沖縄の酔雲庵

沖縄二高女看護隊・チーコの青春

井野酔雲





第二部




10.神風特攻隊




 午前六時から夕方の五時まで、那覇や首里方面の敵の空襲は連日続いていた。三月二十三日に始まって、もう半月にもなるというのに、毎日毎日、大量の爆弾を落としても尽きる気配はまったくなく、敵の物量にただ呆れるばかりだった。

 不思議な事に夕方の五時から六時までの一時間は、敵も夕飯を食べているのか、勤務の交替時間なのか、戦闘機も飛ばず、艦砲弾も落ちず、急に静まり返った。そして、六時を過ぎると照明弾と艦砲射撃が一晩中続き、朝の五時になると、また静かになった。

 四月一日に上陸した米軍は、その日のうちに嘉手納にある中飛行場と読谷山(よみたんざん)にある北飛行場を占領し、三日には石川まで進攻して沖縄本島を南北に両断してしまった。敵に追われた中城(なかぐすく)浦添(うらそえ)西原(にしはら)の住民たちは首里を目指して逃げ惑い、艦砲や爆弾の炸裂(さくれつ)する中、主要道路は避難民で溢れていたという。家族が国頭(くにがみ)に疎開している生徒は、もう家族に会えないと嘆き、中頭(なかがみ)(沖縄中部)に家族がいる生徒は家族の無事を必死に祈っていた。

 上陸以来、敵の攻撃は司令部のある首里に集中しているようで、首里の南の南風原辺りも黒煙が立ち昇り、物凄い爆発音が終日鳴り響いていた。八重瀬岳の野戦病院も三角兵舎は全部、爆弾にやられてしまった。それでも、三角兵舎がなくなってからは、上空を飛んでいる敵機が爆弾を落とす事は滅多になく、艦砲弾も滅多に落ちなかった。時々、偵察に来るトンボに気をつければ、飯上げも水汲みもそれほど危険ではなかった。

 四月六日の正午、気持ちよく眠っていた千恵子たち第四外科の者たちは伊良波(いらは)看護婦にたたき起こされた。

「ねえ、みんな、起きてちょうだい。今から勤務体制が変わるのよ」

 千恵子たちは寝ぼけていて、伊良波看護婦が何を言っているのかよくわからなかった。

「いい、よく聞いて。今から第三外科と第四外科は分かれて、それぞれ勤務に就く事になったの」

「どういう事ですか」と千恵子の上の寝台にいるトヨ子が寝ぼけた声で聞いた。

「だから、今まで第三外科も第四外科もなく、第三が日勤で第四が夜勤だったでしょ。今から第三外科病棟の患者さんは第三外科が看て、第四外科病棟の患者さんは第四外科で看る事になったのよ」

 外科病棟に入院する負傷兵の数は日に日に多くなり、今では第三外科病棟も第四外科病棟もほとんど埋まっている状態だった。

「それで、勤務時間の変更をしなけりゃならないの。いい、これから(くじ)を引いて、当たった人は今から六時まで勤務に就くのよ」

「えっ」とみんなが一斉に声を出した。

「そんな、まだ四時間位しか寝てないのに」

「六時間頑張ればゆっくり休めるわ。文句言わないの。苦しんでいる患者さんの身になってごらんなさい」

 千恵子たちは仕方なく、伊良波看護婦が差し出した紐の籖を引いた。悦子が一番先に引くと何の印もなかった。

「はずれよ。あなたは今まで通り夜勤だから、そのまま寝ていていいわよ。赤い印があったら日勤だから、すぐに仕事よ」

 千恵子は当たってしまった。籖に当たり、昼間の勤務に移ったのは、千恵子、トヨ子、鈴代、トミ、正美、咲子の六人だった。夜勤は悦子、信代、アキ子、キミ、喜代の五人で、助かったと喜び、あくびをしながら横になった。

