沖縄の酔雲庵




  チーコの青春日記   チーコです、よろしく 

   あの頃を思い出しながら書いてみます



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 昭和19年(1944年)12月11日


期末試験が終わった12月11日、また悲しい事件が起きました。

当時、沖縄には「ケービン」と呼ばれて親しまれた軽便鉄道が走っていました。那覇を基点に北は嘉手納まで、東は与那原まで、南は糸満まで通っていました。

10月10日の空襲で、汽車も駅も線路も破壊されてしまいましたが、ようやく復旧されて、軍の専用列車になりました。一般の人は乗れないのですが、兵隊さんたちの好意によって、遠くから通っている生徒たちは内緒で利用していたようです。

その日の午後5時半頃でした。糸満へ向かうケービンが稲嶺駅の近くで大爆発を起こしました。

沖縄の南部を守っていた第9師団が台湾に移動になって、沖縄から出て行ってしまい、北部を守っていた第24師団がケービンを利用して南部に移動していました。武器や弾薬を積んでいて、その弾薬に火がついて爆発してしまったのです。そのケービンに帰宅途中の女学生が10人乗っていて、その内の3人が二高女の生徒でした。2人は亡くなってしまい、1人は重傷を負ってしまいました。

次の日の昼、教頭先生からその事を知らされて、私たちは呆然となりました。昨日まで一緒にいた級友が急に亡くなってしまうなんて、とても信じられません。作業をしながらも、涙がとめどなく流れました。

昭和19年12月の出来事

12月1日、閣議、中等学校の新規卒業予定者の勤労動員の継続を決定する。
12月6日、日本空挺部隊、レイテ飛行場に強行攻撃をかける。
12月7日、東海地方に大地震、津波(死者998人、全壊26130戸)。
12月7日、生フィルム欠乏で40%の映画館、配給休止の宣告。
12月9日、第二野戦築城隊によって首里の司令部壕の築城が始まる。
12月8日、全国に《一億憤激米英撃摧期成大会》が結成され、一億憤激米英撃摧祈願祭が行われる。
12月10日、ドゴール将軍、モスクワでドイツを対象にした《仏ソ同盟条約》に調印する。
12月上旬、第9師団、沖縄から台湾に移駐する。
12月11日、大里村稲嶺駅付近で軽便列車で輸送中の第24師団の弾薬爆発。
12月15日、大本営、第10方面軍に対し第12・第82師団の派遣を内報する。
12月17日、B29、名古屋に来襲する。
12月19日、大本営、レイテ島での地上決戦方針を放棄する。
12月21日、『爆音による敵機の聴き分け方』放送。
12月23日、泉県知事、公用の名目で空路、沖縄を去る。
12月26日、第9航空軍が創設される。
12月26日、那覇市の一部の地域に電灯がつく。
12月31日、アンガウル島、ペリリュー島の日本軍が玉砕する。
12月31日、第10方面軍司令官安藤利吉大将、台湾総督を兼ねる。
12月、   石垣島海軍警備隊司令井上乙彦大佐が着任する。
12月、   米国宣伝放送(中波、サイパン島発)受信。
       第32軍と県学務課による、中等学校生徒戦場動員計画、成る。

この年、中学生には通信訓練、女学生には看護教育を施す。

・軍事費、国家財政の85%強に達する。
・食糧増産のため学童も動員して空地を徹底的に利用。
・戦況悪化で流言が激増。
・金属不足により、5銭・10銭が紙幣に。
・硫黄マッチ登場。
・陸軍報道局編『必勝国民読本』、松村秀逸『宿敵米英を撃て』
・流行歌『若鷲の歌(若い血潮の予科練の七つボタンは桜にイカリ)』『同期の桜』
『ラバウル小唄』『ラバウル海軍航空隊』
・日本映画『日常の戦ひ』『狼火は上海に揚る』他戦記、増産映画が盛ん。

沖縄軽便鉄道は死せず  軽便鉄道  一兵士の記録  灰田勝彦大全集  田端義夫大全集〜60年の軌跡〜
 昭和19年(1944年)11月


那覇の街はすっかり焼け跡になってしまいました。家を失った人たちは掘っ立て小屋を立てて、暮らし始めました。

私たちも家の跡地に小屋を立てました。父は首里の祖母の家に行けって言ったけど、首里から学校に通うのは大変だし、父と一緒に小屋で暮らす事にしました。小屋を立てる時、弟の康栄の先輩、安里さんが手伝ってくれました。

安里先輩は野球部の投手で、女学生たちの憧れの的でした。勿論、私も陰ながら憧れていました。その先輩が毎日、首里から那覇にやって来て、私たちの小屋作りを手伝ったくれたのです。家は焼け落ちてしまったけど、安里先輩と一緒にいられて、毎日がウキウキとしていて楽しかったのを覚えています。

焼け落ちた学校も、若狭町の焼け残ったお菓子工場を仮校舎として授業が始まりました。壊滅してしまった陣地の構築作業も始まりました。

県立病院も焼け落ち、患者さんたち一緒に宜野湾村に避難していた姉は陸軍病院の看護婦に志願して、南風原にできた陸軍病院に行きました。

昭和19年11月の出来事

11月1日、マリアナ基地のB29、東京を初偵察する。
11月1日、たばこが隣組配給となる(男子は1日6本づつ)。
11月2日、新聞、2ページに削減(週14ページ)。
11月4日、第32軍高級参謀八原博通大佐、沖縄守備軍から1兵団を抽出して比島方面に転用する件に関する台北会議に参加し、反対意見を具申する。
11月6日、米艦載機、ルソン島全域に来襲する。
11月7日、閣議、《老幼者や妊婦等の疎開実施要綱》を決定する。
11月7日、米大統領選でルーズベルトがデューイを破って4選される。
11月10日、厚生省、婦女子の徴用を実施、女子挺身隊の期間を1年延長する。
11月10日、女師・一高女、生徒を集め、授業を再開。
11月12日、女師は識名高射砲陣地構築作業に、一高女は上間高射砲陣地構築作業に、それぞれ動員再開される。
11月13日、大本営、沖縄から第9師団あるいは第24師団のいずれかを抽出する事を決定し、その選定は第32軍に委ねる旨を電報で指示する。
11月13日、日本野球報国会、プロ野球休止声明を出す。
11月14日、閣議、《労務調整令》《国民勤労報国協力令》を決定する(11月18日より施行)。
11月15日、太宰治『津軽』発表。
11月17日、第32軍、第9師団を台湾へ転出させることを決定し大本営に報告する。
11月24日、マリアナ基地のB29約70機、東京を初空襲する。
11月26日、第32軍、第9師団抽出にあたり《新作戦計画》に基づく軍命令を下達する。
11月27日、《戦勝食糧増産推進沖縄本部》が設置される。
11月、   石垣島で郷土防衛隊第506特設警備工兵隊(高良隊)が招集編成される。
11月、   この頃、沖縄県内の郵便業務、バス・自転車・トラック等により辛うじて営まれる。
11月、   空襲後、生徒の疎開願い相次ぐ。学校当局、これを阻止。

パパママバイバイ  戦争と子どもたち  大本営に見すてられた楽園  ルーズベルト秘録(下)  太宰治
 昭和19年(1944年)10月10日


この日は決して忘れる事はできません。突然、アメリカが沖縄に攻めて来たのです。それはあまりにも突然の事でした。

当時、私たちは勤労奉仕の陣地造りと学校の授業を交替でやっていて、私たちのクラスはその日は授業のある日でした。学校に向かう途中、飛行機が編隊を組んで北の方から飛んで来ました。その日は日本軍の演習があると噂で聞いていたので、朝早くから頑張っているなと思ったのですが、なんと、その飛行機は那覇港に爆弾を落とし始めたのです。

私たちは慌てて学校の防空壕に隠れました。空襲は7時頃から8時半頃まで続きました。敵機が消えたので、学校に集まった生徒たちは解散になりました。

うちに帰ると弟が待っていて、一緒に首里の祖母の家に避難する事になりました。首里に向かう途中で、また敵の攻撃が始まりました。大勢の人たちと一緒に首里まで逃げて、何とか無事に祖母の家に着きました。

その日のアメリカの空襲は五回もありました。1回目が7時頃から8時半頃まで、2回目が9時半頃から10時過ぎまで、3回目が11時半頃から12時半頃まで、4回目が1時頃から2時頃まで、5回目が3時頃から4時頃まででした。1回目から3回目までは那覇港と小禄飛行場に集中していましたが、4回目からは那覇の街も攻撃されて、那覇の街は灰燼と化してしまいました。勿論、私の家も焼けてしまいました。学校も焼け落ちてしまいました。

那覇の街が燃えているのを首里から見ていた私は涙が止まりませんでした。私たちが一体、何をしたというのでしょうか。どうして、那覇の街がアメリカの攻撃に遭わなければならないのでしょうか。

でも、悲しんでいる暇はありませんでした。那覇から逃げて来た大勢の人たちが城跡や学校の校庭に避難しているので炊き出しを手伝ってくけと頼まれて、私たちも行って、おにぎりを作り続けました。9時頃になって祖母の家に帰ると、姉がいました。姉の顔を見たら、急に悲しみがこみ上げて来て、大声で泣いてしまいました。姉から、父も無事だと聞いて安心しました。

昭和19年10月の出来事

10月3日、米統合参謀本部、太平洋艦隊司令長官ニミッツ提督に対し琉球に1個またはそれ以上の拠点を占領せよと命じる。
10月3日、米機B24、沖大東島を銃撃する。
10月5日、宮古島の中・西飛行場が完成する。
10月5日、ニミッツ提督、配下部隊に対し、台湾攻略作戦を変更し、太平洋方面部隊は1月20日に硫黄島、3月1日に琉球諸島に数個所の拠点を確保すべき企画を明らかにする。
10月8日、既教育兵、与那原・読谷山・伊江島に召集される。
10月9日、八重山飛行場工事のため徴用された沖縄本島住民、帰途に遭難し500人の犠牲者を出す。
10月10日、米機動部隊の艦載機延約1400機が南西諸島を空襲、那覇市は90%が灰燼に帰す(罹災戸数1万 2000余戸、死傷者785人、損害は艦船15隻、500万発分の弾薬、県民1カ月分に相当する約4万4000袋の食糧米)。
10月10日、泉知事、南部に住む婦女子の即時北部避難を示達。
10月10〜15日、南部の老幼婦女子、北部へ疎開。
10月10日、泉沖縄県知事、県庁を普天間に移す。
10月11日、第2航空艦隊の主力、九州方面から南西諸島の航空基地に移り始める。
10月12日、台湾沖航空戦が展開され、大本営は戦果がないにもかかわらず大戦果をあげたと発表する。
10月13日、那覇の通信事業、民家を利用して活動を再開する。
10月14日、B29など100機、台湾に来襲する。
10月15日、第26航空隊司令官有馬正文少将指揮の攻撃隊、台湾沖でハルゼー大将指揮下の艦隊を攻撃する。
10月15日、金の強制買い上げ実施。
10月16日、侍従武官坪島文雄中将、宮古島を視察する。
10月16日、陸軍省、《陸軍特別志願兵令》を改定公布し、17歳未満の者にも志願を許可する。
10月17日、第32軍、兵棋演習を実施する。
10月18日、大本営、《捷1号》作戦の発動を命じ、フィリピン方面に陸海軍の主力を投入して決戦を挑む。
10月18日、陸軍省、《兵役法施行規則》を改定公布し、17歳以上を兵役に編入する。
10月20日、戦況の悪化に伴い、東京の日比谷で《一億憤激米英撃摧国民大会》が開催される。
10月20日、米軍、フィリピン中部のレイテ島に上陸する。
10月21日、沖縄県庁に特別援護室が設置される。
10月21日、《10.10空襲》罹災者を優先する沖縄県内外移住事務が開始される。
10月21日、米統合参謀本部、沖縄攻略作戦計画《アイスバーグ作戦》を決定。
10月22日、宮古島の輜重兵第28連隊長横山伊一郎大佐、輜重兵学校長に転出する。
10月23日、第8飛行師団、連合艦隊司令長官の指揮下から除かれる。
10月24日、レイテ沖海戦が行われる(日本艦隊の突入作戦は失敗、連合艦隊の主力を失う)。戦艦『武蔵』沈没。
10月25日、レイテ沖で海軍神風特別攻撃隊(敷島隊)、初めて米艦を攻撃する。
10月25日、中国基地から飛来した米機B29約100機、北九州を空襲する。
10月25日、少額紙幣発行(5銭、10銭)。
10月29日、21歳〜45歳の男子を防衛隊として召集する。
10月、   牛島第32軍司令官、八重山島民の飛行場建設工事への協力に対し感謝状を贈る。
10月、   この頃、護郷隊編成される。

沖縄戦の絵  沖縄は戦場だった  私の沖縄戦記  沖縄〜最期の死闘  ウミガメと少年
 昭和19年(1944年)9月


那覇は兵隊さんでいっぱいになりました。学校の校舎も兵舎として使われ、二高女にも山部隊(第二十四師団)の兵隊さんが駐屯していました。

沖縄を守るために働いている兵隊さんたちを見ながら、私たちもお国のために働かなければならないと強く思いました。

そんな時、小禄飛行場(現在の那覇空港)の近くのガジャンビラ(筆架山)で高射砲の陣地造りが始まりました。私たち女学生も動員されて、汗と土にまみれて働きました。作業はきつかったけど、昼休みになると兵隊さんたちと一緒に歌を歌ったのが、楽しかった思い出として記憶に残っています。その時、面白い替え歌も教わりました。

昭和19年9月の出来事

9月1日、台湾に徴兵制が施行される。
9月4日、第32軍の長参謀長一行、宮古島の飛行場工事を視察する。
9月5日、人間魚雷『回天』の基地誕生。
9月6日、米機動部隊、パラオ島とヤップ島に来襲する。
9月9日、米機動部隊、ダバオを襲撃する。
9月9日、フランス臨時政府樹立(首班ドゴール)。
9月15日、第32軍、航空作戦準備強化のため地上作戦準備を1カ月休止し、飛行場建設に専念する。
9月15日、米軍、パラオ群島のペリリュー島とニューギニア西方モロタイ島に上陸する。
9月15日、ダイヤモンド買い上げ開始(軍需省)。
9月17日、第32軍司令官牛島中将、宮古島守備部隊を視察する。
9月21日、米機動部隊、ルソン島クラーク飛行場を空襲する。
9月22日、台湾軍、《第10方面軍》と改称される。
9月27日、東京商大を東京産業大学、神戸商大を神戸経済大学と改称。
9月28日、最高戦争指導会議、ソ連の中立維持・利用をはかる《対ソ施策に関する件》を決定する。
9月28日、美術展覧会取扱要綱発表、公募展禁止、展覧会中止多数。
9月29日、米軍、B29で初めて沖縄の空中写真を撮影する。
9月30日、政府、《新国民運動実施要綱》を決定する。
9月30日、神仏基30万の宗教家によって《大日本戦時宗教報国会》が結成される。
9月、   独立混成第59・第60旅団の主力、宮古島の配置につく。
9月、   必勝食糧態勢の確立のため、県庁に『食糧配給課』を設置。

