沖縄の酔雲庵

沖縄二高女看護隊・チーコの青春

井野酔雲





第二部




9.米軍上陸




 壕内の第三外科病棟は少しづつ患者の数が増えて行き、三月三十一日の夜には二十三人になっていた。皆、港川方面で艦砲の破片にやられた患者だった。手術室も壕内に移り、運び込まれた患者は手術室で治療を受けてから衛生兵によって第三外科に運ばれた。

 その夜は四人の患者が運ばれて来た。顔をやられて顔中に包帯を巻いた患者、両足を破片にやられた患者、顔と上半身をやられた患者、背中をやられた患者で、皆、悲惨だったけど、幸いに手足を切断された患者はいなかった。軍隊では軽傷を一報(いっぽう)患者、重傷を二報患者、危篤(きとく)を三報患者、死亡者を四報患者と呼んでいて、その夜の患者は一報が二人に二報が二人だった。

 昼間の勤務者は水汲み、朝食と昼食の飯上げ、それに治療と包帯の交換などがあるが、千恵子たち夜勤者は水汲みと夕食の飯上げだけで、後は看護に専念すればよかった。軽傷の患者さんは眠ってしまうので、苦しんでいる重傷の患者さんの世話をすればよく、時々、大小便の始末をした。お漏らしをしてしまった浜田伍長の世話をしてから、千恵子は度胸がついて、両手が仕えない患者さんのおしっこや大便の世話もできるようになっていた。壕の中が薄暗いので恥ずかしさもいくらか和らぎ、やらなければならないという使命感の方が(まさ)っていた。

 夜も明け、あともう少しで十二時間勤務も終わるという頃だった。突然、轟音が響き渡り、壕内がグラグラっと揺れた。天井から岩のかけらや砂が落ちて来て、上段に寝ている患者たちが騒ぎ、生徒たちも悲鳴をあげた。汚物入れの一斗罐に溜まった糞尿(ふんにょう)を外にある(かわや)に捨てに行こうとしていた千恵子とトヨ子は入口の側にいて、よろけそうになって思わず膝をついた。

「何なの。何があったの」とトヨ子が入口の番をしている歩哨兵(ほしょうへい)に聞いた。

「艦砲弾が落ちた」と入口を隠している木の枝葉の間から外を覗いていた歩哨兵は驚いた顔して振り返った。「三角兵舎が吹っ飛んじまった」

 歩哨兵が示す方を見ると、土煙が舞い上がっていて、第三坑道の正面辺りにあった衛生兵と看護婦の宿舎だった三角兵舎が二つなくなって大きな穴があいていた。その威力のすさまじさに千恵子は膝がガクガク震えた。

「凄い」とトヨ子が言った。凄いなんてもんじゃなかった。あんな爆弾にやられたら生きてなんかいられない。港川ではあんなのが雨のように降って来るなんて、考えただけでも気が狂いそうだった。

「艦砲は一度落ちて来たら、続けざまに来るからな。気をつけろ」と歩哨兵は言った。

 言い終わらぬうちに第二弾が飛んで来た。かなり離れたサトウキビ畑に落ちて、黒い煙と一緒にサトウキビやら土やらが遠くまで飛び散った。その爆発音は物凄かった。次々に艦砲弾は落ちて来たが、だんだんと西の方に離れて行った。

「敵は山部隊の司令部を狙ってるのかもしれんな」と歩哨兵は言った。

 山部隊の司令部は八重瀬岳より二キロ程西にある与座岳(よざだけ)にあると千恵子は聞いていた。

「大丈夫よ、皆さん。早く仕事に戻りなさい」という高良婦長の声がした。

 振り向くと心配そうな顔して看護婦や生徒たちが皆、集まっていた。

「もう大丈夫だろう」と歩哨兵が言うので、千恵子たちは糞尿を捨てに外に出た。

 空を見上げると青空が広がっていた。那覇の方から聞こえる空襲の音と近くの艦砲の音さえなかったら、本当にいい天気だった。

「凄いわね」と糞尿を厠に捨てた後、トヨ子が艦砲弾の穴を見ながら言った。確かに凄かった。あっと言う間に三角兵舎が二つもなくなり、直径十メートル以上の大きな黒い穴があいていた。

