沖縄の酔雲庵

沖縄二高女看護隊・チーコの青春

井野酔雲




創作ノート






寺田近雄著『日本軍隊用語集』より




  • 明治以前、天皇は天子様とか帝と呼んでいた。日清、日露戦争の時は大日本帝国皇帝と呼び、大正時代後半から天皇となる。
  • 参謀長の次席が高級参謀、先任参謀。仕事別に作戦参謀、情報参謀、通信参謀、後方参謀(兵站)、政務参謀(上部との連絡役)などがある。
  • 1月17日、陸軍始め。3月10日、陸軍記念日。天皇の観兵式は昭和18年が最後になる。
  • 軍事機密を軍機という。
  • 師団や旅団が兵団、連隊、大隊が部隊、中隊、小隊が隊となり、指揮官の名を付けて呼んだ。
  • 師団単位の兵站基地、連隊単位の兵站所。
  • 伝単‥‥‥宣伝ビラ、チラシ。
  • 軍人勅諭はチュウ・レイ・ブ・シン・シツと覚える。
  • 正規の軍歌集は陸軍の『軍歌・雄健(おたけび)』と海軍の『海軍軍歌集』の二つだけ。
  • 陸軍士官学校は市ケ谷、海軍兵学校(士官養成学校)は江田島にあった。
  • 牛蒡剣‥‥‥銃剣で長さは52センチ。
  • トラックは自動貨車、オートバイは自動二輪車。
  • 内務班は板敷きの大部屋の真ん中に長い机、両側にワラ蒲団のベッドが並ぶ。
  • 営倉は普通、正門横にある衛兵の控えている衛兵所の後ろに隣接して作られた小部屋。床は板敷き、入り口には鉄や木の格子がはめられ頑丈な鍵が付けられていた。
  • 点呼ラッパが鳴ると、内務班の廊下に班員が並び、週番士官が士官下士官を従えて来るのを待つ。紅白の襷を肩からかけた週番士官が来ると、班長は『気をつけ』の号令をかけ、『○班、総員○名、事故○名、現在員○名、事故は入院1、外出1、異常ありません』と報告し、『番号』の号令で各員が1、2、3、4‥‥‥と大 声で通し番号を叫ぶ。
  • 点呼ラッパは『点呼だ、点呼だ、週番下士、週番士官に報告したか、まだか』
  • 陸軍の将官を将軍、海軍の将官を提督という。
  • 生体実験で後世に悪名を残した『関東軍防疫給水部』俗称石井部隊の通称号は、関東軍直属の特殊部隊であるため、兵団文字符はなく『満州731』だった。
  • 大将の定年は65歳、少尉が45歳、下士官最下位の伍長が40歳。
  • 衛生兵のあだ名はヨーチン。
  • 一日の行程の目安は徒歩部隊で24キロ、騎兵で40〜60キロ、自動車部隊で約100キロ。
  • 乾麺麭‥‥‥乾パン。
  • 警戒警報‥‥‥サイレンは3分間連続で鳴る。解除は口頭伝達。
  • 空襲警報‥‥‥サイレンは8秒づつ間を置き、4秒間づつ10回鳴る。解除は3分間連続で鳴る。又は口頭伝達。
  • 当番勤務に入る事を上番(じょうばん)、勤務を終わるのを下番(かばん)という。
  • 2月10日、紀元節、初代神武天皇の即位日。
  • 3月6日、地久節、昭和天皇妃の誕生日。
  • 4月29日、天長節、昭和天皇の誕生日。
  • 11月3日、明治節、明治天皇誕生日。
  • 現在の春分の日は春季皇霊祭。秋分の日は秋季皇霊祭。
  • 4月3日、神武天皇祭、神武天皇崩御の日。
  • 靖国神社大祭は春4月30日、秋10月23日。他に臨時大祭。
  • 10月17日、神嘗祭、新米を伊勢神宮に捧げる。11月23日、新嘗祭、新米を神々に捧げる。現在の勤労感謝の日。
  • 12月25日、大正天皇の崩御した日。
  • 1月8日、陸軍始め。3月10日、陸軍記念日。5月27日、海軍記念日。






