野見習士官が亡くなったその日の午後六時、夜勤の千恵子たちが内科病棟に行こうとすると、外科病棟から出て来た佳代と出会った。

「チーコ、そっちじゃないわよ、外科の人たちはこっちよ」

「えっ、患者さんがいるの」と千恵子はトヨ子と顔を見合わせた。

「もう大変なんだから。怪我した兵隊さんが運ばれて来たのよ。手や足を切る手術もあったんだから。もう凄いのよ」

「えっ、それ、ほんとなの」

 佳代がからかっているのかもしれないと一瞬思ったが、「ああ、疲れた」と言いながら外科病棟から出て来た初江の顔を見ると嘘ではなさそうだった。

「もう大変よ」と初江も言った。「お昼過ぎ頃、トラックが来て、四人の患者さんが運ばれて来たの。港川の方はもう凄いんだって。艦砲が雨のように飛んで来て、防空壕から一歩も外に出られないんだって言ってたわ」

「頑張ってね」と言いながら佳代と初江は隣の手術室に入って行った。

 今朝、紺野見習士官を埋葬(まいそう)した後、誰もいなくなったはずの外科病棟の中は消毒液の臭いと血の臭いのような異様な臭いが入り交じって、四人の患者さんが唸っていた。顔や手に包帯を巻き、毛布を掛けて寝台に横たわっている。腕のない患者さんもいた。目の前の光景が千恵子には信じられなかった。戦争が間近に迫って来ているのを実感しないわけにはいかなかった。

「後は頼むわね」と言いながら、第三外科の者たちは引き上げて行った。

 千恵子たち夜勤の者たちが入口の所で呆然と立ち尽くしていると、

「あんたたち、何をぼやぼやしてるの」と高良婦長に怒られた。「やる事は昨日と同じよ。早く飯上げと水汲みに行ってらっしゃい」

 昨日の夜勤は第二内科も一緒だったので、飯上げは内科の人がやってくれたが、今日は第四外科だけだった。第五内務班だった六人が飯上げに、第四内務班だった五人が水汲みに行った。二人づつ組んで天秤棒を担ぐので一人が半端になってしまい、交替で釣るべ井戸の汲み上げをした。将校病棟と内科病棟は内科勤務者がやってくれるので、千恵子たちは外科病棟と手術室の水を運べばよかった。それでも、患者のいなかった昨日と違って、手術室も外科病棟も水瓶(みずがめ)が増えていたので十往復もしなければならず、それだけでもう疲れてしまった。水汲みが終わる頃には日もすっかり暮れて、港川方面に飛んでいる艦砲弾がまるで花火のように綺麗に見えた。

 外科病棟に戻ると飯上げの人たちは四人の患者さんの看護をしていて、三人の看護婦が入口の近くで食事をしていた。高良婦長は片腕のない患者さんの看護をしているアキ子に何かを言っていたが、千恵子たちの方に来ると、「御苦労様、あなたたちも早く食事をしなさい」と言って、看護婦たちが食事をしている方を示した。

「大城さんはもう知ってるわね。あちらが上原さん、こちらは伊良波(いらは)さんよ」

 二人の看護婦は食事をしながら軽く頭を下げた。二人とも二十二、三歳位で、上原看護婦はツンとしていて何となく怖そうで、伊良波看護婦は軽く笑い、感じのよさそうな人だった。

「第四外科には五人の看護婦がいるの。あとの二人は儀間(ぎま)さんと久田(くだ)さん、昼間作業をしたので今は休んでいるわ」

 食事が済んだ後、飯上げ当番は食罐と食器を洗いに行き、千恵子たちが患者さんの看護に当たった。高良婦長はあなたはあの患者さんよとそれぞれ看護する患者を指定した。

 千恵子が指定されたのは正美が看護していたうつ伏せに寝ている患者さんだった。枕元の壁に『山三四七六部隊、第二大隊、第三中隊、野口守上等兵』と書いてあった。

 山三四七六というのは部隊の符号だった。山というのは第二十四師団の事で、三四七六は歩兵第八十九連隊の事だった。部隊名を敵に知られてしまうと兵力がわかってしまうので、すべて符号を使っていた。千恵子たちが所属している第二十四師団の第一野戦病院は山三四八六部隊と呼ばれていた。

 毛布から出ている野口上等兵の顔や頭には傷はなく、静かに眠っていた。うつ伏せに寝ているのだから背中かお尻に怪我をしているのだろうけど、毛布をまくってみる勇気はなかった。千恵子は黙って野口上等兵の様子を見守っていた。やがて、正美が戻って来たのでホッとして、「どこを怪我してるの」と聞いた。