「みんな、あんなのにやられたのね」と千恵子は言った。

「そうよ。手や足がもげちゃうなんて当たり前なのよ。きっと何人も亡くなってるんだわ。ここに運ばれて来た人は運がいい人なのよ」

「そうね。恐ろしいわね」

 夜勤が終わり、寝台にもぐっても何度か揺れが来て、恐ろしくて眠れなかった。

 南風原(はえばる)の陸軍病院にいる姉や浩子おばさんも国民学校から壕内に移って負傷兵たちの看護をしているのだろうか。康栄と安里先輩は大丈夫だろうか。首里にも恐ろしい艦砲が飛んで来るのだろうか。父はどうしているのだろう。皆の無事を知りたかったが、それを知る手段はなかった。早く戦争が終わる事を願うしかなかった。

 四時頃起きて、トヨ子たちと一緒に顔を洗いに富盛集落の井戸まで行こうとして入口まで来たら、三角兵舎がまた二つ壊れていた。一つは全壊で、もう一つは半分がなくなって(みじ)めな姿になっていた。

 歩哨兵に聞くと、正午近くに敵の戦闘機がやって来て爆弾を落として行ったという。作業をしていた衛生兵が何人か怪我をしたが、幸いに死者も重傷者も出なかった。その後、敵機は来ないが気をつけて行けと言われ、千恵子たちは上空を見上げながら坂道を駈け降りた。

 井戸に行くと同じ夜勤の第二内科の澄江、朋美、和美、留美がいた。話を聞くと内科の患者は二人増えただけなので、交替で手術室勤務になり、ローソク持ちをやっているという。将校病棟勤務だった朋美と和美も壕内に移ってからは、将校と一般兵の区別がなくなって澄江たちと一緒に勤務していた。

昨夜(ゆうべ)は手足の切断はなかったけど、顔中に破片が刺さっている人がいて、可哀想で見てられなかったわ」と朋美が首を振りながら言った。「その人、沖縄の人でね、アガーヨーって叫ぶのよ。普段はヤマトゥグチ(標準語)をしゃべっていても、やっぱり、ああいう時はウチナーグチ(沖縄方言)が出るのね」

「目にも破片が刺さってたのよ」と澄江はさも痛そうな顔をした。

 千恵子は顔中に包帯を巻いた患者さんを思い出した。名前を見て沖縄の人だなと思ったけど、そんなひどい目に会っていたなんて知らなかった。

「それよりもびっくりしたのはあれよ」と留美が顔を赤らめながら言った。

「やだあ」と和美が留美の背を叩いた。

「なあに。あれって何よ」と千恵子は興味深そうに聞いた。

「そんな事、あたし言えないわ」と留美がさらに顔を赤らめると、

「あそこに破片が刺さってたのよ」と朋美が笑いながら言った。

「あそこって、あれ。チューチュー(ちんちん)の事」とトヨ子が聞いた。

「そうなのよ」と和美が言って説明した。「その患者さんは両足に細かい破片がいっぱい刺さっていて、軍医さんが根気よく一つづつ取り終わって、よし、次の患者って言ったら、その患者さんが、まだありますって言うのよ。そして、自分でふんどしをずらして、あそこを見せたのよ。そしたら、チューチューに‥‥‥」

「やだあ、和美ったら、じっと見てたの」

「だって、あたしたちの仕事は患部を照らす事でしょ。見ないわけにはいかないじゃない。それより看護婦さんよ。平気な顔して包帯を巻いてるのよ」

 薄暗くて蒸し蒸ししていて息苦しい穴蔵暮らしの中で、井戸端でのほんの一時の無駄話が今の千恵子たちの一番の息抜きになっていた。

 第三外科病棟に行くと患者は二十九人に増えていた。昼間、一報患者が二人と二報患者が四人運ばれて来たという。その中でも悲惨だったのは両手両足を切断されて、体中に包帯を巻いた北村上等兵だった。上段の寝台にまるで荷物のように置かれてあり、薄暗い壕内では気をつけて見なければ患者だとはわからなかった。現に、少し遅れて来た信代が荷物と間違えて、婦長に怒られた。

