沖縄の酔雲庵

沖縄二高女看護隊・チーコの青春

井野酔雲




創作ノート




伊藤桂一著『兵隊たちの陸軍史』より




  • 襟章
二等兵は赤地に☆、一等兵は赤地に☆☆、上等兵は赤地に☆☆☆。
兵長は赤地に黄色い線一本、伍長は赤地に黄色い線一本に☆、軍曹は赤地に黄色い線一本に☆☆、曹長は赤地に黄色い線一本に☆☆☆。
准尉は赤地に黄色い線三本、少尉は赤地に黄色い線三本に☆、中尉は赤地に黄色い線三本に☆☆、大尉は赤地に黄色い線三本に☆☆☆。

少佐は赤地に黄色い線五本に☆、中佐は赤地に黄色い線五本に☆☆、大佐は赤地に黄色い線五本に星☆☆☆。

少将は黄色地に☆、中将は黄色地に☆☆、大将は黄色地に☆☆☆。


  • 明治31年に13個師団に、明治39年に19個師団に拡大する。昭和16年には51個師団。
  • 通常、平時における1師団の所属兵員は1万人であるが、戦時になると2万5千人に増員される。1中隊が平時の100人が250人に増員される外1中隊が増設される。1個大隊が300人から1000人に、1個連隊は3500人位となる。
  • 戦時編制の連隊は連隊長の名前をとって○○部隊というふうに呼ばれた。この部隊という呼称は大隊以上であり、部隊長と呼ぶのは大隊長以上。中隊と小隊は○○隊という隊号だけになり、中隊長に対しては中隊長または隊長と呼ぶ。小隊長以下は小隊長、分隊長と呼ぶ。上官を呼ぶには原則として殿という敬称を付したが、戦場生活が長くなり相互の馴染みが深まると『隊長』『分隊長』と略称もした。この場合、隊長と呼ぶのは中隊長だけ。
  • 平時においては中隊長は兵員とあまり馴染みはなく、班長(戦時の分隊長)をもっとも身近に感じるが、いったん戦場に赴くと中隊長の存在が以前重要になってくる。集団としての戦闘単位は中隊であり、中隊兵員はすべて中隊長の人格識見の感化を受ける。
  • 内務班も中隊毎に編制される。1つの内務班は戦時編制になると1個の小隊となる。
  • 中隊長の階級は大尉か古参の中尉で中隊長室に納まり、兵隊との接触はあまりない。
  • 中隊付将校は少尉または見習士官で初年兵教育の教官であり、馬匹、兵器、練習用具、陣営具(天幕など)及び被服等の業務の責任者になっている。しかし、業務の実務は曹長か古参軍曹が当たっていた。
  • 准尉は兵隊と幹部将校の中間にあって一種の媒体的な立場をもっていた。兵隊や下士官の苦労をなめて累進して来たので比較的苦労人が多く、兵隊感情は勿論、軍隊の事情に精通していた。見習士官は将校待遇だが、准尉は下士官上級者としての待遇。
  • 曹長は命令の受領、伝達のほか、経理事務や兵器、被服等の事務に当たる。兵隊の教育に当たる事はほとんどなかった。
  • 内務班長は教育、内務の指導と兵隊にもっとも身近に存在。軍曹には3等級あり在任期間が非常に長かった。
  • 起床時間は夏季は5:00、冬季は6:00。
  • 5:00
起床

起床後直ちに服装を整え寝具を整理する。

日朝点呼 班内(室内)に整列し、週番(日直)士官立会の下に内務班長の指揮で人員の検査を受ける。この際、診断を受けたい者は申し出る。
点呼後、内務班の掃除、兵器、馬匹の手入れを行い、朝食までの間、射撃予行演習、銃剣術、又は乗馬等の訓練を行う。
  • 6:30〜7:30
朝食
  • 8:00
演習

入隊投書は主に営内で軍人としての心得、軍人勅諭の精神等を学ぶ。

(患者は医務室で診断を受け、週番下士官は連隊本部で会報を受領)

  • 10:00
会報

徒歩教練(乗馬教練)等各兵科の訓練が続く。時には夜間演習も行う。

  • 13:00
昼食
  • 16:00
演習終了
  • 16:00〜17:00
入浴

全員、毎日入浴し、保険、衛生に務める。

  • 17:00〜18:00
夕食

演習終了後、直ちに兵器、馬匹の手入れ。その他受け持ち区域の清潔整頓をする。

  • 18:00〜20:00
休憩

学科の自習。家郷への通信。又は酒保へ出掛ける。

  • 20:00
日夕点呼

日朝点呼と同じ。命令、会報等伝達される。

  • 20:30
消灯

不寝番以外の者は全員就寝。なお勉強する者は中隊事務室等を借りて行う。

 