「背中が傷だらけみたい。あたしも見てないんだけど、体を伏せた所を艦砲にやられて、艦砲の破片がいくつも背中に刺さったらしいわ」

「艦砲の破片?」と千恵子は聞いた。艦砲の破片と言われても、どんな物なのか思い描く事はできなかった。

「あたしにもよくわからないんだけど、敵の軍艦から大きな大砲の弾が飛んで来て、地面に当たると爆発して鉄の破片が辺り一面に飛び散って、大きな穴があくんだって。ここにいる患者さんは皆、その破片にやられたらしいわ」

「そうなの。その破片て大きいの」

「大きいのに当たると手や足や首ももげちゃうらしいわ。小さいのだとガラスのかけらが刺さったような感じなんだって。しかもね、その破片はとてもさわる事もできないくらい物凄く熱いらしいわ」

 千恵子は物凄く熱いガラスのかけらが体中に刺さった事を想像して身震いした。

「この人、ご飯食べたの」

 正美は首を振った。

「まだ何も食べられないみたい。さっきまで苦しそうに唸ってたけど、注射をしたら楽になったみたい」そう言いながら正美は患者さんの(ひたい)の汗を拭いてやった。

 トヨ子と咲子が看護している隣の患者さんを見ると包帯を巻かれた両手を毛布の上に出していた。

「隣の人は手を怪我してるだけなの」と千恵子は正美に聞いた。

「その人も両手を艦砲の破片にやられたの。でも、小さい破片がいくつか刺さっただけだから、すぐに治るだろうって婦長さんが言ってたわ。両手が使えないから食事の時、あたしも手伝ったけど、食欲も旺盛で元気だったわ」

 千恵子たちには説明してくれなかったが、高良婦長は飯上げの者たちには患者の容態を一人一人説明してくれたという。鈴代とアキ子が看護している患者さんは右手を吹き飛ばされて、手術室で(ひじ)から下を切断した。悦子と信代とキミが看護している患者さんは右足をやられて手術室で(ひざ)の上から切断したという。トミと喜代の姿が見当たらなかった。どこに行ったのと聞くと、「手術室の方に行ったわ」と正美は言った。

「手術があるの」

「わからないけど色々と準備があるんじゃないの」

「そう」と言いながら千恵子は右腕を切断された痛々しい患者さんを見た。右手がなかったら(はし)も持てないし字も書けない。もう戦争にも行けないだろう。可哀想にと思いながら見ていると、「看護婦さーん」とトヨ子が呼んだ。

 振り返ると隣の患者さんが上体を起こしていた。

「どうしたの」と言いながら上原看護婦が来た。

「あの、患者さんがおしっこですって」

「その患者さんは歩けるわよ。連れて行ってあげなさい」

「でも‥‥‥」と言いながらトヨ子は患者さんの両手を見た。

「何を言ってるの。あなたたちはもう女学生じゃないのよ。看護婦なのよ。患者さんの(しも)のお世話をするのも仕事なのよ」

 上原看護婦はさっさと戻ってしまった。

「すみません」と患者さんがすまなそうに謝った。二十歳を過ぎたばかりの若い一等兵だった。

 困ったような顔してトヨ子はチラッと千恵子を見たが、意を決したかのように咲子を促し、患者さんを連れて外にある(かわや)に向かった。しばらくして、患者さんはすっきりした顔で戻って来た。トヨ子は何事もなかったような顔をしていた。

 千恵子は正美と顔を見合わせ、「できる」と聞いた。

 正美は首を振った。

「あたしも駄目よ。そんな事できないわ」

 末の弟のおしっこをさせた事はあるけど、大の大人のおしっこをさせるなんて、そんな事できるわけないと思いながら目の前の患者さんを見た。千恵子たちの患者は厠まで行けそうもなかった。寝たままおしっこをさせなければならないし、もしかしたら、大便の処理もしなければならないのだろうかと思うだけでゾッとした。どうか、朝まで眠っていてくれと胸の中で祈った。

 八時頃、車の音が聞こえたかと思うと、高良婦長が飛び込んで来た。

「新しい患者さんよ。水汲みをした人たちは手術室の方に集まって」

 千恵子たち五人が外に出ると明かりを消したトラックから担架に乗せられた患者さんが次々と手術室の方に運ばれていた。

 新しい患者さんは五人だった。高良婦長が衛生兵から患者の様子を聞き、一番重傷の患者が手術台の上に運ばれた。顔は泥まみれで、くるんであった毛布をはがすと上半身と右腕に包帯がグルグル巻かれ、血で真っ赤に染まっていた。千恵子は思わず目を背けた。