豪胆の人 帝国陸軍参謀長・長勇伝  図説特攻  特攻  特攻回天戦  人間魚雷回天
 昭和19年(1944年)8月


8月になって、兵隊さんがいっぱい、沖縄にやって来ました。沖縄が危ないとの噂が流れていたので、兵隊さんたちが沖縄を守ってくれるとみんな、安心しましたが、その反面、こんなに大勢の兵隊さんが来るという事は、本当にアメリカが沖縄に攻めて来るに違いないと思われて恐ろしくなりました。

沖縄守備隊の司令官が渡辺中将様から牛島中将様に替わって、牛島中将様は8月10日に赴任していらっしゃいました。私たちブラスバンド部はいつものように歓迎の式典で演奏をしました。

牛島中将様は何となく親しみやすい感じで、将軍様というよりも、校長先生という感じがしたのを今でも覚えています。

国民学校の児童たちの疎開も始まりました。そして、不幸な事件が起きました。

8月22日、長崎に向かった対馬丸がアメリカの潜水艦の魚雷を受けて沈没してしまったのです。大勢の児童が亡くなってしまいました。私たちの同級生も一人、対馬丸に乗っていて亡くなってしまいました。でも、その事を知ったのはかなり経ってからでした。政府は対馬丸が撃沈された事を公表しませんでした。

昭和19年8月の出来事

8月1日、砂糖の家庭用配給停止。
8月2日、第32軍、第24師団到着に伴う配備変更を下令する。
8月3日、第69飛行場大隊(浅沼隊)、石垣島の白保に配備される。
8月3日、テニアンの日本軍守備隊玉砕する。
      (角田覚治中将(海軍)・緒方敬志大佐(陸軍)指揮下約8000人の将兵が戦死)。
8月4日、閣議、一億国民総武装を決定し、竹槍訓練などが始まる。
8月4日、米華連合軍、ビルマのミートキナを占領する(日本軍守備隊約1000人が戦死)。
8月4日、学童集団疎開第一陣、上野駅出発。9月24日までに20万3000人の疎開完了。
8月5日、第24師団、沖縄本島に到着する。
8月5日、大本営政府連絡会議、《最高戦争指導会議》と改称される。
8月10日、第32軍新司令官として牛島満中将が着任する(渡辺正夫前司令官は病気で離任)。
8月10日、グアム島の日本軍守備隊1万8000人、玉砕する。
8月11日、米機B29、南朝鮮・九州・山陰を襲撃する。
8月12日、米機B29、父島に来襲する。
8月15日、閣議、国内防衛態勢を強化するため《総動員警備要綱》を決定する。
8月18日、第32軍、第62師団到着に伴う配置変更を下令する。
8月19日、第62師団兵員、沖縄に到着する。
8月19日、最高戦争指導会議で《世界情勢判断》および《今後採るべき戦争指導大綱》を決定する。
8月22日、沖縄から本土への学童疎開船対馬丸、悪石島付近で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受けて沈没する(学童・一般人1661人のうち、生存者はわずか177人、そのうち学童は59人で766人が犠牲となる)。
8月22日、連合軍、パリ入城、ドゴール凱旋。
8月23日、 《学童勤労令》《女子挺身勤労令》が公布される(8月31日実施)。
       大学・高専、理科系2年以上の学徒1000人を科学研究員として勤労動員から除外。
8月23日、宮古島の独立混成第45旅団、石垣島に移り、八重山農学校に旅団司令部を開設する。
8月25日、神風特別攻撃隊の体当たり攻撃が始まる。
8月28日、全国神職寇敵撃滅祈願訓令。
8月31日、米軍機、小笠原・硫黄島に来襲する。
8月31日、米機動部隊、台湾に来襲する。
8月、   宮古島住民の島外疎開が始まる。
8月、   独立混成第59旅団主力、伊良部島に布陣する。

沖縄に死す  豪胆の人  対馬丸  戦時艦船喪失史  生きぬいた子どもたち
 昭和19年(1944年)7月


サイパン島が玉砕したと知らされたのは7月の半ば頃でした。校長先生のお話の後、みんなで、「海行かば」を合唱しました。

サイパン島の次は沖縄だという噂が流れて、不安になりました。そんな時、県庁に勤めている父から疎開の話が出ました。沖縄県民を疎開させるために、県庁職員がまず見本を見せなければならないので、職員の家族を疎開させるとの事でした。

私たち家族も、祖父母、母親、二人の妹と末っ子の弟が叔母のいる宮崎県に疎開する事になりました。

7月下旬、みんなが疎開してしまって、家に残ったのは父と姉と私の3人だけになってしまいました。家の中が急に静かになって、寂しくて、早く戦争が終わって、みんなが帰って来る事を毎日、祈っていました。

昭和19年7月の出来事

7月1日、大本営陸軍部、第32軍の作戦援助のため参謀本部付長勇少将を沖縄に派遣する。
7月2日、日本全国で国民総蹶起運動が展開される。
7月3日、石垣島の台湾疎開船2隻、尖閣列島付近で米機による爆撃を受け沈没、多数の死傷者を出す。
7月4日、大本営、インパール作戦中止を発令する(日本側の戦死者3万人、戦傷病者4万5000人)。
7月5日、大本営から派遣の長勇少将と大本営参謀木村正治中佐一行が宮古島を視察する。
7月6日、第9師団(師団長原守中将)司令部の兵員100人、空路沖縄に到着する。
7月7日、富山丸で遭難した独立混成第44旅団および第32軍兵器勤務隊の生存者約500人、那覇に到着する(うち宇土武彦大佐以下約400人が沖縄本島、その他は宮古島に配置される)。
7月7日、サイパン島の日本軍、玉砕する(守備隊戦死約3万人、捕虜1000人、住民の死者約1万人)。日本の絶対国防圏崩れる。
7月7日、緊急閣議、南西諸島の老幼婦女子・学童の県外への集団疎開を決定する。
      沖縄県でも疎開者の募集が始まる。
7月7日、軍中枢部は、この日から米軍の南西諸島への侵攻の公算大なりと予想する。
7月8日、沖縄派遣中の長勇少将が第32軍参謀長に任じられる。
      第32軍参謀長北川少将は台湾軍参謀副長に任じられる。
7月8日、米機B29が九州西北部に来襲する。
7月10日、情報局、中央公論社・改造社に対し自発的廃業を指示する(両社とも月末に解散)。
7月11日、第32軍、西部防衛軍の管下から台湾軍(司令官安藤利吉大将)に編入される。
7月11日、内地各軍に対し戦時警備令が下達される。
7月11日、閣議、国民学校高等科・中学校低学年生徒の動員、深夜業の強化を決定する。
7月12日、帝国在郷軍人会沖縄支部、管内に防衛隊を編成する。
7月14日、東条参謀総長が辞任し、後任に梅津美治郎大将が任じられる(7月18日)。
7月15日、政府、樺太を除き全都道府県に総動員警備を施行する。
7月17日、第24師団、第32軍に編入される。
7月18日、東条英機内閣、総辞職する。
7月18日、《学童疎開促進要綱》が発表される。
7月19日、歩兵第36連隊主力、南大東島に駐留する。
7月20日、櫛淵第28師団長、宮古島に着任する。
7月20日、独陸軍のヒトラー暗殺計画失敗。
7月21日、米海兵隊(5万4000人)、グアム島に上陸する。
7月22日、第8飛行師団、作戦上、連合艦隊司令長官の指揮下に入る。
7月22日、小磯国昭陸軍大将を首班とする内閣が成立する。
7月24日、大本営、フィリピン・台湾・南西諸島・本土・北方の各地域にわたる《捷号作戦》準備を下令する。
7月24日、第62師団・独立混成第59・第60・第64旅団、第32軍に編入される。
7月24日、シュミット少将指揮の米海兵隊4万2000人、テニアン島に上陸する。
7月25日、歩兵第30連隊主力、宮古島に到着する。
7月、   沖縄県民の台湾・九州へ疎開始まる(〜1945年3月までに約6万人が本土へ、2万2000人が台湾へ疎開)。

加藤隼戦闘隊  総統爆破計画  銃後の記憶  十五歳の日記
 昭和19年(1944年)3月


昭和19年の3月の下旬だったと思います。

沖縄を守るために、沖縄守備軍(第32軍)が新設されて、司令官の渡辺中将様と参謀長の北川少将様が沖縄に赴任していらっしゃいました。

私たちブラスバンド部は那覇港まで行って、歓迎の演奏をしました。もしかしたら、小禄飛行場だったかもしれませんが、よく憶えていません。兵隊さんが来る度に、歓迎の演奏をしていました。その時が最初だったように思います。

4月に新学期が始まって、私は四年生になりました。新学期から制服の胸に住所、氏名、年齢、学校名、血液型を書いた名札を付けるようになりました。スカートは特別の日だけで、普段はモンペをはかなければなりません。防空ずきんと救急袋も常に持っていなければならなくなりました。