 顔を洗う暇もなく、千恵子たちは伊良波看護婦に連れられて第四外科に向かった。

 奥の坑道にある看護婦たちの寝台の前を通り、手術室が近づくにしたがって消毒液の臭いが鼻を突いてきた。手術室を覗くと手術が終わった後なのか、看護婦と一緒に内科勤務の幸江や聡子たちが後片付けをしていた。幸江たちに軽く手を振って、奥の坑道をさらに進んだ。手術室から先は衛生兵たちの寝台が左側に並んでいる。衛生兵は夜勤の人が少ないので、ほとんどの寝台は空っぽだった。第三外科と第四外科のある第三坑道に近づくにつれて、今度は異様な臭気が鼻を突いて来る。血と(うみ)と患者たちの汗と体臭、それに糞尿の混ざった臭いで、いつも、ここに入る時は思わず鼻をつまみたくなるけど、伊良波看護婦が平気な顔をしているので千恵子たちはじっと我慢した。

 看護婦たちも昼と夜に分かれ、伊良波看護婦、大城看護婦、久田(くだ)看護婦が日勤で、上原看護婦と儀間(ぎま)看護婦が夜勤だという。男勝りだけど優しい伊良波看護婦が日勤で、何となく近寄り難い上原看護婦が夜勤だったので、千恵子は少しホッとしていた。でも、高良婦長も夜勤のままで、日勤の婦長は川平(かびら)婦長と聞いて、がっかりした。いつもきびきびしている高良婦長を千恵子は尊敬していた。何となく、浩子おばさんと性格が似ていたからかもしれない。川平婦長は内科勤務者の指導に当たっていて、昼夜二交替制になってからは日勤だったので、千恵子たちとは今まで縁がなかった。内科勤務の澄江や朋美によると、いつも落ち着いていて滅多に怒らないけど、なぜか看護婦たちからは恐れられているらしいという。その川平婦長は内科病棟の方にいるのか見当たらなかった。

「いい、一応、中央坑道から奥が第四外科だけど、第三外科の患者さんに声を掛けられても、それなりの応対をしなけりゃ駄目よ。あたしたちには関係ないって無視したりしないでね。さあ、眠いだろうけど、さっそく飯上げから始めてちょうだい」

 昼間の勤務者は六人なので、全員でしなければならなかった。第三外科も籖で決めたらしく、五人が夜勤になって引き上げていた。日勤として残った中に小百合と初江がいた。今まで勤務時間が違って、ろくに話もできなかったので、日勤になってよかったと千恵子は喜んだ。

 第四外科には三十六人の患者がいて、食事も取れない重傷患者が十人、手を切断されるか動かす事ができず、自力で食事を取れない患者が七人いた。千恵子たちは手の使えない患者さんの食事の世話をした。その間にも、「看護婦さーん」「学徒さーん」とあちこちから声を掛けられ、水をあげたり、尿器を渡したり、身動きできない患者を寝返らせたり、かゆい所を掻いてやったりと休む間もない程、動き回った。

 二時頃、新しい患者が手術室から第四外科に運び込まれて来た。胸部をやられて上半身に包帯を巻かれ、苦しそうにハアハア息をしていた。それから三十分後、右足をももの所から切断された患者が運び込まれて来た。手足を切断される患者も多くなり、第四外科だけでも十人もいた。中には両腕を切断された者や両足を切断された悲愴な患者もいた。

 三時頃、三日前に入院した胸部と腹部に重傷を負った患者が亡くなった。そして、四時過ぎに一昨日の夜に入院した右足と横腹に重傷を負った患者が亡くなった。二人とも苦しそうに唸っているだけで、食事を取る事もできなかった。患者が多くなったので、あれこれ言う患者の世話に追われて、口も利けない患者はどうしても放っておいてしまう。そして知らないうちに亡くなってしまう。口の利けない患者さんこそ、もっと気をつけて看護してやらなければならないと千恵子は反省した。

 亡くなった患者は所持品を調べ、耳や鼻や口に脱脂綿を詰めて両手を組ませた。五時になって外が静かになると、毛布にくるんで衛生兵が埋葬地に運んだ。埋葬地には墓標がいくつも立っていた。数えるといつの間にか十二本にもなっている。衛生兵が掘った穴に死者を(ほうむ)り、線香を挙げて両手を合わせた。

