沖縄の酔雲庵

沖縄二高女看護隊・チーコの青春

井野酔雲





第一部




4.仮小屋住まい




 あの恐ろしかった空襲から一月余りが過ぎた。

 焼け跡となった那覇の街では新しい生活が始まっていた。

 十一月四日の新聞によると五万五千人あった那覇市の人口は空襲後、八千人に激変してしまったが、徐々に増えて二万三千余人になったと書かれてあった。敵が攻めて来ない事がわかると避難していた人々は那覇に戻り、焼け残った家に雑居したり、焼け跡に仮小屋を建てて生活を始めた。千恵子も父親と一緒に粗末な小屋で暮らしながら学校に通っていた。

 学校も焼けてしまい授業はできなかったけど奉仕作業はあった。敵の爆撃で破壊された陣地を早急に復旧しなければならず、集まった生徒たちはガジャンビラの高射砲陣地に毎日、通っていた。

 千恵子たちが那覇に戻って来た日、台湾を攻撃している米軍を倒すために飛び立って行った友軍機は大戦果を挙げたと大本営(天皇直属の最高統帥機関)は発表した。『敵の機動部隊は全滅し、沖縄の仇は見事に討ち果たした』と沖縄中にビラが撒かれ、被害にあった人々は涙を流しながら万歳を繰り返した。しかし、この大戦果は誤報だった。夜間の攻撃だった上に敵の物凄い艦砲射撃で上空は煙幕を張られた状態で、敵艦を正確に確認する事はできなかった。次々に入って来る搭乗員たちの景気のいい報告がそのまま大本営に送られ、大戦果と発表されたのだった。実際の敵の損害は大した事はなく、台湾の司令部と海軍の中央部は後に誤っていた事がわかっても、戦果の修正をする事はなかった。国民は勿論、大本営も陸軍の上層部もその事実を知らされず、敵の機動部隊が全滅したという情報を基に以後の作戦を立て、悲劇的な結果をもたらす事となった。

 そんな事は知らず、避難民たちは友軍の勝利に大喜びしながら、那覇に戻って来て焼け跡の片付けに働いた。千恵子たちの様に粗末な小屋を立てて暮らす者も多くなって来た。幼なじみの澄江と初江も戻って来て、家族と一緒に小屋を立てて暮らし始めた。もう一人の幼なじみ、美智子は帰って来なかった。噂では国頭(くにがみ)の方に疎開したという。上級学校へ進学する美紀、和美、政江の三人は焼け残った慶子の家に下宿して、一緒に受験勉強に励みながら奉仕作業に参加していた。

 十一月三日の明治節(明治天皇の誕生日)には百人位しか集まらなかった二高女の生徒も十一月の半ばには二百人近くになり、四年生は五十人位集まった。空襲前は百人位だったので、半分はまだ避難したままだった。焼け落ちた校舎は綺麗に片付けられた。使用可能な木材は陣地壕を作るために運ばれ、金目の物は回収され、残った(くず)は敷地内の片隅に積み上げられてあった。新しい校舎を建てる計画は、予算もなく、資材もないので、まったく目処(めど)が立たないという。

 ガジャンビラの作業から帰って、千恵子は洗濯をしていた。何もかも焼けてしまい、今では衣服も貴重品だった。毎日の作業で汚れてしまうので小まめに洗濯して大事にしなければならなかった。

 焼け跡に人々が戻って来たとはいえ、辺り一面は瓦礫(がれき)の山だった。その中にポツンポツンと粗末な小屋が立っている。まるで乞食小屋だったが、皆で協力し合って少しでも住みよくしようと頑張っていた。

 千恵子の小屋は三畳位の広さしかないけど住めば都だった。初めの頃は失った物をあれこれ思い出してはメソメソ泣き、惨めで不自由な生活を恨んだりしたが、工夫をすれば何とかなる事を覚えると、物がないのも返って気楽に思えて来た。