昭和19年前半の出来事

1月1日、沖縄県農業会が発足し、農業面の統制が強化される。
1月8日、閣議、《緊急学徒勤労動員方策要綱》を決定する。
1月13日、女師・一高女、心身鍛練のため17里行軍を実施。
1月14日、ソ連軍、レニングラード戦線で大攻勢を開始する。20日、独軍から解放。
1月18日、閣議、《緊急国民勤労動員方策要綱》を決定する。
1月24日、スイカ、メロンなど不急作物の作付け禁止。
1月26日、東京・名古屋に防空法による疎開命令(指定区域の建物の強制取り壊し)。各都市も続く。
1月27日、リベリア、日本に宣戦を布告する。
1月29日、『中央公論』『改造』などの編集者検挙(横浜事件)
1月、   八重山諸島の石垣島で郷土防衛のため第227特設警備隊(三木隊)、第226隊(又吉隊)が招集、編成される。
1月、   大本営、絶対国防圏を強化するため南西諸島および台湾の防備態勢を一段と強化することを決め、陸軍部第2(作戦)課長服部卓四郎大佐が神直道少佐に南西諸島の防衛について研究を命じる。
1月、   女教員総蹶起運動展開される。
2月1日、米軍、マーシャル群島に上陸。
2月4日、文部省、大学・高等専門学校の《軍事教育強化方針》を発表する(学徒に航空訓練・機甲訓練・軍事学・兵器学・軍事医学を教習させる)。
2月4日、米機動部隊、千島列島のパラムシロ島を砲撃する。
2月6日、マーシャル群島のクエゼリンとルオット両島の日本軍守備隊約6800人が玉砕する。
2月9日、文部省、《中等学校教育内容の戦時措置》を決定する(芸能科目を廃止して工作を課すほか高等女学校の実業科目を正課とする)。
2月10日、俳優座結成(青山杉作、千田是也他)。
2月16日、大本営陸軍部、《北東及び中部太平洋方面統帥組織及び兵備に関する件》を上奉する(第31軍の新設など北東方面と中部太平洋方面の兵備増強をはかる)。
2月16日、《国民学校令等戦時特例》が公布され、就学義務が満12歳まで引き下げられる。
2月17日、ミッチャー少将指揮下の米第58機動部隊、日本連合艦隊の太平洋における最大の基地トラック島を攻撃し無力化させる(日本軍は艦船43隻と航空機270機を失う)。
2月17日、青年学校教員養成所が廃止され、青年師範学校が設立される。
      文部省は軍人・官吏等を無試験で国民学校や中等学校の教員とし、徴兵による教員の不足を補う。
2月19日、大本営の陸海軍両統帥部、作戦指導の合同研究を行い、日本本土・南西諸島および台湾方面の防衛の緊急強化を決定する。
      東条内閣が改造され、蔵相に石渡荘太郎、農商相に内田信也が就任する。
2月21日、参謀総長の杉山元大将と軍令部総長の永野修身大将が辞任し、統帥と国務の統一をはかるとし て総理兼陸相の東条英機大将が参謀総長、海相の嶋田繁太郎が軍令部総長を兼任する。
2月23日、『毎日新聞』の「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ」の記事に東条首相が激怒し、新聞差し押さえ、執筆記者の懲罰招集をめぐり陸・海軍当局が衝突する。
2月25日、政府、《決戦非常措置要綱》を決定する(高級料亭追放、劇場閉鎖など)。
      文部省、食糧増産に500万人の学徒動員を決定する。
      米潜水艦、沖大東島を砲撃する。
2月、   沖縄県県庁職員家族の本土引き揚げが始まる。
      昭和19年度国民貯蓄目標は360億円に決定され、沖縄県の目標割当は3500万円と発表される。
3月3日、国民学校学童給食、食糧増産への空地利用、疎開促進の3要綱発表。
3月4日、宝塚歌劇団休演、ファン整理対策に警官抜刀。
3月6日、全国の新聞の夕刊が廃止される。
3月7日、閣議、学徒勤労動員の通年実施を決定する。
3月8日、日本軍、インパール作戦開始。
3月9日、陸大教官八原博通大佐が南西諸島守備軍として新設予定の第32軍の参謀要員に任じられ、創設準備作業を始める。
3月15日、大本営陸軍部は南西諸島および台湾方面の防衛強化のため杉田一次大佐を班長とする現地偵察班を派遣する(同行者は椙山一郎中佐(通信)、神直道少佐(航空)、三岡健次郎少佐(船舶)、斎藤春義少佐(編成)などのほか、第32軍参謀長予定の北川潔水少将と作戦参謀予定の八原博通大佐)。
3月20日、沖縄家政女学校を積徳女学校と改称する。
3月22日、大本営直轄の第32軍(沖縄守備軍)が新設される。
      女師・一高女の校舎の3分の1が兵舎となる。
      大本営、第32軍および台湾軍の作戦準備の準拠として《10号作戦準備要綱》の参謀総長指示を発する。
3月24日、大本営、第85兵站警備隊を第32軍に編入し大東島の防衛強化を指示する(人員は将官2人、将校准仕官46人、下士官96人、兵163人、高等文官1人、判任文官16人、工員16人の計340人)。
3月27日、第32軍司令部、福岡市立第一高等女学校で編成を完了する。
3月29日、第32軍司令官渡辺正夫中将、参謀長北川潔水少将らと沖縄に赴任する。
3月29日、中学生の勤労動員大綱決定。
3月31日、連合艦隊指令長官古賀峯一大将はパラオからフィリピンのダバオに飛行中行方不明となる(4月5日、殉職発表)。
3月31日、松竹少女歌劇団解散、松竹芸能部女子挺身隊結成。
4月1日、沖縄県警察官・県庁職員から陸海軍の司政官に転出する者が多くなる。
      制服の胸に住所、氏名、血液型を書いた名札をつけ、もんぺと防空頭巾が義務づけられ、救急カバンを常時携帯となる。『四大節』だけはスカート着用と決まる。
4月1日、国鉄の一等車・寝台車等を撤廃。100キロ以上の旅行は警察の許可制に。
4月4日、閣議、国内警備警察を強化するため、13道府県に《非常警備隊設置》を決定する。
4月8日、ソ連に独ソ和平斡旋を申し入れ(12日、ソ連拒否)。
4月9日、第32軍司令部の残余兵員150人、那覇に到着する。
4月10日、佐世保鎮守府指令長官の要請で第4海上護衛隊と沖縄方面根拠地隊が編成される(沖縄方面根拠地隊司令官は第4海上護衛隊司令官新葉亭造海軍少将月兼務)。
4月12日、渡辺第32軍司令官、第19航空地区司令官青柳時香中佐に沖縄本島と伊江島の航空基地設定を、また第205飛行場大隊長には宮古島の航空基地設定を命じる。
      警視庁、《決戦非常措置令》に基づき興行刷新要綱を発令する(少女歌劇、ショーなど不許可になる)。
4月18日、沖大東島、米潜水艦の砲撃を受ける。
4月23日、渡辺第32軍司令官、軍司令部付松原大尉に石垣島に航空基地の設定を命じる。
4月24日、第85兵站警備隊、大東島に上陸する(途中、米潜水艦の攻撃を受け、隊長横田熊次郎中佐の乗船が沈没し、隊長以下18人が戦死)。
4月28日、中里介山(60)没。
4月、    海軍軍令部、頽勢挽回の決定兵器として9種類の特攻兵器の使用を海軍艦船本部等に提案する(それにより人間魚雷《回天》と合板製滑走艇《震洋》が実現)。
4月、   雑炊食堂開設。
5月1日、海軍大将豊田副武、連合艦隊指令長官に就任する。
5月2日、陸海軍両統帥部の御前研究が行われる。陸海軍両統帥部、南西諸島・台湾・伊豆諸島方面作戦に関する陸海軍中央協定を指示する。
5月3日、独立混成第44旅団(沖縄本島)・第45旅団(宮古・八重山)などが第32軍に編入される。
      陸軍病院を編成する。
      沖縄本島で南・東・中飛行場のほか伊江島飛行場・宮古西飛行場の建設が始まる(各飛行場の労務者は連日2000〜3000人に及び老若男女の別なく小学生に至るまで徴用)。
5月5日、国民酒場開設。
5月8日、宮古島へ第205飛行場大隊が駐留し、陸軍飛行場の建設が始まる。
5月10日、第32軍、大本営直轄を離れ、皇土防衛軍(西部軍)に編入される(10号作戦準備)。
5月16日、西部軍司令官下村定中将、第32軍司令部をはじめ沖縄本島・伊江島・宮古島などを巡視する。
5月18〜24日、米機動部隊、ウェーキ島・南鳥島・千島を攻撃する。
5月20日、宮古・八重山の先島守備隊長に独立混成第45旅団長宮崎武之少将が任じられる。
      渡辺第32軍司令官、独立混成21連隊長に徳之島の基地設定と防衛を命じ、宮崎少将に宮古島および石垣島の基地設定を命じる。
5月24日、防衛総司令官東久邇宮稔大将、沖縄本島第32軍司令部を視察する。
5月、   宮古島で陸軍の中・西飛行場の建設が始まる。
      西部軍司令官下村定中将、初の巡視のため宮古島を訪れる。
5月、   中学生・女学生ら陣地構築に駆り出され授業停止する。
6月4日、英米軍、ローマに入城。
6月6日、連合軍、ノルマンジーに上陸する。
6月10日、第8飛行師団、台湾軍の指揮下に編入される。
6月10日、大日本言論報国会総決起大会開催、ヒトラーへの激励電報を打つ。
6月11日、米機動部隊、マリアナ諸島に来襲し、日本軍のマリアナ地区基地航空部隊は甚大な被害を受ける。
6月15日、連合艦隊指令長官、《あ》号作戦を発動する。南西諸島全域に警戒警備報が発令される。
      独立混成第21連隊主力、徳之島に駐留する。
      渡辺第32軍司令官、第4海上護衛隊司令官及び沖縄方面根拠地隊司令官と《南西諸島作戦に関する現地協定》を結ぶ。
6月15日、米軍、サイパン島に上陸。日本軍3万人玉砕、住民1万人死亡。
6月16日、中国基地の米機B29、初めて九州に来襲する。
6月19日、日本海軍、マリアナ沖海戦で空母と航空機の大半を失い、米機動部隊が西太平洋の制海空権を握る。
6月22日、宮崎独立混成第45旅団長、宮古島に着任、旅団の駐留が始まる。
6月23日、北海道で昭和新山出現。
6月24日、第25飛行団長福沢丈夫中佐、沖縄本島北(読谷)飛行場に着任する。
6月25日、第32軍司令部、防衛軍総司令部に対し沖縄本島への軍備力結集の必要性を強調・要請するがが失敗する。
6月26日、第32軍、第9師団等を配下に編入する。
6月27日、米軍、グアム島へ艦砲射撃を行う。
6月29日、独立混成第44・第45旅団などの兵員を乗せた富山丸月沖縄へ向かう途中、徳之島東方海上で米潜水艦に撃沈され、約4600人の将兵中の3700〜4000人が行方不明となる。
6月30日、第32軍、第28師団を配下に編入し宮古島へ配置を決める。
6月30日、閣議、国民学校初等科児童の集団疎開を決定する。
6月、   八重山の各町村で非戦闘員(老若男女)の台湾疎開を開始する。
       第128野戦飛行場設定隊(山田隊)、陸軍白保飛行場設営のため八重山に駐留する。

一番美しく  五人の突撃隊  遊撃戦 第1巻  史上最大の作戦  ザ・大菩薩峠
 昭和18年(1943年)8月


昭和18年の夏休みだったと思いますが、小禄飛行場(現在の那覇空港)の排水溝掘りの作業に駆り出されました。

私たちもお国のために勤労奉仕をしなければならなくなったのです。

重くて大きなツルハシで、幅2メートル位の溝を掘って、掘った土を運び出す仕事です。汗と泥で真っ黒になって励みました。

出征兵士の留守宅の農作業の手伝いや製菓工場の手伝いもありました。慣れない仕事ばかりで大変でしたけど、みんな、一生懸命に頑張りました。

昭和18年後半の出来事

7月1日、《地方行政協議会令》が公布される。東京都制実施。
7月1日、早川知事解任され、泉守紀、第26代沖縄県知事となる。
7月6日、『みたみわれ』発表、国民音楽会(日比谷)。
7月11日、東条首相、南方よりの帰途、戦時状況の視察のため沖縄に立ち寄る。
7月21日、《国民徴用令》が改定公布される。
7月25日、ブーゲンビル島の上空で航空戦が展開される。
7月25日、ムッソリーニ失脚、逮捕される。
7月29日、日本軍、キスカ島から撤退する。
7月30日、《全国女子学徒動員》が決定される。
7月、   伊江島飛行場建設のため、田村飛行場大隊、伊江島に移駐。
8月1日、日本占領下のビルマでバー・モー政府が独立を宣言し、米英に対し宣戦を布告する。日本・ビルマ、同盟条約に調印する。
8月10日、長袖の和服、ダブルの背広など非必需品の製造禁止。
8月14日、チャーチルとルーズベルトがカナダのケベックで会談する(クワンドラント会議)。
8月17日、独軍、シチリア島撤退。
8月22日、島崎藤村(72)没。
8月、   沖縄県民修練所が設置される(那覇市のほか8カ所)。
8月、   宮古島で特設警備第209・第210中隊が編成される。
9月3日、イタリア、シチリア島で連合国と秘密休戦協定に調印する。
9月4日、上野動物園で空襲に備え猛獣を薬殺。
9月5日、徳川夢声の『宮本武蔵』放送開始。
9月8日、連合国、バドリア政府との休戦協定を公表する。イタリアが無条件降伏する。
9月9日、日本政府、イタリアの無条件降伏に関し声明を出す。
9月10日、鳥取県に大地震、死者1083人、全壊7485戸。
9月12日、独軍、ムッソリーニ前イタリア首相を救出する。
9月15日、ムッソリーニ、独軍占領下の北イタリアにファシスト共和制政府を樹立し首班となる。
       日独共同声明で同盟を再確認する。
9月21日、陸軍省、《兵役法施行規則》を改定公布する(昭和5年以前検査の第2国民兵も招集される)。
9月22日、理工系以外の学生の徴兵猶予停止。
9月22日、販売店員など17職種に男子の就業禁止。
       25歳未満の未婚女子を挺身隊として勤労動員する事を決定。
9月23日、閣議、昭和20年度から台湾に徴兵制を布くことを決定する。
9月28日、閣議、官庁の地方疎開方針決定。
9月30日、大本営が絶対国防圏を設定し、以後は南西諸島および台湾の防備が強化される。
       御前会議、《今後執るべき戦争指導大綱》および《右に基づく当面の緊急措置に関する件》を決定する(絶対防衛線をマリアナ・カロリン・西ニューギニアの線に後退させる)。
10月2日、《在学徴集延期臨時特例法》が公布され、学生・生徒の徴兵猶予が全面停止される。
10月5日、関釜連絡船を米潜水艦が撃沈(死者554人)。
10月12日、閣議、《教育に関する戦時非常措置方策》を決定する(理工科系統および教員養成諸学校学生のほかは徴兵猶予を停止し、義務教育8年制を無期延期する)。
10月14日、フィリピン共和国、独立を宣言する(大統領ラウレル)。
       日比両国、同盟条約に調印する。
10月15日、閣議、重要都市の疎開方針決定。
10月21日、チャンドラ・ボース、シンガポールで自由インド臨時政府を樹立する。
10月21日、第一回学徒出陣。明治神宮外苑で壮行会を盛大に挙行。
       徴兵延期停止による出陣学徒壮行大会挙行。
       東京周辺77校・数万人が雨中、分列行進。
10月21日、中野正剛(58)、倒閣運動容疑で憲兵隊に拘引される(26日割腹自殺)。
10月22日、大本営、第2方面軍と第2軍の満州から太平洋戦線への転用を命令する。
10月30日、政府、汪兆銘政権との間に《日華同盟条約》を締結する。
11月1日、《兵役法》が改定公布される(国民の兵役義務を45歳まで延長する)。
11月1日、政府、商工省・企画院を廃し、《軍需省》を創設する。
       東条首相が初代軍需大臣を兼任する。
       国民精神文化研究所と国民鍛練所が統合され《教学鍛練所》が設置される。
11月4日、県立女子工芸学校、県立首里高等女学校となる。
11月5日、東京で大東亜会議が開催される(日本、フィリピン、タイ、満州、ビルマ、中華民国汪兆銘政権の6カ国代表が参加)。
11月6日、《大東亜共同宣言》が発表される。
11月18日、徳田秋声(73)没。
11月22日、ルーズベルト・チャーチル・蒋介石が会談する(第一回カイロ会談)。
11月25日、ギルバード諸島のマキンとタラワ両島の日本軍守備隊5400人が玉砕する。
11月28日、ルーズベルト・チャーチル・スターリンがテヘランで会談する(ソ連の対日参戦など協議)。
11月30日、日本全国女子学徒動員を決定。女子中等学校生徒に看護教育始まる。
11月、   沖縄県下各地で、食糧増産完遂宣誓大会が開かれる。
12月1日、第一回学徒兵が入隊する(学徒出陣)。
12月1日、米英中『カイロ宣言』を発表。
12月8日、東条首相、世界向け放送でカイロ宣言とテヘラン宣言に反論する。
12月10日、学童縁故疎開促進発表。
12月21日、閣議、《都市疎開実施要綱》を決定する。
12月24日、《徴兵適齢臨時特例》が公布され、徴兵適齢が1年引き下げられる(満19歳に引き下げ)。
12月、   観音寺部隊、佐世保海軍航空部隊から八重山の平喜名飛行場に駐留する。
12月、   沖縄で東部軍司令部女子通信部隊第1950部隊が発足する(女子軍属)。
この年の9月頃までに、琉球8社のうち、普天間宮・末吉宮・沖宮・識名宮・天久宮・八幡宮の修復工事竣工する。
この年の半ばから、師範学校・中学校・青年学校の生徒、現地の各部隊に協力し、陣地構築・食糧増産等に動員される。

・地方銀行の合併盛ん。
・野球用語他一切英語禁止。
・タバコ2回値上げで『ひかり』18銭が45銭に。
・食糧増産のため、ゴルフ場などでも耕作。
・野草の食用を奨励(決戦料理)。
・女性のバス運転手登場。
・流行歌『加藤隼戦闘隊』『お使いは自転車にのって』『勘太郎月夜(小畑実・藤原亮子)』
・日本映画『姿三四郎』『無法松の一生』『花咲く港』