「あんたたち何をぼやっとしてるの」と婦長に怒られ、後は看護婦に命じられるままに動いた。

 内科からも助っ人が五人来た。澄江や和美もいたが無駄話をする状況ではなく、訳がわからないまま、お湯を沸かしたり、手術器具を消毒したり、ガーゼや薬品の用意をしたり、忙しく動き回った。

 石黒軍医が落ち着いた顔してやって来ると手術が始まった。千恵子たちは昨夜と同じようにローソクを持って手術台を照らした。手術室勤務の喜納(きな)看護婦が体に巻いた包帯をはずすためにハサミを入れた。患者さんが痛そうに顔を歪めた。

「アチッ」と千恵子は思わず叫んだ。ローソクのロウが手の指に垂れてきて、とても熱かった。喜納看護婦に(にら)まれて、千恵子は謝り、熱いのを我慢する事にした。

 血だらけの包帯をはずすと傷だらけの体が現れた。胸の所の大きな傷は皮がめくれて中の肉が見え、血が溢れ出ていた。ムッとした血の臭いで気分が悪くなり、気が遠くなりそうだった。

「チーコ」とトヨ子に言われ、千恵子はハッと我に帰った。

 石黒軍医は脱脂綿で血を拭き取りながら傷の具合を調べていた。喜納看護婦が右腕の包帯もはずした。かなりの脱脂綿が傷口に詰めてあり、血だらけのそれを取ると、腕の肉は半ばえぐり取られていた。その傷口を()の当たりにした留美がへなへなと倒れた。

「こら、気をつけろ」と軍医が怒鳴り、留美に代わって朋美がローソクを持った。

 上原看護婦が麻酔の注射をして、軍医がメスを持った。伊良波看護婦と大城看護婦が患者の体をしっかりと押さえた。傷口を広げると鉄の破片が顔を出した。患者が悲鳴を上げるのも構わず、軍医は破片を引っ張り出した。鉄の破片は鋭くとがっていて、三センチ位の大きさだった。傷口から次々と破片が出て来たが千恵子は見ていなかった。とても正視する事はできなかった。

 二人目の患者も三人目の患者も体から鉄の破片がいくつも出て来た。

 四人目の患者は右の足首から先がグチャグチャになっていて、切断するしかなかった。腰椎(ようつい)に麻酔注射を打ったら数分で患者の意識はなくなった。足首を消毒してメスを入れると血と共に白い脂肪が飛び出した。肉を削り取って糸(のこ)のような細い歯の付いた鋸で骨を切る。骨を切る時の音は何とも言えず、気味悪かった。切り落とした足は大城看護婦が無造作につかむと、汚れた包帯が捨ててある汚物入れの中に投げ捨てた。切り口の肉はメスでえぐり取られ、血管やら神経やらを引っ張って結び、皮は縫合された。包帯を巻かれた足は棒のようになってしまい、もう靴を履く事もできず、可哀想だった。

 五人目の患者は左肩に小さな破片が四つ入っていただけの軽傷だった。

 手術が終わったのは十二時を過ぎていた。ローソク持ちを交替した後、夜中だというのに水汲みをやらされ、もうくたくたになっていた。手術の済んだ患者は外科病棟に移された。喜代とトミが手術室の後片付けをするために残り、内科からの助っ人も帰り、千恵子たちは外科病棟に戻った。

 患者の数は九人になって、それぞれが一人づつ担当した。千恵子の患者は三番目に手術台に乗った人だった。胸と横腹を破片にやられていて、手術の時、着ていた血だらけの軍服をハサミで切られてしまい、ふんどし一丁だけにされていた。破片はいくつも出て来たが、内蔵までやられていないので大丈夫だろうと軍医さんは言っていた。麻酔が効いているのか、おとなしく眠っていた。千恵子はすぐに、おしっこの事を考えた。この患者さんはまだ歩けそうもないが両手は使えた。尿器を渡せば自分で始末するだろうと思い、安心して壁に貼ってある名前を見た。『山三四八〇部隊、第二中隊、浜田誠一伍長』と書かれてあった。