 その夜は八人もの患者が運び込まれて来た。いつもは四、五人なのに、八人も来るなんて敵の攻撃が激しくなっているのを物語っていた。

 左足を切断された二報患者は悔しそうに泣いていた。両足を切断された二報患者は麻酔が効かないのか、手術の時も手術の後も、痛い痛いと大声でわめき続けて千恵子たちを困らせた。左腕を切断された二報患者は、俺の腕を返してくれと叫んでいた。右手首を切断された二報患者は背中もやられていて、うつ伏せになったまま苦痛にじっと耐えていた。胸部をやられた二報患者は呼吸する度にピーピーと喉を鳴らしていた。右腕と右足をやられた一報患者と左肩をやられた一報患者は破片を抜いてもらって安心したのか、おとなしく眠っていた。両ももを負傷した一報患者は意識もはっきりしていて港川の状況を教えてくれた。

「今朝早くから艦砲が物凄く、海上にずらりと並んだ敵の軍艦からは上陸用の船が行ったり来たりしていたんだ。まもなく、敵が上陸するに違いないと思ったが、俺は艦砲に両足をやられちまって動く事ができなくなった。敵の攻撃が激しくて、昼間のうちは陣地壕から出る事はできず、夕方になって担架に乗せられて外に出て、海を見て驚いた。何と敵の軍艦が一隻もいないんだ。友軍が来て追っ払ってくれたのに違いないと担架の上で万歳をしたのさ」

 千恵子たちはその話を聞いて大喜びをした。いよいよ日本軍の反撃が始まったんだ。無敵の連合艦隊がやって来て米軍をやっつけ、戦争もまもなく終わるに違いない。そう思うと嬉しくて、千恵子たちはせっせと看護に励んだ。しばらく忘れていた歌も自然と口から出て来て、『勝利の日まで』を歌いながら患者たちの世話をした。

 夜明け前の四時頃だった。本部勤務の晴美がやって来た。本部勤務は昼間だけと聞いていたので、今頃、何をしてるのだろうと不思議に思ったが、日本の勝利の知らせが届いたので起こされたに違いないと思った。晴美は高良婦長を捜すと何事か耳打ちした。婦長はうなづいて本部の方に向かった。

 千恵子は晴美を引き留めて、「ねえ、日本の大勝利で敵は逃げて行ったんでしょ」と聞いた。

 晴美は驚いたような顔をして、「チーコ、なに言ってるの」と言ってから、千恵子を中央坑道の方に誘って、「まだ極秘なんだけどね」と声を潜めて、「敵が沖縄に上陸したのよ」と言った。

「えっ、晴美こそ、なに言ってるのよ。そんなはずないでしょ」千恵子は信じなかったが、

「ほんとなのよ」と晴美の顔は真剣だった。

「そんな馬鹿な」

「あたしだって信じられなかったけど本当なのよ。昨日の四月一日、午前九時頃、敵は嘉手納(かでな)から北谷(ちゃたん)に掛けての海岸から上陸したらしいのよ」

「敵が沖縄に上陸‥‥‥」千恵子は言葉を失った。鬼畜(きちく)と呼ばれる恐ろしいアメリカの兵隊が、この沖縄の地に上陸したなんて信じられるはずがなかった。

「そうなのよ。敵がいよいよ沖縄に上陸しちゃったのよ」

「嘉手納から北谷て言ったわね。港川じゃないのね」

「そう。港川は敵の陽動作戦だって言ってたわ」

「陽動作戦?」

「日本軍の兵力を分散させるために、敵は港川に上陸する振りをしてたんだって隊長さんが言ってたわ。それにね、敵が上陸するのは最初からの作戦なんだって言ってたわよ」

「えっ、それどういう事なの」

「あたしにもよくわからないけど、敵を上陸させてから一気に壊滅させる作戦なんだって隊長さんが軍医さんたちに言ってたわ」

「そうなの‥‥‥でも、そんな事できるの。敵はもう沖縄にいるんでしょ」

「大丈夫よ。心配ないわ。守りは完璧(かんぺき)だって言ってたわ。敵なんかすぐに海に追い返しちゃうわよ」

「そうね」と言ったが千恵子は心配だった。鬼のようなアメリカ兵が上陸して嘉手納や北谷の人たちは皆、殺されてしまったに違いない。男たちは戦車に()かれ、女たちは皆、着物を剥がされて裸にされ、(はずかし)められてから殺されたに違いない。目を覆いたくなるような悲惨な地獄絵が繰り広げられたに違いなかった。嘉手納と言えば信代の家があった。信代の家族は無事に逃げられたのだろうか。信代に知らせなければならないと思っていると、「チーコ、浜田伍長さんが呼んでるわよ」と鈴代が呼んだ。