姿三四郎  無法松の一生  太平洋の翼  太平洋奇跡の作戦 キスカ  英霊たちの応援歌 最後の早慶戦
 昭和18年(1943年)4月


4月から女学校の制服がスカートからモンペに変わってしまいました。

カッコわるいけど、仕方がありません。私たちもお国のために働かなければなりません。おしゃれなんかしてはいられません。

奈津子お姉ちゃんは二高女を卒業して、県立病院の看護婦養成所に入って、白衣の天使になるんだって張り切っています。

従姉の陽子ちゃんは、学校の先生になるために師範学校の女子部に入学しました。

あたしもそろそろ、先の事を考えなければならないんだけど、まだ、わかりません。

学校の先生も看護婦さんもいいんだけど、あたしは秀子おばさんみたいに、デパートガールがいいかなって、ちょっぴり思っていました。

昭和18年前半の出来事

1月1日、中野正剛の『戦時宰相論』で朝日新聞を発禁処分。
1月7日、たばこ値上げ(ひかり18銭→30銭、金鵄10銭→15銭)。
1月9日、汪兆銘政権との間に戦争完遂についての《日華共同宣言》が行われ、祖界還付・治外法権撤廃等に関する《日華協定》が締結される。
1月13日、ジャズなどの米英音楽の演奏、レコードを禁止。一覧表(1000曲)配布。
1月14日、ルーズベルトとチャーチル、モロッコで第3次米英戦争指導会議を行う(カサブランカ会議)。
1月16日、電力消費規制強化(軍需要が70%を占める)。
1月21日、中等学校令公布。中学校、高等女学校、実業学校の修業年限1年短縮、4年制。
1月21日、大学予科・高等学校修業短縮、2年制。実業学校を専門学校に統一。
1月21日、師範教育令の改正で師範学校が国立専門学校に昇格。
1月22日、ニューギニアのブナ方面の日本軍が玉砕する。
1月31日、東部戦線の独軍、ソ連に降伏。
1月、   宮古島で海軍飛行場の建設が始まる。
1月、   石垣島で平喜名・大浜両海軍飛行場の建設が始まる。
1月、   谷崎潤一郎『細雪』発表。5月に発表中止命令が出る。
2月1日、日本軍、ガダルカナル島からの撤退を開始する。米軍の反攻強まる。
2月1日、雑誌の英語名禁止(エコノミスト→経済毎日、オール読物→文芸読物他)。
2月2日、スターリングラードの攻防戦でドイツ軍が全面降伏。
2月3日、劇場・映画館、月2回節電休館開始(東京)。
2月23日、陸軍省、《撃ちてし止まむ》の決戦標語をポスター5万枚配布する。
3月2日、《兵役法》が改定公布される(朝鮮に徴兵制を8月1日施行)。
3月5日、大本営、昭和18年度の作戦計画を決定する。
3月18日、《戦時行政特別法》が公布され、総理大臣の権限強化・地方行政の中央集権化が始まる。
3月19日、洋画家、藤島武二(77)没。
3月20日、《戦時刑事特別法》が改定施行され、政府の基本政策に対する疑問や批判などが処罰の対象となる。
3月27日、樺骰窓竝s設立(三井・第一銀行合併)。
3月、   沖縄本島の読谷と伊江島飛行場建設のため労務者の徴用が開始される。
3月、   沖縄県の昭和18年度貯蓄目標額が2500万円と内示される(前年度は2000万円)。
4月1日、女子青年学校の通学服をモンペに統一する。
4月18日、山本五十六連合艦隊指令長官、ソロモン群島上空で撃墜され戦死する。
4月20日、東条内閣が改造され、外相に重光葵、内相に安藤紀三郎が就任する。
4月28日、東京6大学野球連盟解散。
4月、   沖縄県当局、労務供出要綱を決定し、積極的な労務供出をめざす。
5月1日、全国で木炭・薪が配給制となる。
5月9日、北海道幌別を米潜水艦が砲撃。
5月12日、ワシントンでチャーチルとルーズベルトが会談する(トライデント会議)。
5月12日、キンケイド少将指揮の米第51機動部隊に援護された第7師団約1万1000人がアッツ島に上陸。
5月12日、北アフリカ戦線、独軍降伏。13日伊軍降伏。アフリカ戦闘終結。
5月18日、日本美術報国会創立(大政翼賛会文化部、情報局、文部省指導、会長横山大観)
5月21日、《戦時食糧自給対策》が決定される。
5月22日、《勤労報国隊整備要綱》が発表される。
5月29日、山崎保代大佐指揮のアッツ島守備隊2576人が玉砕する(29人が捕虜となる)。
5月31日、教育総監・航空総監が大本営陸軍部の所属になる。
5月、   御前会議、《大東亜政略指導大綱》を正式採択する。
       マレー・蘭印の日本領編入、ビルマ・フィリピンの独立を決定。
5月、   登呂遺跡発見(7月6日確認)。
5月、   エレベーターの回収開始。
6月1日、東京・昭和通り、各ゴルフ場など農園化。
6月4日、戦時衣生活簡素化実施要綱決定。
6月5日、ソロモン群島の航空戦が激化する。
6月10日、米英、独に昼夜、混合爆撃開始。
6月10日、国民徴用令関係違反者776人検挙(警視庁)。
6月16日、工場就業時間制限令廃止・公布(女子・年少者の鉱山坑内作業許可)。
6月20日、創価教育学会、弾圧(幹部検挙)。
6月25日、政府、《学徒戦時動員体制確立要綱》を決定する。軍事教練と勤労動員を強化。
6月30日、経済市況の放送禁止。

連合艦隊司令長官 山本五十六  軍神山本元帥と連合艦隊  父山本五十六新装版  海燃ゆ  図説山本五十六  細雪
 昭和17年(1942年)9月


アメリカと戦争を始めたので、夏休みが終わった二学期頃だったと思いますが、敵国語の英語の授業がなくなりました。

そして、その頃から女学校でも、薙刀や竹槍のお稽古が始まりました。首里の竹林から竹を切ってきて、みんなで竹槍を作って、「エイ、ヤー」と掛け声を掛けながら、お稽古に励みました。

首里に行った康栄は野球部に入って、毎日、練習に励んでいたのに、全国中等学校野球大会も中止になってしまって、がっかりしていました。

野球もアメリカのスポーツだから駄目だったのでしょうか。英語が使えないので、ストライクとかアウトとかも言えなくなって、「よし一本」とか「それまで」とか「ダメ」とかに変わってしまいました。

昭和17年後半の出来事

7月8日、高等女学校の英語を随意科目に、週3時間以内と通牒。
7月8日、海軍技術研究所の物理懇談会第一回会合、原子爆弾、強力電波などで協議。
7月11日、大本営、ミッドウェー敗戦の結果、南太平洋進攻作戦の中止を決定する。
7月12日、全国中等学校野球大会中止を発表(朝日新聞社)。中止の経緯で当局を非難。
7月24日、言論統制の徹底と新聞用紙の節約のため、日本新聞会の音頭で1県1紙制が施かれる。
7月、   女師・一高女、与儀練兵場で実弾射撃訓練始まり、脱臼する者も出た。
7月、   義勇託児所開設され、県下全女学校生徒を夏休みに駆り出すようになる。
7月、   日本軍、ガダルカナル島に進出し飛行場建設を始める。
8月7日、米軍1万9000人、ガダルカナル島に上陸し最初の反抗作戦を開始する。
8月8日、ガダルカナル島周辺海域で第一次ソロモン海戦が行われる。
8月12日、モスクワで英米ソ3国会談が開催される(チャーチル、ハリマン、スターリンが参加)。
8月13日、アメリカ、原子爆弾製造計画(マンハッタン計画)開始。
8月14日、部落会・町内会・隣組を大政翼賛会の下部組織に編入。
8月21日、ガダルカナル島奪回のため上陸した日本の一木支隊、900人中800人を失い敗退する。
8月21日、閣議で18年度から中学・高校・大学予科の学年を一年短縮すると決定。
8月22日、独軍、スターリングラード攻撃開始。
8月24日、第二次ソロモン海戦。
8月25日、NHK、『前線銃後を結ぶ』を放送開始(録音による将兵と留守家族の音信)。
8月27日、西日本に台風、死者891人、全壊33283戸。
9月1日、閣議、《大東亜省》の設置を決定する。その決定に東郷茂徳外相が反対して辞任し、東条首相が外相を兼任する。
9月12日、細川嘉六、共産党再建容疑で検挙(以後、横浜事件として発展)。
9月16日、外国人宣教師らを抑留所に強制収容。
9月26日、陸軍省、《陸軍防衛招集規則》を公布する。
9月、   八重山の平得海軍飛行場の建設が始まり、作業に住民が徴用される。
10月11日、国鉄、時刻呼称に24時間制を採用。
10月24日、ガダルカナル島で日本軍第2師団、総攻撃を開始する(10.26敗退)。
11月1日、大東亜省を設置、行政簡素化をはかる。
11月2日、北原白秋(58)没。
11月7日、鉄道省、乗車券制限発売、乗越禁止を指示(行楽旅行、買出し抑制措置として)。
11月8日、米英連合軍、北アフリカに上陸。
11月14日、第3次ソロモン海戦。(南太平洋での日本連合艦隊の最後の大海戦)。
11月15日、関門トンネル下り線開通。
11月19日 ソ連軍、スターリングラードで挟撃作戦による大反撃を開始する。
11月20日、情報局、愛国百人一首を発表。
11月、   商品不足により百貨店の売場が縮小、会社事務所に提供。
11月、   沖縄県、標準語純正化のため『会話読本』を国民学校へ配布する。
12月3日、第一回大東亜戦争美術展。
12月8日、ニューギニアのバサブアで日本軍玉砕。
12月10日、御前会議、《当面の戦争指導上作戦と物的国力との調整並びに国力の維持増進に関する件》を決定する。
12月15日、沖縄県食糧営団が設置される。
12月21日、御前会議、《大東亜戦争完遂のための対支処理根本方針》を決定する。
12月23日、内閣情報局、《大日本言論報国会》を発足させる(会長徳富蘇峰)。
12月31日、大本営、ガダルカナル島撤退を決定。

・行楽、買い出し抑制のため、切符販売を制限。
・かつぎ屋現れる。
・少年雑誌の表紙も軍国調になる。
・結核予防・BCG接種、一般化。
・流行標語『欲しがりません勝つまでは』
・出征兵士を『勝ってくるぞと勇ましく‥‥‥』と歌い、ノボリや小旗を打ち振り『バンザイ』を連呼して見送った。
・酒、ビールの製造制限が実施される。
・富田常雄『姿三四郎』
・流行歌『湯島の白梅(戦前のタイトルは婦系図の歌、小畑実・藤原亮子)』『空の神兵』
『月月火水木金金』『新雪』
・日本映画『ハワイ・マレー沖海戦』『マレー戦記』『空の神兵』『ビルマ戦記』『父ありき』

ハワイ・マレー沖海戦  空の神兵〜陸軍落下傘部隊訓練の記録  戦時下の日本映画  北原白秋詩集  図説秘話でよむ太平洋戦争(〈真珠湾奇襲からミッドウェー海)
 昭和17年(1942年)4月


去年の12月8日、日本はハワイの真珠湾を攻撃して、アメリカを相手に戦争を始めました。

12月10日にはグアム島を占領して、25日には香港も占領して、年が明けて正月の2日にはフィリピンのマニラを占領、11日にはクアラルンプールも占領しました。

2月15日にはシンガポールも占領、23日にはバリ島も占領、3月8日にはビルマのラングーンも占領しました。

負け知らずの日本軍は、日の出の勢いで領土をどんどん広げて行き、毎日がお祭り騒ぎのようでした。

そんな中、弟の康栄が首里の第一中学校に入学しました。うちから通うのは大変なので、首里のおばあちゃんのうちにお世話になる事になって、うちから出て行きました。

騒がしかった弟がいなくなって、なんとなく、うちの中が寂しくなってしまいました。

昭和17年前半の出来事

1月1日、全国で食塩の通帳制配給とガス使用量割当制が実施される。
1月1日、連合国(26カ国)、ワシントンで連合国共同宣言に調印し、日独との単独不講和・大西洋憲章の原則を確認する。
1月2日、閣議、毎月8日を《大詔奉戴日》とすることを決定する(興亜奉公日は廃止)。
1月2日、本間雅晴中将指揮の第14軍、フィリピンの首都マニラを占領する。
1月3日、蘭印に米英蘭豪(ABDA)連合司令部(ウェイベル英将軍指揮)が設置される。
1月8日、第一回大詔奉戴日
1月10日、日活の製作部門、新興キネマ、大都映画が合併、大日本映画製作叶ン立。18日、大映鰍ニなる。
1月11日、日本軍、クアラルンプールを陥落させる。
       日本、オランダに対し宣戦を布告する。
1月16日、《大日本翼賛壮年団》が結成される。
1月18日、ベルリンで《日独伊軍事協定》が調印される。
1月19日、日本軍、ビルマに侵攻する。
1月20日、商工省、《繊維製品配給消費統制規則》を公布する。
1月20日、ナチ(ハイドリヒ、アイヒマン)、ユダヤ人(1100万)殺害を最終解決と決定。
1月21日、東条首相、大東亜共産圏の方針を宣言する。
1月23日、日本軍、ビスマルク諸島のラバウルに上陸する。
1月23日、沖縄の護国神社竣工。
1月24日、《沖縄県翼賛壮年団》が結成される。
       日本軍、セレベス島に上陸する。
1月25日、タイ、米英に対し宣戦を布告する。
1月27日、米英、戦時経済3協定を公表する。
1月31日、日本軍、アンボン島に上陸する。マレー半島のジョホールバールを占領する。
2月1日、衣料の点数切符制実施(1人都市100点、地方80点《背広50、ワイシャツ12点他》)。
       米機動部隊、マーシャル群島に来襲する。
2月1日、みそ、醤油切符制配給実施。
2月2日、愛国・国防婦人会等が統合され《大日本婦人会》が発足する。
2月5日、《日本新聞会》が設立され新聞の編集統制が強化される。
2月6日、米英両国の軍部、合同参謀本部団を結成する。
2月14日、日本軍、スマトラ島のパレンバン油田地帯を占領する。
       米英、ワシントン会議を開催する。
2月15日、 日本軍、シンガポールを攻略する(昭南島と改称)。
       この日から3月末にかけ6500人の華僑を逮捕、うち5000人を処刑。
       この時が日本軍の絶頂期。
2月16日、東条首相、《東亜解放》を宣言する。
2月18日、《大東亜戦争戦捷第一次祝賀国民大会》が開催される(酒、菓子、あずきが特配)。
2月18日、陸軍宣伝班員徴用(三木清他)、南方派遣。
2月19日、沖縄放送局、放送を開始する。
2月20日、陸軍刑法、海軍刑法改正公布(戦時強姦罪新設)。
2月21日、主要食糧農産物流通の全国的国家管理を目的とする《食糧管理法》が公布される。
2月23日、日本軍、バリ島を占領する。
2月23日、翼賛政治体制協議会結成。
2月27日、スラバヤ沖海戦(ジャワ島のスラバヤ沖で日本艦隊と米艦隊との太平洋戦争最初の艦隊戦)。
3月1日、日本軍、ジャワ島上陸。
3月4日、米機動部隊、南鳥島を砲爆撃する。
3月5日、東京に最初の空襲警報発令。
3月6日、女師・一高女、心身鍛練のため17里行軍を実施。隔年恒例行事となる。
3月6日、特殊潜航艇で戦死した9軍神を発表。軍神加藤建夫隼戦闘隊長戦死発表。
3月7日、大本営・政府連絡会議、《今後採るべき戦争指導の大綱》を決定し、進攻作戦一段落後の方針が決まる。
3月8日、日本軍、ビルマのラングーンを占領する。
3月9日、ジャワの蘭印軍が降伏、今村均中将、バンドンに入城する。
3月17日、マッカーサー米極東軍司令官、フィリピンを脱出し、オーストラリアのダーウィンに到着する。
3月、   フィリピンで抗日人民軍結成。
3月、   戦争記録映画製作員、南方出発(藤田嗣治、小磯良平、安田靫彦、川端龍子他)。
4月1日、ラジオ番組に『陸軍の時間』『海軍の時間』設置。
4月11日、バタアン半島占領。その後、捕虜移動中多くの米兵・フィリピン兵死亡(バタアン死の行進)。
4月17日、アナウンサーを放送員と改称。
4月18日、米ドゥーリットル隊、東京・名古屋・神戸を初空襲する。
4月19日、マッカーサー、南西太平洋方面総司令官に就任する。
4月24日、尾崎行雄、不敬罪で起訴される。
4月30日、第21回総選挙(翼賛選挙)。
4月、   全出版物発行の承認制実施。
5月1日、日本軍、ビルマのマンダレーを占領する。
5月5日、大本営、ミッドウェー島・アリューシャン列島の攻略を命令。
5月7日、日本軍、フィリピンのコレヒドール島を占領する(南方進攻作戦が一段落)。
       日本軍、東南アジア全域をほとんど制圧する。
5月7日、珊瑚海海戦で日米の空母同士による最初の航空戦が展開される。
       米空母『レキシントン』沈没、日本空母『祥鳳』沈没。
5月7日、ヒトラー著・真鍋良一訳『我が闘争』上巻。
5月9日、金属回収令により全国で寺院の仏具・梵鐘等が強制的に供給を命じられる。
5月11日、萩原朔太郎(57)没。
5月13日、米西部海岸の日本人、立ち退きを命じられる。
5月13日、企業整備令公布。
5月15日、大政翼賛会が全国的に改組され、国民組織、国民運動の全てが翼賛会傘下に統合され、国民統制の中核機関となる。
5月20日、《翼賛政治会(会長阿部信行)》が結成される。
5月21日、第一回芸術院賞授章式(小磯良平、高村光太郎、川田順)。
5月26日、文芸家協会が解散、《日本文学報国会(会長徳富蘇峰)》が結成される。
       チャーチル英首相、モロトフソ連外相、ロンドンで英ソ20年間同盟条約に調印する。
5月29日、小磯国昭大将、朝鮮総督に就任する。
5月29日、与謝野晶子(65)没。
6月5日、ミッドウェー海戦で南雲忠一中将指揮の日本艦隊、大敗を喫す。
      
