第三部
15.収容所
水も飲まず、食事もしないで岩陰に隠れていた避難民たちは皆、栄養失調で衰弱していた。怪我をしている者も多かった。アメリカ兵はそんな人たちを丁寧に診て回って、水をやり、ビスケットやチョコレートをやり、怪我の治療もしていた。一体、どうなってるのと千恵子たちの頭の中は混乱していた。あれが鬼畜米英なの。鬼のように恐ろしいというアメリカ兵なの。いいえ、決して、信じてはいけない。殺されるに決まってるのだからと自分たちに言い聞かせていた。 その夜は爆弾が落ちて来る心配もなく、地べたに体を伸ばして、ゆっくりと眠る事ができた。辺りは静かで、空には丸い月が浮かんでいた。 のんびりと月を眺めるなんて何日振りだろう。家族揃って、お月見をした事が思い出された。もう家族が揃う事もない。父も、姉も、弟も死んでしまったに違いない。浩子おばさんも生きてはいないだろう。自分も早く、死ななくちゃと思いながらも、母に一目会いたいと千恵子は月を見上げて泣いていた。 朝になって取り調べがあり、千恵子たちは金網から出されてテントの方に移された。 案内されたテントの中には大勢の女の人と子供がいた。誰か知っている人はいないかと見回したけど、誰もいなかった。 食事をもらうために入口の近くで並んでいると、初江、朋美、鈴代、由美の四人がやって来た。お互いに信じられない事のように驚き、みんな、無事だったのねと喜び合った。 初江たちは千恵子たちよりも一日早く捕まっていた。立ちっぱなしだった岩陰から出て、別れ別れになってしまったその日に捕まって、ここに連れて来られた。足を怪我していた美代子は他の負傷者と一緒にトラックの乗せられてどこかに連れて行かれた。 朝食をもらった千恵子たちは初江たちのいるテントに行った。 米軍の携帯食料はKレーションと呼ばれ、ボール紙の箱に入っていた。中にはロウに包まれた箱が詰め合わせになっていて、ビスケットが四枚、粉のレモネード、キャラメル、干し 見渡した所、五、六百人はいる捕虜全員に配る程、食料があるなんて、米軍は何て贅沢なんだろうと感じた。食料を住民たちから奪い取っていた日本兵とは大違いだった。 いつ殺されるのだろうと不安を感じながらも、その日はのんびりと過ごした。 次の日、収容所を出て、ぞろぞろと東へ向かった。 この辺りはすっかり敵の占領区になっているのか、自由に行き来している住民の姿も見られた。途中の道端に見覚えのあるモンペが竹竿に干してあった。 「あれ、佳代のモンペよ」と千恵子は叫んだ。 「あっ、そうよ。あれは佳代のよ」と初江も言った。 佳代は生きていたんだと嬉しくなった。小屋から佳代の母親が顔を出した。母親は千恵子たちを見て、「佳代の事を知ってるんですか」と必死の面持ちで聞いた。 千恵子たちは首を振った。 母親は千恵子を見て、「ああ、あなた、美里さんだったわね」と言った。 千恵子はうなづいた。 「佳代と一緒じゃなかったんですか」 「六月四日までは一緒に働いていました。解散になってからはバラバラになってしまって‥‥‥きっと、佳代ももうすぐ帰って来ますよ」 佳代の母親は捕虜になってから、毎日、佳代が帰って来るのを待っているという。佳代の無事を祈って母親と別れた。自分たちの親も、どこかでこうして待っているのかもしれないと思うと、再会を夢見ないではいられなかった。 連れて来られた所は 千恵子たちも住む家を割り当てられ、新しい共同生活が始まった。一つの家に五十人余りも詰め込まれたけど、人々の顔には捕虜になった惨めさよりも、戦争の恐怖から解放された安らぎの表情が浮かんで見えた。もしかしたら、殺されないで済むのかもしれないと千恵子たちは思い始めた。 鬼畜米英というのは嘘だったのだろうか。捕虜になったら殺されるというのも嘘だったのだろうか。