※この他、臨時点呼、不時点呼、非常呼集、防火、防空演習等が行われることもある。


  • 日課はすべてラッパに始まりラッパに終わる。
  • 軍隊では軍隊内部外の一般社会人を『地方人』と呼んでいた。軍隊では第一日目を地方人的に遇し、第二日目には突如として兵隊扱いした。
  • 軍隊では被服の寸法を兵隊に合わせるのではなく、兵隊を寸法に合わせるのだと言われている。
  • 入隊時に渡される物
  • 軍帽

儀式、外出用と日常用の作業帽とがある。

  • 軍服

儀式、外出用の第一種軍装(一装)と演習用の二装。

  • 外套

冬用と雨外套。

  • 作業衣袴

白の作業衣。

  • 寝具

毛布、掛布(毛布をふとんのように包む)、敷布、枕、蚊帳(数人用)。

歩兵は軍靴。乗馬部隊は長靴。いずれも外出用、演習用の2足。ほかに営庭で履くゴム製の営内靴。室内で履くスリッパ。
  • 巻脚絆・靴下

靴下は足型に合わさず、単にズンドウに作られていて回しながら履けた。

  • 雑品

洗濯石鹸、兵器手入れ具一式、服手入れ具一式、馬手入れ具一式(乗馬隊)等。

  • 小銃と擬製弾

三十八式歩兵銃。

  • 帯剣と帯革

いわゆるゴボウ剣。

  • 水筒
  • 手箱

木製のもので棚に置き、中に軍隊用書籍(典範令)、軍隊手帳、歯磨き道具などをしまった。本来は私物箱だが随時検査されるので余分な物は入れては置けない。


  • 初年兵は便所に行くにも大声で『何某、便所へ行って参ります』といい、帰ると『何某、便所へ行って参りました』と報告する。ただし、この習慣は1ケ月ぐらいのうちには自然に消滅する。
  • 入営当日の食事は軍隊として最上の物が出る。赤飯に尾頭つきの魚その他。
  • 消灯ラッパの節に言葉をつけて『シンペイサンハ、カワイソウダネ。マタネテナクノカヨ』
  • 鉄の寝台に住み着いている南京虫の歓迎を受ける。
  • 初年兵の教育訓練は満4ケ月(騎兵は馬を扱うため5ケ月)経つと連隊長の検閲を受ける。
  • 歩兵入営後第一年の教育年次科目
  • 《第一期》入隊時より約4ケ月
術科

各個教練、体操、射撃予行演習、距離測量、狭窄射撃、小隊教練、射撃、野外演習、銃剣術。

学科

勅諭、読法、各種兵の指揮別及び性能、団体編制の概要、上官の官姓名、武官の階級及び制服、勲章の種類及び起因、軍隊内務省の摘要、陸軍刑法及び懲罰令の摘要、射撃教範の摘要

一期の検閲が終わると初年兵としての序列がはっきりとする。

  • 《第二期》連隊長の検閲後、約1ケ月半。
術科

第一期の課目、中隊教練、工作。

学科

第一期の課目、衛兵勤務、赤十字条約の大意、救急法の概要

  • 《第三期》連隊長の検閲後、約1ケ月半。
術科

第一、第二期の課目、大隊教練

学科

第一、第二期の課目、連隊歴史の概要

  • 《第四期)連隊長の検閲後、約3ケ月。
術科

第一、第二、第三期の課目、游泳及び漕艇術、連隊教練。

学科

第一、第二、第三期の課目、

  • 《第五期》旅団長の検閲後、約1ケ月。
術科

第一、第二、第三、第四期の課目、旅団教練。

学科

第一、第二、第三、第四期の課目、

  • 《第六期》師団長の検閲後、約1ケ月。
秋期演習。


  • 軍歌演習の典型的なものは指導将校を中心にして歌いながら円形行進をする。
  • 昭和18年以降は粗悪な見習士官が氾濫して下士官は特に迷惑した。
  • 勤務には衛兵勤務と廐番勤務などがあり、衛兵勤務は表門の脇に衛兵所があり、衛兵司令(下士官)、歩哨係と衛舎係(上等兵)のほかに軍旗、表門、裏門、弾薬庫等の衛兵勤務の人員がいる。1時間づつ、立哨、仮眠、控というふうになっている。
  • 休日の外出は朝食後から日夕点呼までと決まっていた。
  • 帰営時間に遅れると営倉送りとなる。外出先からの物品の持ち込みは許されなかった。
  • 隊外に出る事を『分遣になる』という。


  • 工務兵
銃工兵は小銃、銃剣等の修理を行う。
木工兵は建築やこまかい大工仕事を行う。
装工兵(靴工兵)は軍靴の修理を行う。
縫工兵は軍服、襦袢袴下(こした)等の被服修理。縫工場は兵隊だけでは手が回らないので付近の民家の娘たちが雇われて一緒に仕事をする。兵営内で女っ気のあるのはこの縫工場だけ。
鞍工兵は騎兵隊にいて馬具を直す。