「浜田伍長殿、早くよくなって下さいよ」とつぶやきながら額の汗を拭いてやった。

 その夜の夜勤は長かった。足を切断された患者さんが麻酔から覚めて、痛い痛いと泣きわめき、腹部をやられた患者さんは水をくれと叫んでいた。重傷の患者には絶対に水をあげてはならないと看護婦さんが言うので、看護している信代は困ったようにおろおろしていた。右腕を失った患者さんは泣きながら、家に帰りたいと言って咲子を困らせていた。浜田伍長はおとなしく寝ていたので安心していたら、突然、異様な臭いが漂って来た。

「看護婦さん、すみません。もらしてしまいました」と浜田伍長は申し訳なさそうに言った。

「えっ」と千恵子は驚いて毛布をまくった。鼻を摘まみたくなるような悪臭を我慢して見ると、ふんどしは汚れて下痢のような便が下に敷いた毛布にあふれていた。

「看護婦さーん、大変です」と千恵子は叫んだ。

 伊良波看護婦が来て、様子を察するとすぐにバケツに水を入れて持って来た。

「綺麗に拭いてあげなさい」と言って、伊良波看護婦は浜田伍長が掛けていた毛布をはがし、汚れていないのを確認してから隣の空いている寝台に置くと、汚れたふんどしをはずして丸めて持って行った。

 千恵子の目の前に素っ裸の男が横たわっていた。驚きやら恥ずかしさやらで、濡れた手ぬぐいを持ったまま、ぼうっとしていると、「すみませんねえ」と浜田伍長が左手で前を隠しながら恥ずかしいそうに言った。

「大丈夫ですよ。気にしないで下さい」

 千恵子は浜田伍長の腰を少し移動させて、汚れたお尻を拭いてやった。伊良波看護婦が隣の寝台に新しい毛布を敷き、信代と悦子に手伝ってもらって浜田伍長を移動した。浜田伍長は苦痛に顔を歪めながらも、何度も何度も、すみませんと謝っていた。

 ようやく長かった夜が明けて、午前六時の勤務交替になった。

 今日も六時から敵の空襲が始まった。千恵子たちは敵機に気を付けながら富盛集落の井戸に行き、手を洗い、顔を洗い、体を拭いて宿舎に戻った。飯上げをして朝食を食べたが、手術の事が思い出されて食欲はなかった。「腹、減った」と言いながら、食欲旺盛なトヨ子が羨ましかった。

 何となく近づいて来ているような爆撃の音や艦砲の音を聞きながら、疲れていた千恵子はぐっすりと眠った。

 四時頃起きて、井戸端で洗濯しながら、みんなで歌を歌ったりしているうちに、あっと言う間に勤務時間になり、外科病棟に行くと患者の数は十一人に増えていた。二人増えたのかと思っていたら、そうではなくて、昨夜入院した患者さんで腹部に重傷を負っていた森田一等兵が亡くなって埋葬したので、増えたのは三人だという。昨夜、森田一等兵の看護をしていた信代は、「お水を飲ませてあげればよかった」と涙ぐみながら言った。

 怒られないうちに水汲みに行こうとしたら、飯上げと水汲みは後でいいと言われた。

「敵が明日にでも港川に上陸する可能性が高くなりました」と高良婦長は言った。

 千恵子は耳を疑った。敵がこの沖縄に上陸するなんて信じられなかった。誰もがそんな事はあり得ないと思い、まさか、そんなの嘘よと言っていた。

「静かにしなさい。まだ、敵が上陸すると決まったわけではありません。でも、危険が迫っているのは確かです。患者さんたちを安全な所に移さなければなりません。今からすぐ、患者さんたちを病院壕の方に移します。手術を終えたばかりの患者さんもいるので充分に注意して下さい」

 歩ける患者さんには肩を貸し、重傷の患者さんは担架に乗せて病院壕に運んだ。千恵子たちの力では二人で担架を運ぶのは無理だった。四人で運ばなければならない。衛生兵が手伝ってくれたので助かった。千恵子たちだけだったら、とても十一人もの患者さんの移動はできなかった。

 千恵子とトヨ子は歩ける患者さんを両側から支えて連れて行った後、最後に残されていた野口上等兵を衛生兵と一緒に担架に乗せて運んだ。運んだ所は第三坑道の第三外科病棟で入口に近い寝台から順に埋めて行き、重傷患者を上の段に軽傷患者を下の段に寝せた。

 三角兵舎に戻ると誰もいなかった。病院壕の方にもいなかったし、一体、どこに行ったのだろうと思いながら、二人で話し込んでいると高良婦長が顔を出して、「あなたたち、何してるの」と聞いてきた。