今まで、学校で教わって来た事すべてが間違っていたのだろうか。何が正しくて、何が悪い事なのか、千恵子の頭の中は混乱していて、これからどうやって生きて行けばいいのか、まったくわからなかった。 八重瀬岳を出る時、梅田軍医は、捕虜になっても生きろと言っていた。 伊原に来てからはKレーションは支給されず、各自、働いて日当をもらわなければならなかった。日系二世のアメリカ兵が毎日のようにやって来て、「君たち、学校の先生にならないか。看護婦にならないか」と誘った。何かをしようという気はまったく起きなかった。千恵子たちは一般作業に加わって、芋掘りや稲刈りをして日当をもらった。ナベや茶碗もなく、空き缶を利用して作ったナベを交替で使って自炊をした。 トヨ子は當山からの移動中、クギを踏んでしまい足の裏を怪我してしまった。アメリカ兵に治療してもらったが、ここに来てからは元気がなかった。聡子と和江は気が抜けたように寝てばかりいた。千恵子は初江と一緒に知っている人はいないかと収容所内を見て回った。政江、美紀、アキ子、多恵子の四人が一緒に生活していた。美紀は顔色が悪く、具合悪そうに寝ていた。再会を喜び、お互いの事を話し合った。 政江は佳代の最期を知っていた。美紀と一緒に真栄平の壕にいた時、山部隊の下士官が飛び込んで来て、隣の新垣という部落で女学生が亡くなったと教えてくれた。詳しく聞いたら、その女学生は佳代だった。佳代は兵隊たちの炊事を手伝っていて、艦砲にやられて亡くなったという。佳代が死んでしまったなんて信じたくはなかった。それは佳代じゃなくて、別の女学生だと思いたかった。 アキ子と多恵子は房江の最期を知っていた。二人は艦砲に追われながら、いつしか摩文仁の海岸まで逃げて来た。アダンの葉陰で一人きりでいた房江と再会した。一緒に行動する事にして、岩陰に隠れてウトウトしていたら近くに爆弾が落ちて、房江は破片にやられて即死だったという。二人は房江の遺体を岩陰に寝せて、房江が持っていた毛布を掛け、両手を合わせて、その場を立ち去った。不思議な事に房江は小百合の地下足袋をはいていたという。千恵子たちが小百合の幽霊だと思った遺体は房江だったのだった。 二高女の生徒は他にはいなかったけど、千恵子は従妹の幸子と再会した。幸子は首里高女の生徒二人と一緒にいた。 一週間位経った七月の初め、また移動する事になった。 国頭に行けば、日本軍の部隊が健在で反撃を狙っているという噂も嘘だった。国頭もすっかり敵に占領されていた。 船から降りるとすぐに、鈴代が母親と再会した。鈴代は信じられないという顔して呆然と立ち尽くし、涙を流しながら母親に飛びついて行った。あちこちで、親子や親戚が涙の対面をしていた。聡子も従姉と再会を喜び、千恵子たちと別れて家族のいる場所へと向かった。アキ子も親戚の人と再会して、家族のもとへと行った。もしかしたら、父や姉、弟が先に来ていて、自分を待っているかもしれないと千恵子も願ったが、どこにもいなかった。 千恵子たちは ここから南に二十キロ位行った 宜野座の米軍病院は大きな野戦病院で、ずらりと並んでいるテントの中に千人余りの民間人の負傷者が収容されていた。アメリカ人の医者や衛生兵に混じって、日本人の医者や看護婦が働いていた。千恵子と幸子も負傷者の看護に励んだ。薬も衛生材料も驚くほど豊富にあって治療のしがいはあったけど、ほとんどの人たちが衰弱がひどくて、治療の甲斐もなく亡くなってしまった。残念ながら、看護婦に知っている人はいなかった。話によると米軍の病院はあちこちにあるので、どこかで働いているのだろうという。 患者さんの数が多くて、すぐに見つけられなかったけど、利枝が入院している事がわかった。利枝は変わり果てた姿になっていた。