「えっ」と千恵子は振り返った。浜田伍長は入口から三番目の寝台の上段に寝ていた。千恵子を呼んだ鈴代はその向かい側の下段の患者さんの世話をしていた。おしっこなら尿器をもらえば一人でできるはずだし、何だろうと思いながら、千恵子は晴美に敬礼の真似をして、「またね」と別れた。晴美も敬礼を返して奥の方に去って行った。

 入院患者の数が増えて来たので、誰が誰を看護するとは決めてないが、患者から見ると最初に世話をしてくれた者を頼りたがり、浜田伍長も何かと言えば、千恵子を呼んでいた。千恵子も当然の事のように面倒を見ていた。

 浜田伍長は横腹を怪我しているので、通路の方を向いたまま寝返りが打てなかった。床擦れがひどく、下に敷く毛布を一枚増やしてやったけど苦痛は治まらないようだった。千恵子の顔を見ると嬉しそうに笑ってから、「すみません」と言った。

「痛いのですか」と聞くと、

「いいえ、大丈夫です」と言ったが、痩せ我慢をしているのがわかった。

「すみません、上を向いた方が楽のような気がするんです。でも、痛くて自分の力ではどうにもなりません。手伝っていただけないでしょうか」

 千恵子はうなづいて、踏み台にしている木箱を持って来ると、掛けている毛布をはがした。浜田伍長は千恵子がガーゼで作ったふんどしをしているだけなので、千恵子以外の者には恥ずかしくて頼めなかったのに違いなかった。千恵子は腰を持ち上げるのを手伝い、ゆっくりと浜田伍長の体を動かした。浜田伍長は痛そうに顔を歪めながらも上体を上に向けた。

「大丈夫ですか」と聞くと、

「はい。少し楽になりました。どうもありがとう」と言って笑った。

 千恵子は毛布を掛けてやり、顔の汗を拭いてあげてから、「痛かったら、呼んで下さいね」と言って、その場を離れた。

 信代を捜していたら近くにいた悦子が、「看護婦さーん」と必死になって呼んでいた。

「どうしたの」と千恵子が声を掛けると、悦子は泣きべそをかいたような顔をしていた。

「さっきまでうわ言のように、水をくれって言ってたのに、急に黙り込んじゃったのよ。何を言っても返事をしないの」

「水をあげたの」

 悦子は首を振った。

「さっきも欲しいって言ってたのよ。看護婦さんに聞いたら、絶対にあげちゃあ駄目だって言うんであげなかったの。可哀想で見てられなかったから、他の患者さんの所に行って、でも気になって戻って来たら、また、水をくれって言って、辛そうな顔して手を伸ばすのよ。あたし、看護婦さんに怒られると思ったけど、少しだけならいいと思って水を汲んで来たんだけど、もう何も言わないのよ」

 伊良波看護婦が来て患者さんの脈を取ると首を振った。二日前に入院した中村一等兵で、腹から腰にかけて大きな破片が幾つも刺さり、内蔵が飛び出す程の重傷だった。傷口の縫合はうまく行ったのに、充分な薬品や器材がないために亡くなってしまった。亡くなる前に水を飲ませてあげればよかったと悦子は泣いた。

 これで三人目の死亡者だった。爆風にやられた紺野見習士官、腹部をやられた森田一等兵、そして、中村一等兵。森田一等兵も死ぬ前に水を欲しがり、看護していた信代は水をやればよかったと後悔していた。

 重傷の患者には水をやるな。水を飲んだら必ず死ぬと軍医も看護婦も言っていた。でも、どうせ死ぬのなら、やはり水を飲ませてあげたいと思うのは当然の事だった。どっちが正しいのか千恵子にはわからなかった。

 亡くなった中村一等兵の側に生徒たちが集まって来た。信代もいた。悲しそうな顔して中村一等兵を見ていた。千恵子には嘉手納に敵が上陸した事を告げる事はできなかった。亡くなった人を前にして、今、その事を言うべきではないような気がして、仕事が終わってからにしようと決めた。

 中村一等兵は夜が明けてから以前の二人と同じように、病院壕から百メートル位離れた畑の中に埋葬され、内地式の墓標が立てられた。悦子は野の花を摘んで墓前に供えながら、いつまでも泣いていた。







山部隊第一野戦病院の推定図


米軍上陸地点



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