「みんなを待ってるんですけど、どこに行ったんですか」

「何をのんきな事を言ってるの。あなたたちも第一坑道の方に引っ越しなのよ。みんな、自分の荷物を持って向こうに行ってるはずよ」

 千恵子とトヨ子には初耳だった。二人は慌てて宿舎に帰った。二人の荷物だけが残っていて、もう誰もいなかった。

「毛布も持って行くのかしら」と千恵子は回りを見た。

「みんな持って行ったみたいよ」

 救急袋を肩に掛け、リュックを背負い、毛布を持ってみたが、四枚は持てなかった。

「駄目よ、持てない」と千恵子が言うと、

「無理ね」とトヨ子も抱えようとしていた毛布を下に落とした。「きっと、みんな、二往復したのよ」

 外に出ると、もう薄暗くなっていた。東の空に満月が浮かび、艦砲が次々に撃ち上がっていた。一番右側にある第一坑道に入ると中は賑やかだった。二高女の生徒だけでなく、衛生兵たちも引っ越ししているようだった。第一坑道は第二坑道と同じように右側だけに寝台が並んでいた。衛生兵たちの間を抜けて、どんどん奥へ入って行くと、中央を貫いている坑道の所に米田軍曹がいた。

「お前たちは向こうだ」と奥の方を示した。

 そこから奥は幅が広くなっていて、右の壁際と中央に二段の寝台が並んでいた。

「チーコ、あたしたちはここだって」とトヨ子が言った。見ると、すぐそこだった。壁際の手前から三番目だった。

「あんたたち何してたの」と向かい側の寝台にいたトミが聞いた。

「何って、みんなが置いて行っちゃったんじゃない」

 トミの上には信代がいた。千恵子たちの隣にはアキ子がいて、その上には正美がいた。向かい側には悦子と鈴代がいて、どうやら、第四外科の者たちは皆、手前の方にいるようだった。

「ねえ、チーコ、上と下、どっちがいい」とトヨ子が聞いた。

「えっ、あたし、下でいいわよ」

「それじゃあ、あたしが上ね」とトヨ子は上の寝台に荷物を上げた。

 二人が毛布を取って戻って来ると、二人の右隣の寝台に笠島伍長がいた。

「おう、そこはお前たちか。よろしく頼むぞ」

「えっ」と千恵子は驚いて、トヨ子と顔を見合わせた。

「笠島伍長殿がそこに寝られるのですか」とトヨ子が聞いた。

「そうだ。お前たちの監督役みたいなもんだな。困った事があったら遠慮はいらんから何でも言え。上には井田伍長が来るはずになっている」

 井田伍長は顔は見た事あるかもしれないけど、よく知らなかった。

「米田軍曹殿はそこだ」と笠島伍長は一番隅にある寝台を示した。

 米田軍曹の姿はなく、上の寝台に顔は見た事あるが、名前は知らない軍曹がいた。

 千恵子とトヨ子は誰がどこにいるのか調べるために奥の方に向かった。千恵子たちの寝台から四番目の所に本部勤務の晴美と利枝がいた。六番目に小百合と佳代がいた。その向かいに初江と房江がいた。八番目に澄江と留美がいて、九番目に和美と朋美がいた。一番奥に妙子とナツがいて、奥の坑道に並んでいる寝台には看護婦たちがいた。

 千恵子とトヨ子が奥の坑道を見ていると、向こうから幸江と政江がやって来た。

「ねえ、聞いて」と幸江が嬉しそうな顔して言った。「村田伍長さん、この先にいるのよ」と向こうの方を指さした。村田伍長は二枚目で優しくて格好いいので、生徒たちに人気があった。

「その少し先には矢野兵長さんもいるのよ」と政江は言った。矢野兵長も歌がうまくて二枚目なので人気があった。独身だと思っていたら、郷里の長野県に奥さんがいて、赤ん坊が生まれた事を嬉しそうに話してくれた。奥さんがいると聞いてがっかりした子もいたけど、相変わらず人気はあった。

「そうなんだ」とトヨ子が言った。「あたしたちの側には(ひげ)ダヌキ(笠島伍長)と鬼軍曹(米田軍曹)がいるのよ。何だか見張られてるみたいだわ」

 高良婦長が中央坑道の辺りで、夜勤の人たちは早く仕事に戻りなさいと言っていた。

「あっ、行かなくっちゃ」と千恵子とトヨ子は幸江と政江と別れて自分の寝台の方に戻って行った。







山部隊第一野戦病院の推定図



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