日本は『赤城』『加賀』など4隻の空母と重巡1隻、航空機322機、人員3500人を失い、戦局の一台転機となる。米軍の被害は空母『ヨークタウン』と駆逐艦各1、航空機150機、人員307人。
6月7日、日本軍、キスカ島上陸。
6月8日、日本軍、アッツ島無血占領。
6月8日、割増金付切手債券(弾丸切手)発売。
6月11日、山陽本線関門トンネル竣工。
6月16日、中西功ら満鉄共産党グループ検挙。
6月26日、大日本婦人会県支部の結成式を行う。

マッカーサー伝説  マッカーサー大戦回顧録(上)   わが闘争(続)  萩原朔太郎詩集  与謝野晶子歌集
 昭和16年(1941年)8月


夏休みに仲良しの初江ちゃんと一緒に、久美ちゃんの故郷、久米島に遊びに行きました。

あたしも初江も、初めて沖縄本島から離れる船旅です。二人でキャーキャーはしゃぎながら、船の中で過ごしました。

島に着くと、久美が友達と一緒に出迎えてくれました。そして、久美の家に行くとびっくり。近所の人たちが大勢集まっていて、あたしたちを歓迎してくれました。

優しい人たちに囲まれて、綺麗な島での数日間は、本当に楽しくて、今でも鮮明に思い出されます。でも、楽しかったから余計に、久美の事を思い出すと悲しくなります。

昭和16年後半の出来事

7月1日、全国の隣組、一斉に常会を開く。放送に『常会の時間』を新設。
7月2日、 御前会議で対ソ戦準備、対米英戦も辞せずの方針を決定。
7月2日、関東軍特別演習(関特演)発動。
7月13日、厚生省、団体旅行、体育大会、競技大会の中止を通達。
7月16日、第二次近衛内閣総辞職。18日、第三次近衛内閣成立。
7月16日、3等寝台車廃止、食堂車削減(鉄道省)。
7月21日、文部省、『臣民の道』を刊行、全国の学校に配付。
7月25日、アメリカ、在米日本資産を凍結(27日までに英・比・蘭印も同様の措置)。
7月28日、日本軍、南部仏印に進駐(銀輪部隊活躍)。
7月、   小学教科成績表記が優良可となる。
8月1日、アメリカ、石油その他重要物資の対日輸出停止。
8月2日、大政翼賛会、みそぎ錬成講習会を開く。
8月14日、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相がニューファウンドランド沖に停泊中の英戦艦プリンス・オブ・ウェールズ号上で会談を行う(大西洋会談)。
8月20日、高村光太郎『智恵子抄』刊行。
8月30日、大学に軍事教練担当の現役将校配属。
9月1日、砂糖・マッチ・小麦粉・食用油、集成配給切符制実施。
9月4日、翼賛壮年団結成。
9月20日、街頭写真屋流行、警視庁、自粛要望。翌年全廃。
10月1日、乗用車のガソリン使用を全面的に禁止。
10月4日、臨時郵便取締令公布(外国郵便検閲など)。
10月15日、スパイ容疑で尾崎秀実検挙、続いてゾルゲも検挙(ゾルゲ事件)。
10月16日、第三次近衛内閣総辞職。
10月16日、大学・専門学校・実業学校の修業年数を臨時短縮。16年度3か月繰り上げ卒業。
10月18日、東条内閣、成立。
11月5日、御前会議で対米最終交渉案と帝国国策要領(12月初旬開戦)を決定。
11月7日、東条首相施政方針演説、録音放送(議会放送第一号)。
11月22日、国民勤労報国協力令公布。
       男子14〜40歳、未婚女子14〜25歳、勤労奉仕義務法制化。
11月23日、ソプラノ歌手関屋敏子自殺(38)。
11月26日、アメリカ、ハル・ノート提出。
11月、   軍報道班として文学者徴用始まる。
      (井伏鱒二、高見順、石川達三ら多数、マレー、ビルマ他、各方面に動員)
12月1日、新聞共販制発足。
12月8日、日本軍、ハワイの真珠湾を攻撃し、同時にマレー半島に上陸を開始する。
       (太平洋戦争始まる)
       《日仏印軍事協定》が締結される。
       野村・来栖両大使、ハル米国務長官に日米交渉打ち切りを通告する。
       日本政府、米英両国に対し宣戦を布告。米英両国政府も対日宣戦を布告する。
12月8日、新聞・ラジオ、天気予報・気象報道中止。
12月8日、情報局、新聞社・通信社に対し、大本営発表以外の戦況報道を禁止。
12月8日、 『ニュース歌謡放送』開始(戦果発表後、2、3時間で作詞作曲して放送)。
12月8日、米国映画の8支社に閉鎖命令(映画フィルム差し押さえる)。
12月9日、中華民国政府、日独伊3国に対し宣戦を布告する。
12月9日、『非常措置』として全国215人検挙、150人を予防検束。また在日朝鮮人123人を検挙。
12月10日、日本軍、マレー沖海戦で英国東洋艦隊主力のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスの両戦艦を撃沈する。
12月10日、日本軍、グアム島を占領する。フィリピン北部に上陸する。
12月10日、大政翼賛会沖縄支部が発足する。
12月10日、東京の新聞通信8社主催の《米英撃滅国民大会》が挙行される。
12月10日、ラジオによる全国一斉臨時隣組常会。
12月11日、独伊両国政府、米英に対し宣戦を布告する。
       対米英戦共同遂行・単独不講和の《日独伊3国協定》が締結される。
12月12日、閣議、戦争の名称を《支那事変》を含めて《大東亜戦争》とすることを決定する。
12月16日、《国民徴用令》が強化される。
       日本軍、英領ボルネオに上陸する。
12月16日、戦艦『大和』完成。
12月18日、日本軍、香港に上陸する。
12月19日、《言論出版集会結社等臨時取締法》が公布される。
       《戦時犯罪処罰特例法》が公布される。
12月20日、日本軍、フィリピンのミンダナオ島に上陸する。
12月21日、日本とタイ国間に同盟条約が調印される。
12月22日、ワシントンでルーズベルト米大統領とチャーチル英首相の戦争指導会議が始まる。
       日本軍、フィリピンのリンガエン湾に上陸する。
12月22日、那覇近郊の全女学校生徒、毎週月曜日、連隊区司令部で書類整理の手伝いに動員されるようになる。
12月23日、日本軍、ウェーク島を占領する(大鳥島と改称)。
12月25日、日本軍、香港を占領する。
12月26日、英華、軍事同盟を調印する。
12月27日、《農業生産統制令》が公布される(1942年1月10日より施行)。

・開戦後、朝鮮では朝鮮人キリスト教徒で神社参拝に反対する者など2000余人投獄される(獄死50余人)。
・防空頭巾、もんぺ、ゲートルなどの非常時服浸透。
・和服の長袖追放運動盛んとなる。
・生活費高騰、前年比31%高。
・東京でタバコが一人一個売りに。
・神社参拝反対の朝鮮人キリスト教徒2000人投獄(獄死50余人)。
・流行歌『めんこい小馬』『長崎物語』『そうだその気』
・国策映画『白蘭の歌』『支那の夜』『蘇州夜曲』『熱砂の誓い』などに主演した李香蘭、ブームとなる。
・日本映画『みかへりの塔』『戸田家の人々』『馬』『江戸最後の日』
・外国映画『勝利の歴史(独)』『ジェロニモ(米)』『スミス都へ行く(米)』『砂塵(米)』

智恵子抄  路傍の石  スミス都へ行く  砂塵  戦艦大和1/250
 昭和16年(1941年)4月6日


念願がかなって、二高女に入学できました。去年、新築したばかりの校舎はとても綺麗で素敵でした。

カッコいい制服が着られると楽しみにしていたのに、今年から、全国的に女学校の制服は不恰好なへちま襟になってしまいました。本当に残念です。

あたしは迷う事なく、ブラスバンド部に入部しました。小学校から一緒の澄江ちゃんも一緒です。仲良しの初江ちゃんも誘ったんだけど、テニス部に入りました。

あたしはやりたかったトランペットを吹く事に決まって、毎日、練習に励みました。変な音ばかり出て、お姉ちゃんや弟たちは笑っていたけど、あたしは一生懸命、練習しました。

早く、みんなの前で演奏したいと思いました。

昭和16年前半の出来事

1月1日、ニュース映画上映を全国で強制実施。
1月8日、東条陸相、『戦陣訓』を示達。
1月16日、大日本青少年団結成。
1月22日、女師・一高女、強歩鍛練会(上級10里、中級8里、初級6里)を実施。
2月11日、李香蘭(山口淑子)日劇に出演、観客殺到し警官出動。
2月21日、貯蓄・報国債券をタバコ屋でも売り出す。
2月26日、内閣情報局、雑誌編集部に執筆禁止者のリストを内示(リベラリストなど)。
2月、   下村湖人『次郎物語』青年に連載。
3月7日、左翼系出版物約600点、一括発禁。
3月10日、治安維持法、改訂(予防拘禁制を追加)。
3月18日、美唄炭鉱でガス爆発、死者170人。
3月28日、企画院事件(和田博雄ら検挙される)。
3月29日、東京で『防空壕ごっこ』の少年3人、生き埋めになって死亡。
4月1日、皇国民の錬成を主眼に『国民学校令』公布。小学校を国民学校と改める。
      男子生徒に柔道、剣道、相撲、女子生徒には弓道、なぎなたが正課となる。
4月1日、米穀配給、通帳制。外食券制実施(6大都市)。米1人1日2合3勺。
4月5日、木炭、酒も配給通帳制実施。
4月13日、日ソ中立条約調印(モスクワ)。
4月16日、ハル国務長官と野村大使による日米諒解案決まる。
4月、   女学校の新入生からセーラー服がへちまえりに変わる。
       髪形も一年生おかっぱ、二年生分け髪、三年生分けて結ぶ、四年生三つ編みとなる。
4月、   国民学校で新教科書の使用開始(1〜2年生)。
5月6日、ソ連首相にスターリン就任。
5月15日、予防拘禁所管制公布。
5月、   たばこ販売1人1個と限る(東京)。
6月9日、日本移動演劇連盟結成式(情報局監督下)。
6月22日、独ソ開戦。
6月24日、日本基督教団創立(プロテスタント各派合同)。
6月27日、ユーゴ人民解放パルチザン部隊創設。
6月28日、徳田秋声『縮図』〜9月15日(都新聞)、情報局の圧力で中断。