全身に包帯を巻かれ、B29とあだ名されるほど大柄だった体は骨と皮だけになって、短く切られた髪の毛もチリチリに焼け焦げていた。 千恵子を見ると、「生きていたのね、よかった」と言って涙を流しながら笑った。同級生の中で自分だけが生き残ってしまい、早く死んでしまいたいと嘆いていたという。千恵子は初江やトヨ子たち十五人が生きている事を教え、利枝も頑張るのよと言った。利枝は安心したようにうなづいた。 利枝は晴美と一緒に本部勤務だった。国吉の壕で敵の馬乗り攻撃を受け、火炎放射にやられて 留子も火傷を負っていたけど利枝ほど重傷ではなかった。傷は軽傷でも心の傷は深く、起き上がる気力もなかった。利枝と同じように、自分だけが生き残ったと思い悩んでいた。千恵子は生存者がいる事を告げて、しっかりしてよと励ました。留子から国吉の様子を詳しく聞いた。 信代と照美は体調を悪くして寝込んでいたから、多分、駄目だろう。利枝が生きているんだから、一緒にいた朝子と常子は生きているかもしれない。別の壕で負傷兵の看護をしていた晴美たちは前日に馬乗り攻撃を受けて、全員、死んでしまった。そこにいて、奇跡的に生き残った衛生兵が留子たちのいる壕に逃げて来て、そう言ったという。 晴美が死んでしまったなんて信じられなかった。他の人が死んでも、晴美だけは絶対に死なないと思っていた。足が速くて、いつも元気な晴美が死ぬはずはない。きっと、馬乗り攻撃の前に素早く逃げ出したに違いないと思いたかった。 師範女子部の生徒も何人か入院していた。陽子と一緒に 第三外科壕にいたという婦長さんも入院していた。婦長さんなら姉の事を知っているに違いないと期待を込めて聞いてみた。第三外科壕はほとんどの者が死んでしまったけど、わたしが生き残ったんだから、もしかしたら、無事に脱出して生きているかもしれないと言った。婦長さんは右足を怪我していて杖をつきながら、同じテントにいる患者さんたちの面倒をみていた。 看護婦養成所で姉と同期だった 家族が迎えに来て退院して行く患者さんはほんのわずかしかいなかった。ほとんどの人たちは家族とも会えず、衰弱したまま独りぼっちで死んで行った。亡くなった人たちは引き取り手もなく、共同墓地の穴の中にまとめて葬られた。 悲惨な重傷患者はトラックに乗せられて、南部から次から次へと運び込まれて来た。千恵子たちは休む間もない程に働いた。患者さんたちが兵隊ではなく、沖縄の人たちだったので、一人でも多く助けなければならないと一生懸命だった。 八月十五日、アメリカ兵たちが『ブラボー』と叫びながらテントの中を走り回った。缶ビールを飲みながら陽気に歌を歌って、抱き合ったり飛び上がったりして喜び合っていた。勤務中だった千恵子は何事だろうと思っていたら、戦争が終わったと知らされた。ラジオ放送で天皇陛下が敗戦を認めたのだという。すでに、そんな予感はしていたが、改めて、日本が負けたと聞くと、涙が流れて来て止まらなかった。入院していた患者さんも皆、泣いていた。 ようやく長すぎた戦争は終わった。絶対に勝つと言っていたのに、沖縄を壊滅状態にして大勢の住民が死んでしまった。日本が勝つと信じて死んで行った大勢の人たちの事を思うと悔しくて仕方がなかった。 終戦になっても、その事を知らず、知らされたとしても信じる事ができず、壕内に隠れている人たちがまだ大勢いた。そんな人たちが骨と皮になって病院に運ばれて来た。ほとんどの人たちが家族と会う事もなく栄養失調で亡くなった。 九月になるとマラリアが その日は千恵子の満十六歳になった誕生日だった。誰にも知らせていないので祝ってくれる者もいない。でも、何かいい事があるような予感がして、誰だろうと思いながら千恵子はテントをいくつも通り抜けて受付の方に向かった。 