 ようやく勤務も終わり、千恵子たちは第三外科の小百合たちを誘って井戸に行こうとしたら、「なに言ってるの。飯上げが先よ」と言われた。

「もたもたしてると炊事班の人に怒鳴られるわよ」

 夜勤の時、仕事が終わったら必ず、井戸まで行って顔や手を洗ったりしてから飯上げをしていた千恵子たちは面食らった。

「朝ご飯は多少遅れても怒られないけど、夕ご飯はうるさいのよ」と小百合が言って、

「炊事班の人たち、朝が早いでしょ。さっさと片付けて早く休みたいのよ。だから、もたもたしてると怒られるのよ」と初江が説明した。

 成程と千恵子たちは納得した。炊事班の人たちが夜明け前のまだ暗い内から仕事を始めるのを夜勤だった千恵子たちは知っていた。朝食が終われば、すぐにお昼の準備にかかり、お昼が終われば、すぐに夕食の準備にかかる。野戦病院に何人いるのか正確な人数はわからないけど、軍医、看護婦、衛生兵、千恵子たち二高女の生徒が四十六人、それに患者さんを加えれば三百人近くいるかもしれない。それらの食事を朝昼晩と用意するのだから大変な事だった。しかも、勤務時間は十七時間位ある。途中に休憩時間があったとしても、早く休みたいと思うのは当たり前の事だった。

 千恵子たちは先に飯上げをして、食事をしてから食罐を洗って返し、それからまた井戸に戻って、(すす)にまみれた顔や髪を洗ったり体を拭いた。

「ねえ、チーコ、知ってる」と初江が洗い髪を拭きながら言った。

「何を」と千恵子も髪を拭きながら聞いた。

「第四外科に上原さんていう看護婦さんがいるでしょ」

「ええ、今まで通り、夜勤になったらしいけど。上原さんがどうかしたの」

「上原さん、横川軍医殿といい仲みたいなのよ」

「えっ、横川軍医殿?」千恵子は横川軍医を知らなかった。

「あっ、そうか。チーコは夜勤だったから知らないのか。いつも午前中に治療に回って来るのよ」

「へえ、そうなの。どんな人なの」

「何て言ったらいいかな‥‥‥明日になればわかるわよ」

「勿体ぶらないで教えてよ」と千恵子が頼んでも、初江はそんな事どうでもいいというように話題を変えた。

久田(くだ)さんているでしょ」

「ええ、いるけど」

「その人、みんなから馬鹿にされてるみたいよ」

「みんなって誰なの」

「軍医さんや看護婦さんよ」

「へえ、そうなの」

「何をやらしても失敗ばかりしていてどうしようもないんだってさ」

「へえ」と言いながら千恵子は久田看護婦が上原看護婦に怒られて泣きそうな顔をしていたのを思い出した。

「でも、どうして初江がそんな事知ってるの」

「晴美よ。お偉いさんたちに囲まれて息苦しいって時々、遊びに来るのよ。今日は来なかったけど、本部にいると色々な噂を耳にするんだって。軍医さんたち、特に若い見習士官の人たちは暇さえあれば看護婦さんの品評会をしてるんだって。時にはあたしたちの事も噂に出るって言ってたわ」

「へえ、晴美が遊びに来るんだ」

「嘘かほんとか知らないけど、内科の古堅(ふるげん)さんが衛生兵と、まだ患者さんのいない第二内科で密会してたっていう噂もあるらしいわよ」

 古堅看護婦も千恵子は知らなかった。でも、初江がその先を話したそうだったので、

「衛生兵って誰なの」と聞いてみた。

「それがわからないのよ。男の方はさっさと逃げちゃったみたい」

「それとね」と今度は小百合が話し始めた。「新垣(あらがき)さんなんだけど、手相を見るのが得意なのよ。ほんとに凄く当たるんだから」

「へえ、そうなの」と千恵子が言うと、

「チーコの知ってるのは内科の新垣さんでしょ。第三外科の新垣さんは知らないはずだわ」と初江は言う。

「えっ、新垣さんて二人いるの」

「そうなのよ。内科の新垣さんは東風平にもいた人でしょ。第三外科の新垣さんは別の人なのよ。何となく神秘的な顔をしててね、あたしたちカミンチュ(神人)って呼んでるの。晴美も手相を見てもらって、あなたは必ず長生きするって言われて喜んでたのよ」