李香蘭(山口淑子)全曲集  李香蘭私の半生  次郎物語  縮図
 昭和15年(1940年)11月10日


紀元2600年祝賀式典が盛大に行なわれました。

神武天皇が即位して、日本の国ができから2600年目のお祝いです。

万国博覧会やオリンピックも計画されていましたが、日中戦争が始まってしまったので、中止になりました。

小学校では記念式典の他に、運動会や学芸会、展覧会や音楽会も開かれて、記念の植樹も行なわれました。

奥武山(おうのやま)公園では全女学校のダンス大会も行なわれました。二高女のブラスバンド部の演奏もあって、あたしも楽器を演奏したいと思いながら見ていました。

もち米も特別に配られて、お赤飯もいただきました。夜になると、提燈行列が始まって、賑やかなお祭りは15日まで続きました。

昭和15年の出来事

1月、   方言論争(標準語励行の掛け声)起こる。
1月14日、阿部内閣総辞職、16日、米内光政内閣成立。
1月15日、静岡市大火、焼失5100戸
1月21日、イギリスの軍艦、千葉県沖で浅間丸を臨検し、ドイツ客を引致。
2月2日、衆議院で斎藤隆夫の反軍演説が問題となる(3月7日議員除名処分)。
2月12日、津田左右吉の『神代史の研究』など発禁(3月8日出版法違反で起訴)。
2月16日、厚生大臣吉田茂、労働組合の自発的解消を議会答弁で要望。
3月12日、汪兆銘、和平建国宣言を発表(3月30日南京国民政府成立)。
3月23日、5代市川左団次(61)没。
3月28日、内務省、芸能人の外国名やふざけた名前の使用を禁止する。
3月28日、アルミ貨の10銭、鋳造決定。
4月8日、『国民体育法』公布で中学入試の学科試験廃止。内申書、口頭試問、体力検査だけとなる。
4月8日、石炭配給統制法公布。
4月10日、政府、米穀強制出荷命令を発動。
4月15日、新聞4社のニュース映画部門合併し、日本ニュース映画社設立。
4月24日、米・みそ・醤油・塩・マッチ・木炭、砂糖など10品目の切符制を決定
4月、   川端龍子他12人、大陸戦線派遣(陸軍省)、以後、従軍画家増加。
5月1日、東京放送管弦楽団、NHK専属となる。
5月3日、外米6割混入米配給(東京)。
5月10日、若狭町に那覇市立第二商業学校開校する
5月、   報国債権(1万円富くじ)発売。
6月10日、イタリア、英・仏に宣戦布告。
6月14日、東京、隅田川に勝鬨橋(シカゴ式双葉跳開式)が完成。
6月14日、パリ陥落(17日ペタン内閣成立して対独降伏)
6月18日、修学旅行全面中止。
6月22日、東京銀座で初の防空訓練実施。
6月22日、独仏休戦協定調印。
6月24日、近衛文麿、枢密院議長を辞し、新体制運動推進の決意を表明。
6月24日、暴利行為等取締規則改正公布(価格表示義務づけ)。
6月、   日本軍、宜昌攻略。重慶大爆発。
6月、   絶対音感教育採用、ドレミ階名唱法をハニホヘ音名唱法に改正。
7月2日、フランス政府、ビシーに移転。
7月6日、奢侈品の製造販売を制限。
7月6日、社会大衆党解党。
7月7日、贅沢品製造販売禁止規則(7.7禁令)が公布。
      全国の婦人団体が《忠告隊》を組織し『贅沢は敵だ!』のスローガンを立てて街頭に進出、『贅沢な服装は謹みましょう』のビラを道行く人に配った。
      この頃、米、砂糖、マッチなど14品目が統制品となる。
7月7日、藤田嗣治、フランスより帰国。
7月8日、日本労働総同盟解散。
7月10日、左翼出版物弾圧強化、130余点発禁、紙形押収、古本屋在庫本検索。
7月22日、第二次近衛内閣成立。
7月26日、閣議で基本国策要綱決定(大東亜新秩序、国防国家の建設)。
7月27日、大本営政府連絡会議が武力行使を含む南進策を決定。
7月27日、スパイ容疑で英国人多数を逮捕。
8月1日、東京で飲食店の米飯使用を禁止。
8月2日、八路軍(40万)、華北で大規模な攻撃を開始。
8月8日、ドイツ軍、イギリス本土に空襲開始。
8月8日、紀勢西線(和歌山〜紀伊木本間)全通。
8月15日、民政党解党(全政党の解党完了)。
8月21日、トロッキー、亡命先のメキシコで暗殺される。
8月25日、賀川豊彦を反戦的平和論で渋谷憲兵隊が拘引。
8月30日、学生・生徒が平日に映画・演劇を鑑賞することを禁止。
9月7日、ドイツ軍、ロンドンを猛爆撃、以後、夜間65日間続く(ブリテンの戦い)。
9月9日、金の強制買い上げ決定。
9月11日、内務省、部落会・町内会・隣保班・市町村常会整備要綱を通達。
9月12日、5代中村歌右衛門(76)没。
9月13日、講談落語協会、艶笑・博徒・毒婦・白波物、口演禁止。
9月23日、日本軍、北部仏印に進駐。
9月26日、『国民体育法』により、女師・一高女で、走、投(短棒)、跳、強歩、重量運搬の体力査定が行われるようになる。
9月27日、日独伊3国同盟調印
9月27日、東宝移動文化隊結成。
10月4日、砂糖・マッチ配給統制規則公布。11月1日、切符制全国実施。
10月12日、大政翼賛会(総裁、近衛文麿)設立
10月24日、米穀管理規則公布(町村別割当供出制の実施)。11月1日施行。
10月31日、ダンスホールが閉鎖される(東京)。
10月、    国勢調査、沖縄の人口57万4579人。
11月2日、大日本帝国国民服令、公布。
11月5日、ルーズベルト、米大統領3選。
11月10〜15日、紀元2600年祭
11月16日、松竹移動演劇隊結成。
12月6日、情報局管制公布。
12月10日、大政翼賛会沖縄支部、発会式。
12月12日、県『聖旨奉答沖縄県教育者大会』を開き『沖縄県教育者信条』を定める。
12月20日、沖縄日報・沖縄朝日新聞・琉球新報、統合されて『沖縄新報』となる。

・内務省、警視庁が出版統制強化を推進。
・東京市内に『ぜいたくは敵だ』の看板立てられる。
・国鉄駅の標示板、タバコ名から英語を追放。
・国民服普及。
・流行歌『暁に祈る』『荒鷲の歌』『紀元二千六百年』『隣組』『湖畔の宿』『蘇州夜曲』
『名月赤城山(東海林太郎)』『大利根月夜(手田端義)』『目ン無い千鳥(霧島昇)』
『誰か故郷を想わざる(三橋美智也)』『別れ船(田端義夫)』
・日本映画『宮本武蔵』『風の又三郎』『支那の夜』『燃ゆる大空』『小島の春』
・外国映画『駅馬車(米)』『コンドル(米)』『カッスル夫妻(米)』『背信(仏)』

駅馬車 コンドル カッスル夫妻  藤田嗣治画集
 昭和14年(1939年)4月

姉の奈津子が二高女に入学しました。首里に住んでいる従姉の陽子ちゃんは一高女に入学しました。

お姉ちゃんは制服がよく似合っていました。当時の女学校の制服はセーラー服が一般的でしたが、二高女は白いブラウスに濃紺のジャンパースカートとブレザーという新しいスタイルでした。

あたしもその制服に憧れて、絶対に二高女に入るって決めました。

姉の事を思い出すと、やはり、つらくなります。

昭和14年の出来事

1月4日、第一次近衛内閣総辞職。
1月 5日、平沼内閣成立。
1月7日、国民職業能力申告令公布。
1月15日、双葉山、安岐ノ海に敗れ、70連勝を阻止される。
1月15日、東京の理科学研究所にサイクロトロンが据え付けられる。
1月15日、地下鉄(新橋〜渋谷)全通。
1月23日、谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜16年7月。
1月28日、平賀東大総長、河合・土方両教授の休職処分を文相に上申。
2月7日、癩予防協会設立される。
2月10日、日本軍、南シナ海の海南島上陸、占領
2月16日、政府、鉄製不急品の回収を始める。
       郵便ポスト、マンホール、街灯、火鉢などの鉄類が町から消える。
       その後、渋谷のハチ公像や全国の学校にあった二宮金次郎像も徴用される。
3月1日、大阪の枚方陸軍火薬庫が爆発。
3月1日、岡本綺堂(68)没。
3月28日、フランコ軍、マドリードを占領。スペイン内戦終了
3月30日、砂糖、清酒、ビール、木炭、絹織物などに公定価格制。
3月30日、大学の軍事教練が必須科目になる。
4月1日、女師・一高女の制服、新入学生から、生地節約で半袖になる。
4月5日、映画法公布(脚本事前検閲、本数制限など)。
4月7日、愛馬の日、『愛馬進軍歌』流行。
4月12日、米穀配給統制法公布。
4月17日、米国で客死した斎藤大使の遺骨帰る。
5月1日、金の買い上げ運動始まる。
5月11日、ノモンハン事件起こる
5月13日、NHK、テレビ試験放送成功。
5月22日、天皇、青少年学徒に勅語。国家への献身を強調。
5月22日、独・伊軍事同盟(鉄鋼協約)調印、ベルリン−ローマ枢軸完成。
6月7日、満蒙開拓青少年義勇軍の壮行会挙行。
6月7日、泉鏡花(67)没。
6月10日、待合、料理屋、午前0時閉店を通牒。10月1日実施。
6月14日、日本軍、天津の英仏祖界を封鎖。
6月16日、ネオン、学生の長髪、パーマネントなどを禁止。
7月6日、零式戦闘機、初のテスト飛行(海軍)。
7月8日、国民徴用令公布(技術者が対象)、7月15日施行。
7月15日、有田・クレーギー日英会談開く(8月21日決裂)。
7月26日、アメリカ、日米通商航海条約の廃棄を通告(15年1月26日失効)。
8月1日、国民徴用令、初の出頭要求書発送、建築技術者を対象(白の召集令状)。
8月16日、学生の運動競技は土曜午後、休日以外は禁止。
8月19日、東京の三越デパートでテレビの実験放送を初めて公開。
8月20日、ソ連・外蒙軍ノモンハンで総攻撃、日本軍23師団壊滅的損害
8月23日、独ソ不可侵条約締結。
8月25日、米価抑制のための米穀配給統制法第4条発動、最高販売価格(1石38円)を公定。
8月26日、国産機『ニッポン号』、世界一周に出発(10月20日帰国)。
8月28日、『欧州情勢は複雑怪奇』と声明して平沼内閣総辞職。
8月30日、阿部内閣成立。
9月1日、ドイツ軍、ポーランドに侵入。
9月1日、毎月1日は『興亜奉公日』となり、日の丸弁当と指定され、慰問文と献金が集められるようになる。酒不売で飲食店休業、ネオン消灯。月一回日曜日は、波上神宮の清掃と出征兵士家庭の手伝いが課せられた。
9月3日、英仏が対独宣戦、第二次世界大戦勃発
9月4日、第二次欧州大戦勃発により株価暴騰。
9月15日、ノモンハン事件停戦協定成立(モスクワ)。
9月28日、全国の中学入試で筆記試験を廃止(内申書、口頭試問、身体検査)。
9月28日、独ソ友好条約調印(モスクワ)、ポーランドの分割占領を決める。
9月30日、厚生省、『結婚十訓』を発表(産めよ殖やせよ、など)。
9月、    この頃、銃後の労力払底により、仲士・人夫・陶器業等に女性の進出目立つ。
10月1日、厚生省、体力章検定を実施(5種のテストを15〜25歳の男子に義務化)。
10月16日、沖縄に台風襲来、近年稀なる惨禍を被る。
10月18日、物価統制令実施(ヤミ時代始まる)。
11月29日、糸満馬車軌道、営業を停止する。
12月1日、白米禁止令実施。
12月25日、木炭、配給制になる。

・遊興営業の時間短縮。
・男子の坊主頭が奨励される。
・愛国婦人会、『銃後のわたしはタスキがけ』を合言葉に各地で活躍。
・4つ玉ソロバン登場。
・百貨店の年末大売り出し廃止。
・小学校5、6年生に柔剣道を課す。
・流行歌『父よあなたは強かった』『空の勇士』『太平洋行進曲』『上海の花売娘(岡晴夫)』『旅姿三人男(ディック・ミネ)』『港シャンソン(岡晴夫)』
・日本映画『残菊物語』『暖流』『上海陸戦隊』『雪の結晶』
・外国映画『望郷(仏)』『我が家の楽園(米)』『格子なき牢獄(仏)』『ブルグ劇場(独)』

望郷  我が家の楽園  ブルグ劇場  半七捕物帳/岡本綺堂  婦系図/泉鏡花

 昭和13年(1938年)10月27日

中国に進撃した日本軍の勢いは止まりませんでした。5月に徐州を占領して、10月には武漢三鎮を占領しました。

私たち四年生は初めて提燈行列に参加しました。学校に集まって、提燈を持って街中を行列しました。あちこちから提燈の行列が集まって来て、本当に綺麗でした。

あの頃、学校では「愛国行進曲」を歌いながら、毎日のように行進していたように思います。

昭和13年の出来事

1月3日、女優岡田嘉子(36)と演出家杉本良吉(32)、樺太国境よりソ連へ亡命。
1月16日、政府、対中国和平交渉を打ち切り、『国民政府を相手にせず』と声明(第一次近衛声明)。
1月29日、小学教科成績表記を10点法に統一。
1月、   満蒙開拓青少年義勇軍募集。
2月1日、第二次人民戦線事件(大内兵衛、美濃部亮吉ら教授グループ検挙)。
2月11日、木村義雄、将棋の初代名人に就位。
2月18日、石川達三著『生きてゐる兵隊』発禁処分になる。
3月3日、衆議院で佐藤賢了陸軍中佐が議員に『黙れ』と放言、問題になる。
3月13日、ドイツ・オーストラリア併合宣言。
3月28日、中華民国維新政府成立、行政院長梁鴻志。
3月29日、政府、今後メーデーを一切禁止する、と命令。
3月31日、東京駅構内の人力車廃業。
3月、   この頃、小中学校で銃後教育強化され、放課後の奉仕作業多くなる。
4月1日、国家総動員法、公布
4月4日、落語家・漫才師の『わらわし部隊』が前線慰問に出発。
4月6日、電力国家管理法公布。電力、国家管理となる。
4月10日、灯火管制規則実施。
5月1日、ガソリンの切符制を実施。
5月13日、東大の航研機、周回飛行により航続距離の世界新記録を樹立。
5月19日、日本軍、徐州を占拠。この作戦に従軍した火野葦平は『麦と兵隊』を書く。
6月29日、商工省、綿製品の製造販売を制限。
7月5日、阪神地方に豪雨、死者933人、流失破壊13200戸。
7月9日、物品販売売価格取締規則公布。公定価格制度が確立される。
7月15日、張鼓峰で日ソ軍衝突。
7月15日、東京オリンピックの返上を決定。
7月30日、産業報国中央連盟を結成。
8月1日、人身売買を厳禁する。
8月4日、乗用車の製造中止。
8月16日、ヒトラー・ユーゲント来日。
8月、   火野葦平『麦と兵隊』改造に掲載。
8月、   女学校教員を中心に琉装全廃運動おこる。
9月1日、新聞用紙統制を実施。3日、雑誌用紙にも統制を適用。
9月29日、ミュンヘン会談(英仏独伊が協議)。
10月1日、石炭配給統制規則施行。
10月1日、ドイツ軍、チェコのスデーテンに進駐。
10月5日、河合栄治郎の著書『ファシズム批判』など発禁となる。
10月6日、夕張炭坑でガス爆発、死者152人。
10月12日、日本軍、中国南部のバイアス湾に上陸(21日、広東を占領)。
10月27日、日本軍、武漢三鎮(武昌、漢陽、漢口)を占領
11月3日、近衛首相、東亜新秩序を声明(第二次近衛声明)。
11月7日、国民精神作興週間始まる。
11月23日、沖縄男子青年団大会、標準語励行を申し合わす。
12月、   NHK、『一戸に一受信機』を目標に、ラジオ普及運動を開始。
12月22日、近衛首相、日中国交調整のための三原則を声明(第三次近衛声明)。