 千恵子たちの小屋はその地域では一番早く立てられた物だった。父が県庁の職員だったため、首里から通うよりも、たとえ粗末な小屋でも寝られればそれでいいと最初は父が一人で暮らすつもりだったが、千恵子もここの方が学校に近いから一緒に住むと主張した。家族全員が力を合わせ、首里の従姉弟(いとこ)たちも手伝い、弟の友達も手伝ってくれた。安里先輩も野球部の人たちと一緒に小屋を立てるための資材集めを手伝ってくれた。安里先輩は材木だけでなく、ナベや洗濯用のタライ、食器や衣服、布団までも荷車に積んでやって来て、千恵子たちを喜ばせた。首里の人たちもとても親切で、資材はすぐに集まったという。やがて、焼け落ちた自宅を前に呆然としていた人たちも千恵子たちの小屋を見て、自分たちも戻って来る決心をした。千恵子たちは小屋の作り方を教えたり、資材集めを協力した。

 安里先輩は一中の寮に入っているので寮生と一緒に陣地構築の作業に行かなければならなかった。しかし、親戚の家が焼け落ちたので助けなければならないと言って抜け出していた。西本町の親戚の家が焼け落ちたのは本当だったが、親戚の人たちは未だに那覇には戻っていなかった。

「陣地構築も重要だが、焼け出された人たちを助けるのも重要な事だ」と安里先輩は言って、康栄と一緒に毎日のように那覇にやって来た。

「先輩はチー姉ちゃんの顔が見たくて毎日やって来るんだぜ」と康栄は言っていた。

「そんな事ないわよ」と千恵子は何でもない事のように言っていても、心の中では嬉しくて、毎朝、安里先輩が来るのを浮き浮きしながら待っていた。

 安里先輩もそういつまでも作業をさぼるわけにも行かず、来られなくなると千恵子も学校に行き、ガジャンビラの作業に行く毎日が続いた。那覇に戻って来た友達と一緒に辛い作業をしながらも、思いきり歌を歌って疲れを吹き飛ばした。それでも、ふと、安里先輩の事が思い出された。安里先輩と一緒に近所の小屋作りを手伝っていた数日間はほんとに楽しかった。あちこちで小屋作りが始まったため、首里にも廃材はなくなってしまい、悪い事とは知りながら、焼け跡から焼け残った木材を失敬した事もあった。安里先輩と会えなくなって、胸にポッカリと穴があいたような虚しさに襲われた。戦時中のこの御時世に、恋だの愛だのと言ってられないのはわかっていても、好きになってしまった気持ちを押さえられようがなかった。

 十月の末、季節はずれの大型台風が沖縄を襲った。(にわか)作りの小屋は簡単に吹き飛ばされ、千恵子は父親と一緒に防空壕にもぐった。穴を掘っただけの防空壕はいくら(ふた)をしても雨が流れ込んで来て、泥水のお風呂にはいっているような有り様となった。このままでは凍えてしまうと暴風雨の中を必死に走って若狭(わかさ)町のお墓の中に避難した。お墓の中で不安な一夜を過ごし、翌朝、小屋の所に戻ったが、もうメチャメチャになっていた。さすがに父も諦め、首里の祖母のお世話になるしかないと言っていた時、安里先輩が康栄と一緒にやって来た。二人が無事だった事を喜び、安里先輩は、「もっと頑丈なのを作らなけりゃ駄目だな」と康栄を連れて、さっそく資材集めに出掛けて行った。安里先輩の言葉に父もやる気になって、再び小屋作りが始まった。千恵子も安里先輩の顔を見て急に元気になった。友達も集まって来て、あっと言う間に、前より立派な小屋ができあがった。

 貴様と俺とは同期の桜
      同じ航空隊の庭に咲く〜 (同期の桜 帖佐裕作詩、大村能章作曲)

 安里先輩に教わった『同期の桜』を口ずさみながら洗濯物を干していると、懐かしい声が千恵子を呼んでいた。振り返って見ると夕焼け空の中、久茂地橋の上から手を振っている奈津子の姿が見えた。