もう身内が訪ねて来るとは思っていなかった。次々に亡くなって行く患者さんを何人も見て来たし、患者さんたちやお見舞いに来た人たちの話を聞いて、もう皆、死んでしまったんだと諦めていた。 父は最後まで県民のために働いて死んで行ったに違いない。姉は第三外科壕で亡くなり、浩子おばさんと従姉の陽子は波平から伊原に移り、解散になってから山城の辺りをさまよって戦死したに違いない。山城には石部隊の陣地があって、物凄い攻撃を受けたという。弟は浩子おばさんとはぐれ、怪我してさまよっているうちに艦砲弾にやられたのだろう。人々の話を聞いていると死ぬのが当たり前で、生き残ったのが奇跡のように思えてきた。事実、千恵子たちだって一歩間違えたら死んでいたのだった。 きっと、汀間から宜野座の近くの 千恵子は自分の耳を疑った。千恵子をチー姉ちゃんと呼ぶのは、今、この沖縄には一人しかいなかった。千恵子は受付の前にいる人たちを見回した。毎日、大勢の人が身内の安否を訪ねて来ていた。その中に、アメリカの軍服を着た若い男が千恵子をじっと見つめていた。髪の毛が随分と伸びていたが、康栄に間違いなかった。 「康栄、あんた、生きていたのね」と千恵子は康栄の側に駈け寄った。涙が知らずに流れてきて止まらなかった。 「チー姉ちゃんも生きていたんだね」 千恵子は涙を拭きながら、うなづいた。 「もう、心配してたんだから。でも、あんたが生きていたなんて‥‥‥ほんとに嬉しいわ」 「俺だって、チー姉ちゃんが生きてるって聞いた時は信じられなかったさ」 「ほんと、よかった」と言いながら千恵子は康栄の姿を上から下まで見回した。怪我をしたと聞いたけど、もう治っているようだった。 「ねえ、誰からあたしの事を聞いたの」 「ここに入院していた患者さんだよ。退院して帰って来たんだ。美里さんという看護婦に世話になったという話を同居している人が聞いて来たんだ。お前の身内じゃないのかっていうんで詳しく聞いてみたら、その看護婦はチーちゃんとも呼ばれていたって聞いて、これは間違いないと思って飛んで来たんだよ」 「そうだったの」あたしがお世話して退院して行った患者さんて誰だろうと思い出してみたがわからなかった。 「あんたはどこの収容所にいたの」 「知念だよ」 知念に帰った患者さんと聞いても、誰だかわからなかった。でも、その患者さんに感謝しないではいられなかった。弟がこうして訪ねて来るなんて、まるで、夢でも見ているようだった。 南風原の陸軍病院に入院していた康栄は南部へ移動中、浩子おばさんとはぐれてしまった。傷の痛みを我慢しながら艦砲弾の炸裂する中、一人でさまよい歩いた。雨も降り続いていて泥まみれになり、方角もわからず、あちこちに隠れながら何日もさまよい続けた。 ある日、避難民たちの行列に出会った。どこに行くのかわからないが、一人で逃げ回るよりも誰かと一緒にいた方がいいと、その行列に紛れ込んだ。一緒に歩いて行ったら知念の収容所に着いてしまった。捕虜になってしまったのは恥ずかしくて悔しかったけど、水も食料もなく歩き続けていたので、そこから逃げ出す力はなかった。 もうどうにでもなれと開き直って、そのまま、そこで生活を続けていた。怪我も治って歩けるようになると、知念にある病院の作業班に加わった。病院で働いていれば千恵子や奈津子、浩子おばさんの事もわかるだろうと思った。病院では何もわからなかったけど、収容所で澄江と出会えた。澄江は千恵子の幼なじみだったので、康栄も知っていた。澄江が千恵子の事を知っていると思ったが、八重瀬岳で別れてからは、どこに行ったのか全然わからないと言うのでがっかりした。 「澄江は生きていたのね‥‥‥」と千恵子はつぶやいた。 よかった。澄江が生きていて、ほんとによかったと思った。 