・戦時国家独占資本主義体制が確立。
・代用品盛んに用いられる(竹スプーン、サメ革靴、サメ革ハンドバッグ、木製バケツなど)。
・和服に矢絣模様流行。
・綿製品の売り惜しみ、しきりに行われる。
・全国のタクシーがメーター制になる。
・新聞統合始まる。
・映画『モダン・タイムス』が人気を博する。
・映画『オーケストラの少女』動員客数に空前の記録。
・映画『愛染かつら(田中絹代、上原謙)』主題歌とともに全国的に大ヒット。
・作家たちを『ペン部隊』として戦場へ送る。陸軍は久米正雄、丹羽文雄、海軍は吉川英治、菊地寛はじめ多数が従軍。
・兵士たちを慰問するため演芸団や慰問隊が組織され次々に前線に送られた。
・流行歌『人生劇場(楠木繁夫)』『別れのブルース』『支那の夜』『満州娘』『麦と兵隊(東海林太郎)』『旅の夜風(霧島昇・ミス・コロンビア)』『日の丸行進曲』『波止場気質(上原敏)』
・ミッチェル作、大久保康雄訳『風と共に去りぬ』
・日本映画『阿部一族』『愛染かつら』『路傍の石』『泣虫小僧』
・外国映画『民族の祭典(独)』『美の祭典(独)』『舞踏会の手帳(仏)』『モダン・タイムズ(米)』『スタア誕生(米)』

風と共に去りぬ  民族の祭典  舞踏会の手帖  モダン・タイムス  スタア誕生

 昭和12年(1937年)12月14日


7月に盧溝橋事件が起こって、日本と中国の戦争が始まりました。

8月には上海事変があって、日本軍は快進撃して、11月には上海を占領、12月には南京も占領しました。

南京が陥落したとの知らせが届くと、私たちは日の丸の旗を振りながら街中を行進しました。

みんな嬉しそうに旗を振っていて、まるで、お祭りのようでした。

昭和12年の出来事

1月21日、衆議院で軍部を攻撃した浜田代議士、寺内陸相と『腹切り問答』。
1月23日、広田内閣総辞職。
1月、   山本有三『路傍の石』発表。『すみだ川(東海林太郎、セリフ田中絹代)』発売。
2月1日、河東碧梧桐(65)没。
2月2日、林内閣成立(5月31日総辞職)。
2月10日、中国共産党が国共合作を提議。
2月17日、『日蓮会死なう団』、皇居・警視庁前などで割腹自殺未遂。
2月22日、軍需景気により、東京株式市場で取引高新記録を達成(142万株)。
3月31日、アルコール専売法公布。
4月1日、ハガキ、封書を37年振りに値上げ(それぞれ2銭、4銭となる)。
4月6日、朝日新聞の『神風』号訪欧に出発。9日、94時間17分の世界記録でロンドンに到着。
4月15日、ヘレン・ケラー女史来日、各地で講演。
4月16日、永井荷風『?東綺譚』朝日新聞。
4月28日、第一回文化勲章授与式。
4月30日、第20回総選挙(民政179、政友175、社会大衆37、昭和19、国民同盟11、東方11、その他34)
5月8日、ラジオ聴取契約者数300万突破。
5月15日、那覇にて九州沖縄在郷軍人大会開かれる(〜16日、参加人員6000人)。
5月31日、文部省、『国体の本義』を刊行。
6月1日、献金付き愛国切手、ハガキ発売。
6月4日、第一次近衛内閣成立。
6月、   川端康成『雪国』刊行。
7月7日、日中戦争勃発(蘆溝橋事件)
7月21日、文部省に教学局を設置。
7月28日、日本軍、華北で総攻撃開始。
8月、   映画の冒頭に『挙国一致』『銃後を護れ』などのスローガンを入れ始める。
8月13日、上海で日中両軍交戦開始(第二次上海事変)
8月14日、二・二六事件の民間関係者(北一輝、西田税ら)に死刑宣告。
8月24日、国民精神総動員実施要綱を決定。
8月、   この頃、沖縄でも愛国献金運動や千人針の愛国運動展開される。
9月6日、岸田国士、久保田万太郎ら文学座結成。
9月12日、国民精神総動員中央連盟、結成。
9月25日、警視庁、東京の円タクに深夜の流しを禁止。
9月28日、国民精神総動員について蔵重知事論告。
10月1日、東京市、出生兵士の留守宅にマークを取り付ける。
10月6日、国際連盟総会、日華紛争の日本の行動を9か国条約、不戦条約違反と決議。
10月10日、朝風呂禁止(東京)。
10月13日、『国民唱歌』放送開始。第一回は『海ゆかば』
10月18日、全日本労働総同盟、事変中のスト中止と戦争支持を決議。
10月25日、企画院設置(企画庁と資源局を統合)。
11月6日、イタリア、日独防共協定に参加。ローマで調印式。
11月12日、林長二郎(長谷川一夫)暴漢に襲われ顔を切られる(京都)。
11月20日、大本営を宮中に設置。
11月20日、蒋介石、重慶への遷都を宣言。
11月25日、日独伊防共協定に調印
12月13日、日本軍、南京を占領
12月15日、第一次人民戦線事件(山川均ら約400人を検挙)。
12月22日、日本無産党・日本労働組合全国評議会に結社禁止令。
12月、  歌詞募集国民歌『愛国行進曲』のレコード、100万枚売れる。

・日本の中国侵略を非難し、インドなどて日本製品ボイコット起こる。
・映画の上映時間を3時間以内に制限。
・郵便の速達制度が全国に広がる。
・『愛国国債』発売。
・プラスチックの食器登場。
・召集令状を受けた兵士、千人針の腹巻きをして出征。
・流行歌『青い背広で』『裏町人生(上原敏・結城道子)』『流転(上原敏)』
・日中戦争勃発後『軍国の母』『進軍の歌』など軍歌流行。
・日本映画『裸の町』『真実一路』『人情紙風船』『若い人』『風の中の子供』
・外国映画『オーケストラの少女(米)』『どん底(仏)』『女だけの都(仏)』『椿姫(米)』

人情紙風船  オーケストラの少女  どん底  女だけの都  椿姫

 昭和11年(1936年)3月

おじいちゃんが校長先生を定年退職しました。

校長先生をしていた頃のおじいちゃんは毎日、忙しくて、一緒に遊んでくれませんでしたが、校長先生を辞めてからはよく遊んでくれました。

おじいちゃんは三味線がとっても上手で、毎日、歌を歌ってくれました。

毎日、夜になるとお酒を飲んで、歌っていました。近所の人たちもよく遊びに来て、一緒に歌ったり、踊ったりして、毎日がとても楽しかったです。

私もおじいちゃんから、色々な歌を教わりました。

昭和11年の出来事

1月13日、第一次北支処理要綱を決定(華北5省に日本の指導による自治を企画)。
1月15日、全日本労働総同盟結成(社会民主主義系組合が合同)。
1月15日、ロンドン軍縮会議脱退を通告(海軍軍拡競争始まる)。
1月、    江戸川乱歩『怪人二十面相』少年倶楽部に掲載。
2月5日、日本職業野球連盟結成、9日初の公式試合(巨人対金鯱)行われる。
    《東京巨人軍、大阪タイガース、名古屋軍、東京セネタース、阪急、大東京、名古屋金鯱》
2月9日、木炭自動車の製造開始。
2月10日、野坂参三、山本懸蔵が『日本の共産主義者への手紙』をモスクワで発表。
2月20日、第19回総選挙(民政205、政友171、昭和22、社会大衆18、国民同盟15、その他35)
2月26日、二・二六事件起こる。軍部、政治的発言を強化。
       従事長鈴木貫太郎重傷、教育総監渡辺錠太郎即死、蔵相高橋是清即死、
       内大臣斎藤藤実即死、前大臣牧野顕(湯河原で襲撃されたが難を逃れる)、
       首相岡田啓介(奇跡的に無事)、松尾伝蔵(首相と誤認されて殺害される)
2月27日、東京市に戒厳令。
2月29日、戒厳司令部、『兵に告ぐ』をラジオで放送、反乱軍帰順。
3月7日、ドイツ、ロカルノ条約を破棄し、ラインラント非武装地帯に進駐。
3月9日、広田内閣成立。
3月13日、大本教に解散命令。
4月18日、国号を大日本帝国に統一
5月7日、衆議院で斎藤隆夫が粛軍演説。
5月18日、軍部大臣現役武官制復活。
5月18日、阿部定事件起こる。20日、阿部定逮捕。
6月1日、NHK『国民歌謡』放送開始。
6月7日、第6師団長谷寿夫中将、沖縄県に行き『沖縄は国防上の生命線』を強調し、県民の覚悟を説く。
6月19日、北海道で皆既月食を観測。
6月30、 落語家、講談師が愛国演芸同盟を結成、カーキ色の服と戦闘帽を制服とする。
7月5日、軍法会議で二・二六事件の被告17人に死刑を宣告。
7月10日、コム・アカデミー事件(平野義太郎ら左翼学者を一斉検挙)。
7月10日、末吉宮の本殿、国宝に指定される。
7月17日、スペイン内線始まる
8月1日、第11回オリンピック、ベルリンで開催(ヒトラー主催)。
8月7日、五相(首・外・陸・海・蔵)会議で『国策の基準』を決定(軍備充実、大陸・南方への進出)。
8月11日、第二次北支処理要綱決定(華北5省における防共、日満支提携政策)。
8月29日、全評、東交などが社会党に反ファッショ人民戦線の結成を申し入れる。
8月、   広田内閣、開拓移民『20ケ年100万戸送出計画』を策定。
8月、   日活映画『魂』の主題歌『男の純情(春日八郎)』ヒット。
9月28日、ひとのみち教団の幹部検挙される。
10月25日、ドイツ、イタリアすう枢軸を結成。
11月7日、新国会議事堂落成。
11月7日、首里図書館開設。
11月25日、日独防共協定調印。
12月5日、人民戦線運動弾圧され、全国で千余人が検挙される。
12月12日、中国で西安事件起こる(張学良らが蒋介石を監禁)。
12月、   この頃、出稼ぎ女工の結核罹患多くなる。
12月、   この頃、遊郭への女児売買多くなる。
12月、   『乃木大将』『四十七士』絵本発売(講談社)
12月、   堀辰雄『風立ちぬ』発表。『椰子の実(東海林太郎)』発売。

この年、日本航空、小禄飛行場を開設する

・二・二六事件の『今からでも遅くない』が流行語に。
・女性マフラー、男児のセーラー服流行。
・アルマイト製弁当箱普及。
・そば1杯10〜13銭。
・流行歌『忘れちゃいやよ』『ああそれなのに』『東京ラプソディー』『男の純情』
・日本映画『人生劇場・青春編』『祇園の姉妹』『赤西蠣太』『浪華悲歌』
・外国映画『ミモザ館(仏)』『白き処女地(仏)』『オペラ・ハット』

祇園の姉妹  浪華悲歌  オペラ・ハット   図説二・二六事件  阿部定事件

 昭和10年(1935年)4月


久茂地尋常小学校に入学しました。仲良しのみっちゃんと一緒に行きました。

みっちゃんとはよく遊びました。でも‥‥‥

みっちゃんと最後に会ったのはいつだったのか思い出してみました。あれは、昭和20年の5月の末だったかしら‥‥‥

思い出の中のみっちゃんは16歳のままです。

久し振りに思い出したら悲しくなってしまいました。

昭和10年の出来事

1月、   高垣眸『怪傑黒頭巾』少年倶楽部。
1月27日、首里市営バス、那覇首里間に運行を開始する。
2月18日、美濃部達吉の天皇機関説、貴族院で攻撃される。
2月28日、坪内逍遙(77)没。
3月4日、『赤旗』停刊、日共中央委壊滅。
3月8日、忠犬ハチ公死ぬ。
3月16日、ドイツ、再軍備を宣言。
3月23日、衆議院で国体明徴決議案を可決。
3月23日、北満鉄道譲渡協定、日満ソ調印。
3月26日、与謝野寛(63)没。
4月6日、満州国皇帝来日。
4月9日、美濃部達吉の著書を発禁処分。
4月15日、NHK、全国向け学校放送を開始。
4〜6月、沖縄で豚コレラ流行(2700頭罹病)。
5月1日、第16回メーデー(戦前最後のメーデー)。
5月19日、首里城内に孔子廟落成。
6月1日、NHK、海外放送を開始。
6月9日、吉岡隆徳、100メートル競争で世界タイ記録の10秒3を出す。
6月28日、フランスで人民戦線を結成。
7月16日、真崎教育総監罷免、陸軍内部で統制派と皇道派の抗争激化。
8月1日、中国共産党、抗日救国を宣言。
8月3日、政府、国体明徴に関して声明を発表。
8月12日、統制派の永田鉄山軍務局長(少将)、皇道派の相沢三郎中佐に斬殺される。
8月23日、吉川英治『宮本武蔵』朝日新聞に連載〜14年。
9月1日、第一回芥川賞(石川達三)、直木賞(川口松太郎)発表される。
9月14日、一高、駒場に移転。
9月24日、暴風雨で利根川氾濫、死者190人(群馬)。
9月、   この頃、沖縄の自動車増大し(220台)、県鉄の収入激減、赤字ぎみとなる。
10月1日、青年学校を全国に設置。
10月3日、エチオピア戦争開始。
10月7日、広田外相、中国に日華提携三原則を提議(排日停止、満州国承認、赤化防止)。
10月、   国勢調査、沖縄県の人口59万2239人、12万6430戸。
11月25日、河北非武装地帯に日本軍の指導によりキ東防共自治委員会が成立。
11月26日、軍事予算増額をめぐって、陸軍省と高橋蔵相が対立。
11月26日、日本ペンクラブ発足(会長島崎藤村)。
12月1日、年賀郵便切手発行(初回)。
12月8日、新興宗教、大本教の幹部、不敬罪と治安維持法違反で検挙される(第二次大本教事件)。
12月9日、北京の学生、抗日・華北自治反対デモ(12.9運動)。
12月30日、東京・日劇の地下に初のニュース・短編映画の専門館ができる。

・月賦販売流行
・バー、カフェー、喫茶店盛んとなる。
・ビーズ製の袋物流行(主に主婦の内職で製造)。
・流行歌『二人は若い』『上海帰りのリル』『野崎小唄』
・軍需景気で結婚ブーム。
・日本映画『妻よ薔薇のように』『街の入墨者』
・外国映画『外人部隊(仏)』『未完成交響楽(独)』『フランケンシュタインの花嫁(米)』『オペラは踊る(米)』