「へえ、晴美は長生きするんだ。そうかもね。それで、初江は何て言われたの」

「あたしはね」初江はうっとりとした顔して、「近いうちに素敵な人と巡り会うって言われたのよ」と嬉しそうに言った。

「近いうちって事は、その人は患者さんなのね」と千恵子が言うと小百合がケラケラ笑って、「きっと、血のしたたるいい男よ」と言った。

「なに言ってるのよ、もう」初江は怒って濡れた手拭いで千恵子と小百合をたたいた。

「ねえ、小百合も見てもらったんでしょ。小百合は何だったの」

「あたしは何だかわからないんだけど、(つら)い思いをするんですって、でも、それを乗り越えると幸せになれるって言ってたわ」

「へえ、辛いのを乗り越えれば幸せになれるのか。今度、あたしも見てもらおう」

 夜勤だった千恵子たちの知らない所で色々な噂が飛び交っているのを知って、千恵子たちはただ驚くばかりだった。首里や南風原方面を照らしている照明弾や炸裂する艦砲弾の音を聞きながら、千恵子たちは噂話に夢中になっていた。

 井戸から帰ると笠島伍長の寝台の所に井田伍長と野中伍長と村田伍長が集まって酒盛りをしていた。その中に一人、女の人が混じっていて通路にあぐらをかいて座り込み、陽気に笑っていた。誰だろうと思っていると初江が、「古波蔵(こはぐら)さんよ」と教えてくれた。

 初江の話では、古波蔵看護婦は大胆な人で、井戸端で諸肌脱いで平気な顔して体を拭いていたという。

「すまんなあ。ちょっとうるさいが、もうちょっと我慢してくれ」と笠島伍長が言った。

「いいんですよ」と千恵子は言って自分の寝台に座った。トヨ子も自分の寝台に上がり、初江と小百合は面白そうだと千恵子の寝台に座り込んだ。

 酔っ払っているのか、古波蔵看護婦は看護婦さんの悪口を言って皆を笑わせていた。千恵子たちは笑ってはまずいと思いながらも、つい笑ってしまった。

「ちょっと、君たち」と村田伍長が言った。「君たちは標準語がうまいけど、この近所にいるお年寄りは方言ばかりで全然わからん。少し、沖縄の方言を教えてくれないか」

「おう、そうだ。俺も聞きたかったんだ」と野中伍長が言った。「なあ、美人は何て言うんだ」

「チュラカーギです」と初江が教えた。

「チュラカーギか。それじゃあ、酒飲みっていうのは?」

「サキヌマーです。酔っ払いはサキクェーです」

 千恵子たちが調子に乗って沖縄方言の挨拶を教えていると、

「おい、ウチナーグチ(沖縄方言)なんかしゃべってるとスパイと間違われて殺されるぞ」と誰かが言った。声の主は千恵子の知らない軍医だった。

 笠島伍長たちが慌てて立ち上がって敬礼しようとしたら、「いい、いい」と言って手で押さえた。

「本当でありますか、大尉殿」とトヨ子が聞いた。

 大尉と聞いて、千恵子はすぐに襟章を見た。金筋が三本で星が三つも並んでいた。教育隊の時の隊長が中尉だったので、隊長よりも偉い人だった。

「敵はサイパン辺りで捕まえた沖縄出身の捕虜(ほりょ)をスパイとして送り込んで来ているとの情報を司令部ではつかんだらしい。奴らは避難民に化けて、我が軍の陣地を捜し出しては敵に通報しているのだろう。君たちも間違われんように気をつけた方がいいぞ。まあ、説教はそれくらいにして、わしにも一杯くれ」