「お姉ちゃん」とつぶやくと千恵子は姉の側へ駈け寄って行った。

 奈津子は先月の十六日、小屋ができあがる前に県立病院が移動した宜野湾(ぎのわん)村に行ったきり一度も帰って来なかった。およそ、一月振りの再会だった。

「もしかしたら、ここにはいないかもしれないと思ったけど、よかったわ、会えて」

 一月会わないだけなのに、姉は何となく大人っぽくなっているような気がした。

「あれからずっとこっちにいたのよ。おばあちゃんちも焼け出された親戚の人とか、知り合いの人とかいっぱいいて、あたしたちまで迷惑かけられないし」

「そうだったの。宜野湾や浦添(うらそえ)の方も凄いらしいわ。大勢の人が避難して来て、どこもぎゅうぎゅう摘めだって聞いたわ。物置や豚小屋を借りて住んでる人もいるんですって。ねえ、あたしたちのおうちはどんななの」

「とてもいいおうちよ。最初のよりずっと住みよくなって」

「最初のよりってどういう事?」

「最初のは台風で潰れちゃって、今のは二代目なのよ」

「そうか。凄い台風だったものね。そう、あんたも頑張ってたのね」

「頑張ったなんて‥‥‥」

 千恵子は急に涙ぐんだ。辛いのをぐっと我慢していたのが、姉の顔を見ているうちに(こら)え切れなくなって来た。

「馬鹿ね、こんなとこで泣いたりして」

「だって‥‥‥」

 千恵子は涙を拭くと姉の手を引いて、我が家に連れて行った。洗濯をしながら火の上に掛けておいた甘藷(かんしょ)(サツマイモ)はできていた。まだお米の配給も滞っていて、その日の食糧を手に入れるのも大変だった。食糧の事は心配するなと父が何とか工面して来るが、千恵子も近所の人たちの噂を聞いて、(やみ)物資の野菜など、手に入れられる時は手に入れていた。

 日が暮れてから父も帰って来た。街灯もなくなり、日が暮れると辺りは真っ暗になってしまうが、灯火管制が敷かれていて、明かりを持って夜道を歩く事は許されなかった。日が暮れてから外で火を焚く事もできず、家の中でも明かりが外に漏れないようにしなければならなかった。あの空襲以来、毎日のように敵の爆撃機B29が一機か二機、沖縄の上空を飛び回っていた。爆撃する事はなく、ただの偵察なので、警戒警報が鳴っても、市民たちは、ああ、またか、と言って空を見上げるだけだったが、いつ、また、敵の空襲があってもおかしくない状況にあった。

 父は小屋の中にいる姉の顔を見ると、「おお、帰って来たか」と嬉しそうに笑った。

 千恵子から小屋作りの苦労話を聞いていた姉は顔を上げて、元気そうな父を見て安心し、「ただいま」と陽気に言った。「今、お母さんたちが、この小屋を見たら何て言うだろうって話してたとこなのよ」

「そうか、母さんたちが帰って来たら、ちょっと狭いかもしれんな」と父が真面目な顔で言ったので、二人は笑い転げた。母に祖父母、妹が二人に末の弟が帰って来たら、こんな小屋に入りきれるはずがなかった。

「帰って来るまでに何とかせにゃあならんが、今の所は我慢してくれ」父はそう言いながら小屋に入って来た。一足しかない父の靴はもうボロボロになっていた。

「病院の方も大変らしいな。器材不足で大変なのはわかるが、もう少し我慢してくれ。何もかも軍事優先でな、輸送船の手配がつかんのだよ」

 県庁には住民の苦情が殺到しているらしかった。特に県知事や内政部長など、お偉いさんたちが普天間(ふてんま)に避難したまま帰って来ないので、この非常時に何をやっているんだ、県知事は頼むに足らん、県庁などあってなきに等しいと非難が凄かったらしい。父は毎晩、家に帰って来ると困った事だと愚痴をこぼしていた。内務省の勧告によって、知事たちが帰って来たのは十一月の初めになってからだった。