「でも、ぽっかりと心の中に穴があいてしまったかのように、毎日、海を眺めながらぼうっとしてたよ」 「そうでしょうね」その気持ちは千恵子にもよくわかった。千恵子だって、ここで看護婦をしていなかったら、生きる希望を失っていたかもしれなかった。 「澄江さんに聞いたんだけど、和美さんていう人も生きていたらしいよ。友達と一緒にコザの方に行ったらしいけど」 「そう、和美も生きていたんだ。よかった」 澄江は康栄が知らないうちに収容所からいなくなった。親戚の人が澄江を見つけて、親元へ連れて行ったらしかった。 もう駄目かと諦めかけた九月の初め、山部隊の野戦病院からかつぎ込まれた女学生がいると聞いて、康栄は期待に胸を膨らませながら会いに行った。やせ細った体を寝台に横たえていたのは千恵子ではなかった。名前を見てみると『二高女四年、平良小百合』と書いてあった。その名前に康栄は聞き覚えがあった。三月の半ば頃、千恵子と一緒に首里に来た人だった。この人なら千恵子の事を知っているに違いないと確信した。 「小百合が生きていたなんて‥‥‥」と千恵子は涙をこぼした。 あんな所にたった一人で残してしまって、いつも、すまないと思っていた。あんな重傷を負って、生き抜いたなんて信じられなかった。すぐにでも飛んで行って会いたかった。 小百合は髪の毛もほとんど抜けてしまって、とても正視できないほど可哀想な姿だった。千恵子の事を聞いても、初めのうちは何もしゃべらなかった。それでも、康栄が毎日のように見舞いに行ったので、小百合もだんだんと打ち解けて来て、話をするようになった。見舞いに来るのは康栄だけだったし、小百合は首里で会った康栄の事を覚えていた。 「チーコの事はわからない。あたしは怪我をして、チーコたちに置いて行かれたのよ。暗闇の中にたった一人で置いて行かれたのよ。二ケ月半もの間、真っ暗闇の中で、ずっと苦しみ続けたの。何度も死んでしまいたいと思ったわ。何度も気が狂ってしまいそうだった」 そう言うと小百合は目を閉じた。閉じた目から涙がこぼれ落ちた。 千恵子たちが糸洲の山部隊野戦病院壕から追い出された後、小百合は目を覚ました。千恵子たちの姿はなく、たった一人で置いて行かれたのを知って愕然となった。千恵子たちが出て行く時に声を掛けたのを意識が 何日か経って目が覚め、まだ生きていたのかと不思議に思った。側を通る兵隊に頼んで水をもらった。早く死んで楽になりたいと思って、青酸カリやモルヒネの注射をしてくれと頼んでも、誰も聞いてはくれなかった。たった一人になった寂しさと傷の痛さで毎日、泣いていた。 ある日、小百合は毛布にくるまれて奥の方の岩の窪みに運ばれた。岩が体に当たって痛くて仕方がなかった。誰がこんなひどい事をするのと恨んだけど、体を動かす事はできなかった。そこに移されてからは痛みがひどく、眠る事もできなかった。 壕内は真っ暗で何も見えず、近くを流れている水の流れしか聞こえなかった。こんな苦しい思いをする位なら、水を飲んで死にたいと思い、小百合は水が流れている方に必死になって這って行った。いっその事、水の中に入れば早く死ねるかもしれないと川の中に入った。近くに空き缶があったので、水を汲んで飲もうとしたら、岩に当たってカーンと鳴った。その音は静まり返った壕内に響き渡って、『誰だ!』と奥の方から誰かが言った。足音が聞こえて来て、敵と間違えられて殺されるに違いないと思った。声を出す力もなく、敵に殺されるより味方に殺された方がいいと覚悟を決めた。 近づいて来た兵隊は懐中電灯を点けて小百合を照らした。その兵隊は八重瀬岳にいた村田伍長だった。村田伍長は小百合の顔を覚えていた。小百合は川の中から助け出され、奥の方へ移された。そこは平らな所で寝ていても前ほどは痛くなかった。