陸軍部隊戦史


森山康平著『陸軍部隊戦史』より




◆歩兵第22連隊の遺書


  • 昭和14年9月、第22連隊は第11師団から第24師団に編入される。
  • 昭和19年8月5〜6日、沖縄本島金武湾に上陸する。那覇上山国民学校の開洋会館に分宿して一日休養。
  • 8月8日夜、第22連隊は北谷村屋良久得に向かう。読谷村にある北飛行場を中心とした中部地区一帯を守備。
  • 12月、第9師団の抽出で、第22連隊は小禄村、豊見城村に移動。
  • 3月9日、第32軍の師団長、連隊長、大隊長、幕僚級の大幅異動。第22連隊は連隊長の田中幸憲大佐が朝鮮軍教育隊長に転出、替わって台湾軍第9師団高級副官吉田勝中佐が補職される。
  • 4月12日、第22連隊は第62師団の指揮下に入る。陣地配備は中城村南東台地の南上原に第1大隊(鶴谷義則少佐)、第3大隊(田川慶介大尉)は独立歩兵第12大隊の指揮下に入り宜野湾村我如古へ、第2大隊(平野茂男 少佐)は浦添村仲間に、連隊本部も西原村幸地に移る。
  • 4月17日、第2大隊、棚原に後退。第1大隊と第2大隊は第24師団に復帰する。
  • 4月19日、第3大隊は連隊本部と連絡が取れないまま運玉森(標高161m)を守っている。
  • 4月23日、独立歩兵21大隊が守備する伊祖丘陵の頂上が敵に奪われる。
  • 4月24日、嘉数高地が敵に奪われる。
  • 4月27日、第22連隊は第32連隊と協同して前面東方高地の奪回を命じられる。
  • 5月4日、午前5時、総攻撃下令。
  • 5月5日、午後6時、全軍攻撃中止。総攻撃で第32軍は兵力の75%を失う。
  • 5月6日、朝から雨。
  • 5月7日、雨。
  • 5月11日、沢岻の高地が敵に奪われる。
  • 5月17日、石嶺が敵に奪われる。
  • 5月21日、朝から豪雨、雨は一週間降り続く。
  • 5月22日、第32軍司令部は首里撤退を決断。第24師団は八重瀬岳−与座岳−国吉−真栄里を経て西海岸の名城に渡る線の確保を命じられる。
  • 5月23日、豪雨の中、深夜より首里撤退が始まる。
  • 5月28日、夜、第22連隊に撤退命令が下る。
  • 6月13日、第1、第2大隊は真栄里に布陣。第3大隊は第89連隊の指揮下に入り与座岳に出撃。この日、沖縄根拠地隊は玉砕。
  • 6月23日、牛島司令官、自決。




◇兵営と兵隊


  • 二十歳になった男子は4月〜5月頃、通知が届けられ、地域の集会所、小学校などで検査に臨み、翌年の1月10日、各地の連隊へと出頭し入営する。
  • 17歳以上は志願で入営できた。
  • 入営初日、軍服支給後、昼食(赤飯、魚のお頭つき、みそ汁)。午後は宣誓式。
  • 1個中隊は約200人の隊で、約40〜50人の小隊4個をもって編成。中隊長を務めるのは大尉か古参の中尉。
  • 1個大隊は約800人、大隊3〜4個で1個連隊(約2000人)が編成される。
  • 起床ラッパ『オキロヨ オキロ ミナオキロ オキナイトタイチョサンニシカラレル』
  • 起床の後、布団を直し、軍服を着る。慌ただしく厠に行ったり洗顔を済ませたら営庭に集合。
  • 点呼ラッパ『テンコダ テンコダ テンコダ』
  • 食事ラッパ『カッコメ カッコメ カッコメ』
  • 昼食後、1時までに洗濯や繕い物をする。
  • 内務班の掃除は床、窓ガラスなど毎日丁寧に拭く。


  • 制裁
@ビンタ‥‥‥ 平手ビンタ、拳骨ビンタがあり顔面を殴られる。
A給水塔まわり‥‥‥ 点呼に遅れたり動作が遅いと咎められた時は営庭の外れにある給水塔まで駆け足で往復させられる。片道300m位あり何回も繰り返された。
B銃口のぞき‥‥‥

銃器の手入れが不十分だと銃口を上げてのぞいたままの姿で放っておかれた。

Cバケツ挙げ‥‥‥

掃除のやり方にミスがあると水を入れたバケツを頭の上に乗せて不動の姿勢を長時間とらされた。

D食事抜き‥‥‥

食事係が配膳などで不始末をした時は食事を抜かれる事もあった。

E食缶かぶり‥‥‥

食缶の大きなバケツを頭から被らせ、大しゃもじで殴る。食缶や食器などの洗い方がよくないとこうなる。

Fせみ‥‥‥

内務班の柱に両手両足でしがみつき、ミーンミーンと鳴かされる。


  • 夏は夕食後に軍歌演習を行なった。
  • 休日外出して夕食までに帰らないと営倉に入れられた。
  • 兵営には表門(営門)と裏門がある。それぞれに歩哨がいる。営門から入って右手に衛兵所、営倉が見える。左手には菊の御紋章を掲げた連隊本部があり、その奥に営庭が広がっている。営庭付近に兵舎が立ち、その回りに洗顔洗濯場、物乾場、厠、医務室、風呂、炊事場などがある。銃工場、鍛工、靴工、木工、鞍工、蹄鉄工、被服工などもある。下士官集会所(下士集)、将校集会所といった建物、被服庫、兵器庫、火薬庫などの倉庫、訓練のための体操場、射撃場、馬場、廐舎などもある。兵舎内には内務班の他に中隊長室、中隊事務室、将校室、下士官室、学科室、予備室、酒保、物置などがあった。
  • 口径が12mm以上の兵器が大砲。口径が155mm以上、重量8トン以上の大砲を重砲と呼ぶ。
  • 山砲を小型にしたのが迫撃砲。
 




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