「ねえ、お父さん、あたしね、看護婦養成所を卒業したのよ」と姉が急に言い出した。その事は千恵子もまだ聞いていなかった。

「なに、もう卒業したのか」

「非常時なので繰り上げたらしいの。そしてね、あたし、陸軍病院に志願して、伝染病棟に採用される事に決まったのよ」

「なに、陸軍病院に志願しただと」

 父は突然の事に困惑しているようだった。

「看護婦として当然な事だと思うわ」

 姉は堂々と自分の意見を言っていた。

「浩子のいる南風原(はえばる)か」

 姉はうなづいた。

 空襲の時、患者たちを連れて南風原に避難した浩子おばさんは翌日、千恵子たちの心配をして県庁にやって来て父と会っていた。父から話を聞いて、皆、無事に首里にいると知って安心して帰って行ったという。その後、十一月の初め、この小屋を訪ねて来たが、千恵子は作業に出ていたので会えなかった。乾パンと手紙が置いてあり、頑張ってねと書いてあった。

 姉は陸軍病院の事を詳しく話し、同級生が何人も一緒に行くと言っていた。父は黙って話を聞いていた。父にはっきりと物を言う姉を見て、お姉ちゃん、強くなったなあと思った。夕食の用意をするために千恵子は小屋を出た。

 星空を見上げ、あたしももっと強くならなくちゃと思いながら小屋に入ろうとすると、「明後日(あさって)の十五日、南風原に行かなければならないの」と姉が言っている声が聞こえた。

 父は薄暗い部屋の中に灯る小さなローソクの火をしばらく見つめていたが、姉を見ると、「そうか」と言った。

 父が反対するかもしれないと思いながら、千恵子は甘藷を抱え、小屋の入り口の所に立ったまま成り行きを見ていた。

「わしとしてはお前が陸軍病院に行くのは反対だ。男ばかりの軍隊の中に若い娘をやりたくないのは父親として当然の事だ。浩子は仕方ないとしても、お前までもが行くとはな‥‥‥辛いよ。しかし、卒業したからには、お前はもう一人前の看護婦だ。どこに行っても看護婦としての職務を果たさなければならない。もし、戦争が始まれば、陸軍病院にはひどい負傷兵が運ばれる事になろう。辛い仕事だが、お前が決めた事だ。決して弱音を吐くんじゃないぞ」

「お父さん‥‥‥ありがとう」

「よかったね、お姉ちゃん」

 千恵子は自分の事のように喜んで小屋に入って行った。

「ねえ、お姉ちゃん、みんなから服をもらったのよ。好きなの持って行ってよ」

「えっ、ほんと。あたしもこれしかないので困ってたのよ。陸軍病院では制服の支給がないらしいのよ。それで、どうしようかと思ってたの」

「幸ちゃんもくれたし、お友達もくれたの。あたしは何とかなるから、必要なのを持ってってよ」

「ありがとう。ほんと、助かるわ」

 姉は次の日、留守番をしながらのんびりと過ごし、十五日の朝、南風原の陸軍病院へと出掛けて行った。翌日の十六日の新聞に二高女の授業再開の知らせが載った。若狭町の焼け残ったお菓子工場を借りる事ができたので、そこを仮校舎として、二十日から授業を始める事に決まったのだった。

 二十日の朝、二高女の校庭に集まった四年生は七十数人だった。他の学年もほぼ同様の数だった。借りた工場はそれ程広くはなく、各クラス毎の教室はなかった。それに先月の末、急遽、防衛隊に招集された先生もいて、先生の数も足りなくなっていた。そこで、各学年を松と梅の二クラスに分け、奉仕作業と授業を交替で行なうという事になり、新たな組分けが行なわれた。

 千恵子は松組になった。晴美も澄江も小夜子も佳代も敏美もブラスバンド部の者たちは皆、松組だった。楽器がなくなってしまったので、もう演奏はできないと諦めていたが、もしかしたら、どこかから借りて、また活動できるのかもしれないと喜んだ。ただ、久美と小百合の姿がないのは寂しかった。二人とも下宿先が焼けてしまって郷里に帰ってしまったのかもしれない。久美は久米島、小百合は国頭の大宜味(おおぎみ)村だった。皆で手紙を書いて呼ぼうと相談した。







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