 千恵子が誰なのと小百合に聞くと、「中野軍医さんよ」と教えてくれた。

 中野軍医はお酒を一杯もらって飲み干すと、

「実はな、わしもウチナーグチは色々と教わったよ。沖縄らしくていい言葉だ。だが、今、言った事は本当だから、知らない兵隊の前でウチナーグチは使うなよ」そう言って、入口の方へ向かった。中野軍医の後ろ姿を見送りながら、井田伍長が小指を立てて見せ、羨ましそうな顔をした。

「でも、どうして、わざわざ、こんな所から出て行くんだ」と野中伍長が首を傾げながら言った。「富盛に行くのなら第五坑道から出た方が近いだろう」

 確かに変だった。一番向こうの本部から、どうしてこんな所まで来たのか不思議だった。

「中央坑道の進行具合を見に来たんだろう」と笠島伍長が言った。「今晩のうちに第三と第四外科は埋まっちまうからな」

 米軍が沖縄に上陸した翌日から中央坑道を病棟にするため、寝台作りが始まっていた。すでに、第四坑道と第三坑道の間は完成し、今、第三坑道と第二坑道の間の工事をしていた。昼夜休まず、工事をしているので進行は速かったけど、患者の数が増えるのも速かった。中野軍医は工事の進行具合を確認してから、出て行ったようだった。

 場がしらけたので景気直しだと笠島伍長が故郷の民謡を歌い始めた。よおっ、待ってましたと古波蔵看護婦は踊り出した。初江も我慢できずに一緒に踊った。

 野中伍長が陸軍記念日の噂は聞いているぞ、『新雪』を歌ってくれと言い出し、初江が晴美を連れて来て一緒に歌った。歌い終わると衛生兵たちの寝台の方から拍手が起こった。見ると皆、寝台から顔を出してこっちを見ていた。

「さすがだねえ。うまいもんだ。故郷にいるスーちゃん(恋人)を思い出したよ」と野中伍長が言うと、

「お前にスーちゃんなんかいるのかよ」と笠島伍長がからかった。

「いるさ。俺にだって可愛いスーちゃんはいるのさ」

「へえ。それなのに、真栄城(まえしろ)看護婦を照準(しょうじゅん)してるのか」

「おいおい、こんな所でそんな事言うなよ」

「野中伍長さん、静江が好きだったの」と古波蔵看護婦はニヤニヤしてから真顔になって、「難しいかもね」と言った。「静江は頭がいいし理想も高いからね。まあ、死ぬ気でぶつかって行けば撃沈(げきちん)するかもしれないけどね」

「わかってるさ」と渋い顔をして野中伍長はうなづいた。

「まあ、頑張れ」と村田伍長が言って、千恵子たちに沖縄の歌を聞かせてくれとリクエストして来た。千恵子たちは喜んで『なんた浜』を歌い、初江が琉球舞踊を披露した。

 翌日、増え続ける負傷兵は第三と第四外科病棟だけでは収容できなくなり、第四坑道と第三坑道をつなぐ中央坑道に第五外科病棟が新設された。新設された第五外科に第四外科から鈴代が異動する事になった。看護婦も久田看護婦が第五外科に異動した。鈴代も久田看護婦も共に日勤だったので、千恵子たちの仕事は以前より辛くなってしまった。

 第五外科は第一内科から三人、第二内科から三人、そして、第三外科、第四外科から一人づつが選ばれ、合計八人だった。昼夜四人づつで四十人を看なければならない事になり、第四外科よりも大変だった。千恵子たちは頑張ってねと鈴代を送り出した。

 その日は第四外科からは死亡者はでなかった。鈴代がいなくなったので、飯上げや水汲みも大変だったけど、何とか問題なく仕事を終えた。昨夜、初江や小百合から聞いた噂のお陰で、看護婦さんを見る目は変わっていた。今までは第四外科以外の看護婦にはまったく興味がなかったけど、『カミンチュ』と呼ばれている第三外科の新垣看護婦、衛生兵と密会していたという古堅看護婦、軍医さんたちが一番の美人と称える照屋看護婦、そして、野中伍長が好きだという真栄城看護婦をわざわざ見に行ったりした。