村田伍長たちに背中の破片を抜いてもらって、いくらか楽になった。安心して眠りについたが、目が覚めると村田伍長はいなかった。 壕の中は昼と夜が逆さまで、夜は兵隊たちがゴソゴソと動き回る気配がして、斬り込みに行くぞという声も聞こえて来るが、昼になると皆、息を殺したようにシーンと静まっていた。小百合は側を通る人に声を掛けては水をもらって飲んだ。硬直していた体も少しづつ動かせるようになり、もしかしたら、生き延びられるかもしれないという希望も少し芽生えて来た。夜になって兵隊の動く気配が聞こえて来ると自分がここにいる事を知らせるために小声で歌を歌い始めた。 ある日、壕内に 豪雨が降り続いて、壕内を流れている川が 壕内に隠れていた者たちは何も知らなかったが、すでに戦争は終わっていた。ある日、壕の入口に立て札が立てられた。『戦争は負けた。これ以上抵抗しても無駄だから壕から出て来い』と書いてあったという。生き残った者たちは相談した。ここにいてもどうせ死ぬのだから、太陽を見てから死のうと覚悟を決めて、ぞろぞろと外に出て行った。 八月の三十日の事だった。二ケ月半もの間、穴の中にいた小百合には太陽の光は眩しすぎ、慣れるまでは何も見えなかった。そして、目に入った風景は、記憶にあった景色とはまったく違っていた。緑に覆われていた山や民家は何もかも消えて、辺り一面、穴だらけの剥き出しにされた赤土だった。まるで、この世が終わってしまったかのように、不気味に静まり返っていた。 千恵子は康栄の話を聞きながら泣いていた。小百合がそんな恐ろしい思いをしながら生き抜いて来たなんて少しも知らなかった。早く会いたかった。会って、置いてきぼりにした事を謝りたかった。 「安里先輩なんだけど」と康栄は言った。 千恵子はハッとして康栄の顔を見つめた。安里先輩もどこかで生きているのかしらと胸がときめいた。 「 千恵子はワッと声を上げて泣き出した。覚悟はしていたものの安里先輩の死の知らせは衝撃が強すぎた。康栄に慰められて、ようやく、我に返った千恵子は涙を拭いた。看護婦である自分が人前で、子供みたいに泣いた事が恥ずかしかった。 「安里先輩、俺が南風原にいた時、お見舞いに来てくれて、照れ臭そうな顔をしながら、戦争が終わったら、真っ先にチー姉ちゃんの所に飛んで行くんだって言ってたよ」 千恵子は大渡の松林の中で見た夢を思い出していた。もしかしたら、あの時、安里先輩は死んだのかもしれない。そして、真っ先に千恵子に会いに来てくれたのかもしれないと思った。 「晴れし空、仰げばいつも口笛を、吹きたくなりて、吹きて遊びき」と千恵子はつぶやいた。 「何だい、それ」と康栄が聞いた。 「啄木の歌よ。安里先輩から借りた歌集を毎日、一つづつ読んでいたの。今朝、読んだのがその歌なのよ」 「そうか。安里先輩も暇さえあれば、チー姉ちゃんの詩集を読んでたよ。もう一度、その啄木の歌を聞かせてくれよ」 千恵子はうなづいて、もう一度、歌を詠んだ。 「そういえば、安里先輩もよく口笛を吹いていたっけ」 「あたしたちの小屋を作っていた時も、よく口笛を吹いていた。『 「そうそう。先輩はあの歌が好きだった」 仕事が終わるまで待っていてと言って千恵子は勤務に戻った。安里先輩の死を聞いた時、あたしの青春は終わったんだなと千恵子はしみじみと思っていた。
後に白梅学徒隊と呼ばれる二高女の看護隊は、五十六人の参加者のうち、二十二人の犠牲者を出しています。一番多くの犠牲者を出した国吉のウテル原に『白梅の塔』と呼ばれる慰霊碑が立ち、白梅隊員だけでなく、戦死した教職員や同窓生たちが祀られています。
合掌
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宜野座収容所