  • 軍隊では見つからない限り、どんな悪いことをしてもよかった。被服係曹長の眼をかすめて、いかに靴下を盗むかが兵隊の才能を示す事になっていた。
  • 小銃の手入れは毎日やる事になっていた。怠ると『三八式歩兵銃殿、何某二等兵は本日手入れを怠りました。ここに謹んでお詫びいたします』というような事を言わされた後、手かしびれるまで捧げ銃をさせられた。
  • 与えられた被服類が棚の上に整然と並んでいないと下へ崩された。
  • 月に一度位、演芸会が行われた。
  • 郵便物は日夕点呼の時、来信のあった者の名が読み上げられ、中隊事務室へ印鑑を持って取りに行く。
  • 支給された兵器、被服類はいつ検査されても支給された員数が合っていなければならない。員数を合わすために他所から盗んでくることを『ガメてくる』と言った。


◆昭和20年の軍人給料(基本給)
大将 年俸6,600円 中将 年俸5,800円 少将 年俸5,000円
大佐 年俸3,720〜4,440円 中佐 年俸2,640〜3,720円 少佐 年俸2,040〜2,640円
大尉 年俸1,470〜1,860円 中尉 年俸1,020〜1,130円 少尉 年俸850円
軍楽大尉 年俸1,750〜2,150円 軍楽中尉 年俸1,390〜1,540円 軍楽少尉 年俸1,120〜1,240円
准尉 年俸960〜1,320円 見習士官 月給40円 曹長 月給32〜75円
軍曹 月給23〜30円 伍長 月給20円 兵長 月給13円50銭
上等兵 月給10円50銭 一等兵 月給9円 二等兵 月給6円50銭〜9円

◆戦地増俸(月額)
大将 ‥‥‥545円 中将 ‥‥‥480円 少将 ‥‥‥410円
大佐 ‥‥‥345円 中佐 ‥‥‥270円 少佐 ‥‥‥200円
大尉 ‥‥‥145円 中尉 ‥‥‥115円 少尉 ‥‥‥105円
見習士官 ‥‥‥ 50円 准尉 ‥‥‥110円 曹長 ‥‥‥ 85円
軍曹 ‥‥‥ 34円 伍長 ‥‥‥ 27円 兵長 ‥‥‥ 18円
上等兵 ‥‥‥ 14円 一等兵 ‥‥‥ 12円 二等兵 ‥‥‥ 12円


  • 外出の時は内務班長に届け、週番士官の許可を得る。木の札を貰って申告し、衛兵司令に敬礼、表門歩哨に札を見せる。
  • 軍隊では典範令以外の私物の書物の手持ちは許可が必要だった。
  • 食事は兵隊1人1日米6合、馬1頭1日大麦4升と規定されていた。
  • 順調な兵は4年で軍曹になる。
  • 戦時編制の師団は兵数2万5千、独立混成旅団は1万足らず。師団と旅団を兵団という。
  • 軍隊では砂糖は麻袋《100キロ》、塩は叺(かます)《50キロ》に入っていた。
  • 第9師団《武部隊》 金沢、明治30年編成、第7連隊(金沢)、第19連隊(敦賀)、第35連隊(富山)
    上海郊外大場鎮・蘇州河と連続堅陣を死傷甚大を顧みず突進40余日、その名轟く吉住兵団。南京攻略では隷下騎兵中心となり森集成騎兵団が大追撃戦展開偉功あり。武漢戦では端昌突破長躯岳陽楼上に日章旗を揚げる。
    昭和14年、内地。15年、渡満。19年沖縄転用は山砲師団なる故で中止。結局大戦では不発だったが戦歴は第一級の精鋭師団を物語るに充分。
  • 第24師団《山部隊》 満州、旭川、昭和14年10月編成。第22連隊(松山)、第32連隊(山形)、第89連隊(旭川)
    満州の重点は東部国境地帯、ここに第3・4・5の3個軍が展開し関東軍は厳然たり。19年より南方・本土等に転用相続き、わずか1年で戦力は急減往年の威なし。第5軍下にあった当師団は19年、沖縄に転出、翌年4月、米軍上陸、大激戦の攻防展開以来1ケ月の連続戦闘に精兵の3分の2を失い弾薬大半を射尽くし持久抵抗に移る。6月下旬、牛島・長両将軍割腹。悲壮茲に終焉。
  • 第62師団《石部隊》 京都、昭和18年5月編成。歩兵第63旅団、歩兵第64旅団。
    独混4・6旅改編。京漢作戦では覇王城の攻略に偉功。随所に撃滅戦展開。沖縄戦に於いて米軍に敢然と挑戦熾烈なる闘魂は歩兵の本領を発揮玉砕。




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