 『カミンチュ』の新垣看護婦は小百合たちが言う通り、どことなく神秘的な人で、新設された第五外科に異動になっていた。

 古堅看護婦は内科の夜勤だったので、少し早めに出勤して内科に顔を出し、澄江から教えてもらったけど、色白で少し痩せていて、特に目立つ所もなく普通の人だった。トヨ子と勝手に想像して、きっと色っぽい人よと言っていたけど期待外れだった。

 照屋看護婦は内科の日勤で、やはり美人だった。まるで、映画に出て来る従軍看護婦のようで、看護を受けている患者さんたちは皆、うっとりとしていた。

 真栄城看護婦も夜勤だった。第三外科なので仕事が終わった後、初江に教えてもらった。何となく女らしくて、おしとやかという感じの人だった。野中伍長が好きになる気持ちもわかるような気がした。

 午前九時過ぎに、噂の横川軍医は古波蔵看護婦と仲宗根看護婦を連れて治療に来た。二十四、五歳の若い見習士官で、二枚目とは言えないけど優しい人で、丁寧に治療をして回っていた。笑った事がないような上原看護婦でも横川軍医の前では嬉しそうに笑うのだろうかと、ちょっと意外な気がした。古波蔵看護婦は昨夜の姿からは想像できないくらい真面目に仕事をしていた。それでも、千恵子に気づくと笑って、耳元で「今晩もやろう」と囁き、お酒を飲む真似をして舌を出した。まったく面白い人だ。

 四月八日の大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)、菊の御紋章入りの落雁(らくがん)が支給された。お決まりの式典の後、大本営(だいほんえい)の発表があった。『菊水一号作戦』が発動されて、神風(かみかぜ)特別攻撃隊によって、沖縄周辺の敵艦隊、十五隻を撃沈、十九隻を撃破したと知らされ、皆、万歳をしながら大喜びをした。

 千恵子たちが神風特別攻撃隊という名を初めて聞いたのは、去年の十月の末頃だった。フィリピン戦で爆弾を積んだ戦闘機が敵艦に体当たりして戦果を挙げた。千恵子にはどうして、そこまでしなければならないのかわからなかった。何も命を懸けて体当たりしなくても爆弾を落とせばいいのではないかと思っていた。父に聞いても納得する答えは得られなかった。その頃、安里先輩が小屋作りの手伝いに来ていたので、千恵子は安里先輩に聞いてみた。安里先輩は難しい問題だけど勝つためには仕方ないんじゃないのかなと言った。

轟沈(ごうちん)とか撃沈とか、ラジオでは景気よく言ってるけど、実際に敵艦を沈めるのは大変な事だと思うよ。敵もただ見ているだけじゃないからね、沈められないために必死になって攻撃して来る。絶え間なく大砲も撃つだろうし、敵の戦闘機も阻止するために攻撃して来る。その中を通過して爆弾を落とすなんて至難の(わざ)だよ。ほとんどの戦闘機は敵艦に近づく事なく海の藻屑(もくず)になってしまうんだ。敵艦を目の前に見ながら力及ばず、海に落ちてしまう事ほど情けない事はないと思う。戦闘機乗りになったからには、たとえ我が身を犠牲にしても、敵艦に体当たりしたいと思うのは当然の事だと思うよ。ただ、俺にやれと言われても、すぐにうなづけるどうかはわからないけどね」

 千恵子は安里先輩の言った事に納得した。海の藻屑になるよりは体当たりした方がいい。でも、お国のために命を捧げるなんて自分にはとてもできそうもないと思った。その特別攻撃隊が沖縄にやって来て敵の艦隊をやっつけたと聞いて、大喜びをしながらも、体当たりをした人たちの事を思うと複雑な気持ちだった。その人たちにも家族はいるし、好きな人もいたかもしれないのに、死の覚悟をして飛び立って行った。もし、安里先輩が突撃したとしたら、素直に喜ぶ事などできないだろうと思った。







山部隊第一野戦病院の推定図



戦艦ミズーリに突入した零戦   特攻の実証



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