 外人部隊  未完成交響楽  フランケンシュタインの花嫁  オペラは踊る   宮本武蔵

 昭和9年(1934年)4月


4月、浩子おばちゃんが看護婦さんになるために、県立病院の看護養成所に入学しました。そして、5月に妹の登美子が生まれました。

鉄筋三階建てのデパート「丸山号」ができて、みんなでお出かけしました。人がいっぱいいました。何かを買ってもらったんだけど、忘れてしまいました。

昭和9年の出来事

1月29日、日本製鉄設立。
2月22日、日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)解体。
2月24日、直木三十五(44)没。
3月1日、満州国で帝政実施
3月21日、函館市大火(2万数千戸焼失)
4月1日、卓上電話機、東京に初めて登場。
4月3日、全国小学校教員精神作興大会を二重橋前で開催。
4月18日、帝人疑獄事件起こる。
4月25日、上方漫才、東京で初興行。
5月30日、東郷平八郎元帥(88)没6月5日に国葬
6月1日、文部省に思想局を設置。
7月3日、斎藤内閣、帝人疑獄事件で総辞職。
7月8日、岡田内閣成立。
8月19日、ヒットラー、総統になる
8月26日、凶作深刻化し、全農・北日農などが農民生活擁護連盟を結成。
8月29日、松田文相『パパ・ママ』と呼ぶのは好ましくないと言明。
9月1日、竹久夢二(51)没。
9月21日、室戸台風来襲(死者行方不明3036人、家屋全壊流失40000戸)
10月1日、陸軍省、国防の本義に関する文書を配布(パンフレット事件)。
10月10日、高村光雲(83)没。
10月15日、中国紅軍、大長征を開始。
11月2日、アメリカ大リーグのベーブ・ルースら来日(18戦全勝)
11月17日、湯川英樹、中間子論を発表。
11月20日、陸軍青年将校によるクーデター計画発覚(士官学校事件)。
11月、  大陸特急『あじあ号』、新京・大連間に運転開始。
12月1日、丹那トンネル開通。
12月6日、日米国際無線電話開通。
12月26日、初のプロ野球団結成(大日本東京野球倶楽部)。
12月29日、ワシントン条約の放棄をアメリカに通告。
12月、  日産自動車梶Aダットサン(722t)の量産を開始。

 この年、沖縄に民間建築鉄筋コンクリート3階建デパート円山号建造される。

・財閥の満州進出始まる。
・初の国産ニュース映画製作。
・国産パーマネント機械第一号発売。
・初のスタイルブック『服装文化』刊行。
・開襟シャツ流行。
・北海道東北の大飢饉で『娘身売り相談所』が出現。
・『東京音頭(西条八十作詞、中山普平作曲)』全国で大流行。
・女剣劇に人気、一世大江美智子他(浅草)。
・流行歌『国境の町』『赤城の子守歌』
・日本映画『浮草物語』
・外国映画『会議は踊る(独)』『街の灯(米)』『にんじん(仏)』『或る夜の出来事(米)』『若草物語(米)』

 街の灯  或る夜の出来事  若草物語
 昭和8年(1933年)10月


郵便局にお勤めしていた敏子おばちゃんが、今帰仁村にお嫁に行ってしまいました。何となく、うちの中が寂しくなったような気がしました。

でも、その年の暮れに天皇陛下様に男の子がお生まれになって、提燈行列が賑やかに行なわれました。あたしも日の丸の旗を振ってお祝いしました。

昭和8年の出来事

1月1日、日本軍と中国軍衝突。
1月3日、日本軍が山海関を占領(山海関事件)。
1月9日、大島、三原山で専門学校女生徒自殺。以後、三原山での自殺流行。
1月10日、左翼経済学者の東京商大教授大塚金之助検挙、12日には河上肇検挙。
1月30日、ヒットラー政権成立
2月4日、長野県で左翼教員大量検挙始まる。
2月20日、小林多喜二(31)、築地署で虐殺される。
2月、  ダミアが歌う『暗い日曜日』は厭世的とレコードが発売禁止。
3月3日、三陸地方に大地震と大津波(死者1535人、負傷者12053人、流失家屋3500戸、全壊家屋17907戸)
3月4日、ルーズベルトが米大統領に就任、ニューディール政策を開始。
3月10日、尾崎士郎『人生劇場』都新聞に連載始まる。
3月21日、首里〜那覇間の電車廃止される。
3月27日、日本、国際連盟を脱退。
4月5日、『沖縄日々新聞』を『沖縄日報』に改題。
4月10日、日本軍、長城線を越えて華北に侵入開始。
5月21日、日本軍が通州を占領(25日、中国、停戦を正式に申し出る)。
5月31日、中国と塘沽(タンクー)停戦協定を結ぶ(長城以南に非武装地帯を設定)。
6月7日、共産党幹部佐野学、鍋山貞親ら、獄中で転向を声明。
6月16日、松竹少女歌劇団のレビューガール(委員長、水ノ江滝子)らが待遇改善を要求してスト。
6月17日、大阪市で信号無視の兵士と警官が衝突(ゴー・ストップ事件)。
6月、  谷崎潤一郎『春琴抄』
7月20日、陸軍省、満州事変以来の戦死者2530、負傷者6896人と発表。
8月9日、第一回関東地方防空大演習。
8月19日、全国中学校野球第19回大会準決勝、中京商−明石中、日没後の25回で中京商が勝つ。
9月1日、那覇市に上水道竣工。
9月21日、宮沢賢治(38)没。
9月22日、三井財閥、方向転換を発表(三井一門、経営の表面から退き、株を一部公開)。
9月、  宇野千代『色懴悔』
10月3日、五相会議設置され、国防・外交・財政問題を討議。
10月14日、ドイツ、国際連盟を脱退。
10月15日、新渡戸稲造(72)、アメリカで没。
12月23日、皇太子誕生

・ヨーヨーが流行。
・ロングスカートの女性増える。
・漫画『冒険ダン吉』登場。
・『東京音頭』大ヒット。
・日本映画『伊豆の踊子』『出来ごころ』『滝の白糸』
・外国映画『制服の処女(独)』『巴里祭(仏)』『キングコング(米)』『暗黒街の顔役(米)』『グランド・ホテル(米)』

 制服の処女  キングコング  グランド・ホテル
 昭和7年(1932年)4月


おじいちゃんが松山小学校の校長先生になりました。

秀子おばちゃんがデパートの「山形屋」に就職しました。

あたしも初めて、デパートに連れて行ってもらいました。秀子おばちゃんはすました顔してお仕事をしていました。色々な物が売っていて、食堂で、みんなでおいしいお昼を食べたのを何となく覚えています。

昭和7年の出来事

1月8日、李奉昌(朝鮮人)による天皇暗殺未遂事件(桜田門事件)。
1月28日、上海で日本軍と中国軍が交戦(第一次上海事変)。
1月、  この頃、沖縄のいも常食児童1万5000余人に上る。
2月2日、ジュネーブ軍縮会議開催。
2月5日、日本軍、ハルビン占領。
2月9日、井上前首相、血盟団に暗殺される。
2月16日、ラジオ聴取契約数、百万を突破。
2月20日、第18回総選挙(政友301、民政146、無産派5)。
2月22日、肉弾3勇士の戦死(美談として話題になる)。
2月29日、国際連盟派遣のリットン調査団来日。4月、渡満して満州事変について調査。
3月1日、満州国建国宣言(執政溥儀、首都新京)。
3月5日、團琢磨、血盟団に暗殺される。
3月22日、長野、東京などで左翼教員を大量検挙。
4月24日、第一回日本ダービー。
4月26日、瑞金・中華ソビエト政府、対日宣戦布告。
4月28日、東京の弁士・楽士ら、トーキー反対のストを行う。
5月5日、上海停戦協定調印、日中両軍撤退。
5月4日、沖縄の平和館にトーキー映写機を据え付ける。
5月9日、坂田山心中事件(天国に結ぶ恋)。
5月14日、俳優チャップリン来日(〜6月2日)。
5月15日、五・一五事件。青年将校ら首相官邸などを襲撃、犬養首相を暗殺。
5月26日、斎藤内閣成立(挙国一致内閣)。
6月26日、警視庁に特別高等警察部を設置。
7月24日、社会大衆党結成(委員長安部磯雄)。
7月27日、農漁村で欠食児童20万と文部省発表。
7月30日、第10回オリンピック、ロサンゼルスで開催(日本は金メダル7個獲得)。
7月31日、ドイツ総選挙でナチス第一党に。
8月25日、内田外相、議会で満州国承認の決意を表明(焦土演説)。
9月7日、欠食児童が増え、文部省は学校給食を訓令。
9月15日、日満議定書調印(満州国承認)。
10月1日、東京市、隣接郡町村の合併により人口497万人、世界第二の都市になる。
10月24日、日本国防婦人会が結成される。
10月、  第一次武装移民団、大連に到着。
11月8日、米大統領選挙にルーズベルト当選。
11月21日、国際連盟理事会で松岡全権がリットン報告書に反論。
11月、  沖縄で学校給食始まる(県下の児童93%が欠食児童)。
12月13日、大日本国防婦人会発足。
12月16日、東京・日本橋の白木屋デパート火災(死亡14、重傷21)。以後、女性にズロースが普及。

この年、あらかきバス・平尾バス、那覇・名護間を運行する。
自由を我等に
・『米よこせ闘争』盛んになる。
・人絹(スフ)出回る。
・ミルクホール流行。
・大卒初任給50円。
・長谷川如是閑『日本ファシズム批判』刊。
・流行歌『影を慕いて』『涙の渡り鳥』
・日本映画『弥太郎笠』『天国に結ぶ恋』『嵐の中の処女』
・外国映画『三文オペラ(独)』『人生案内(ソ)』『自由を我等に(仏)』
 昭和6年(1931年)2月


弟の康栄が生まれました。
弟ができて、お姉さんになったんだから、あたしもしっかりしなくちゃって思ったのかもしれませんが、はっきりと覚えていません。

昭和6年の出来事

のらくろ1月、  警視庁、映画館の男女別席を廃止。
1月、  田河水泡の漫画『のらくろ二等兵』少年倶楽部に連載始まる。
3月20日、桜会・大川周明らのクーデター計画が発覚(三月事件)。
3月、  東京航空輸送社でエアガール初採用。
4月6日、NHKで第二放送を開始。
4月14日、スペインで共和革命。
7月2日、長春郊外で中国人と朝鮮人の農民が衝突(万宝山事件)。
8月1日、日本初の本格的トーキー『マダムと女房』封切り。
8月17日、満州興安嶺で中村大尉ら中国兵に殺害される(中村大尉事件)。
8月25日、羽田飛行場開設。
8月26日、リンドバーグ夫妻、来日。
9月1日、上越線清水トンネル開通。
9月18日、柳条溝で満鉄爆破(満州事変勃発)
9月19日、関東軍、奉天城を占拠。
10月17日、桜会の軍部内閣樹立をめざすクーデターが発覚(錦旗革命事件)。
10月24日、国際連盟理事会で満州撤兵勧告を可決(13対1、反対は日本のみ)。
10月24日、日本プロレタリア文化連盟(コップ)結成。
11月18日、日本軍、チチハルを占領。
11月27日、中華ソビエト共和国臨時政府(瑞金政府)樹立(主席毛沢東)
12月13日、犬養毅政友会内閣成立。
12月30日、東京新宿にムーランルージュ開場。

・北海道、東北で大飢饉が起こり、娘の身売りが増加。
・労働争議件数、戦前最高を記録。
・チンドン屋出現(失業クラリネット楽士ら)。
・流行歌『酒は涙か溜息か』『丘を越えて』『女給の歌』『巴里の屋根の下』など。
  昭和5年(1930年)1月


お正月が来て、私は2歳になりました。当時は数え年だったので、生まれた時に1歳になって、お正月が来ると2歳になります。みんな一緒に、お正月に年を取りました。勿論、私は何も覚えていません。

昭和5年の出来事

1月21日、米・英・日・仏・伊、ロンドン海軍軍縮条約調印。
2月20日、第17回総選挙(民政党273、政友会174、国民同志会6、無産諸派5、革新党3、中立その他5)
2月26日、共産党員1500人検挙(中461人を起訴)。
3月13日、私立沖縄昭和女学校創立。
3月31日、国頭高等女学校、県に移管され、県立第三高等女学校となる。
4月13日、養育金目当ての貰い子連続殺害(41人)発覚(板橋岩の坂細民部落)。
5月1日、第11回メーデー、川崎で武装デモ。
5月13日、作家田山花袋(60)没。
5月30日、朝鮮人武装蜂起(中国の間島)。
6月、  農村疲弊により小学生の欠席や欠食が増える。幼女の売買も盛んになる。
8月18日、谷崎潤一郎離婚、夫人は佐藤春夫と結婚、三者合意の声明が話題になる。
8月26日、井野次郎、第22代知事となる。
9月5日、東京水上尋常小学校開設(月島)、水上生活者の子弟収容。
9月14日、ドイツ総選挙でナチス躍進し、第2党となる。
9月25日、生糸暴落。
10月1日、第3回国勢調査(総人口9039万余人、内地人口6445万余人)。
10月1日、東海道線に特急『燕』運転開始(東京・神戸間8時間55分)。
10月26日、台湾で反日暴動(霧社事件)。
10月、  国勢調査、沖縄県の人口57万7508人、12万3274戸。
11月14日、浜口首相、東京駅で右翼に狙撃され、重症。
11月26日、伊豆地方大地震(死者254、全壊戸数2290)。
12月15日、東京の新聞15社、政府の言論圧迫に対して共同反対宣言。

・国産の電気洗濯機・電気冷蔵庫が販売され始める。
・紙芝居に『黄金バット』が登場。
・エンタツ・アチャコのコンビが初出演。
・『エロ・グロ・ナンセンス』が流行語に。
・バスガールに制服。
・ロングスカート流行。
・流行歌『酋長の娘』『祇園小唄』

 昭和4年(1929年)9月


私は沖縄県の那覇市に生まれました。私が生まれた時、家の中は賑やかでした。

父は県庁に勤めていて、私の上に姉の奈津子がいました。

祖父は小学校の教頭先生で、敬順叔父さんは小学校の先生でした。敏子叔母さんは郵便局に勤めていて、秀子叔母さんは女学校に通っていて、浩子叔母さんは小学生でした。それに、母と祖母がいて、全部で10人で暮らしていました。

父の下に英順叔父さんがいましたが、私が生まれる前にペルーに移民していました。

昭和4年の出来事

2月23日、説教強盗、妻木松吉が捕まる。
3月5日、旧労農党代議士、山本宣治(41)、暗殺される。
4月1日、寿屋、国産初のウイスキーを発売する。
4月16日、共産党員、一斉に検挙(四・一六事件)。
4月、  島崎藤村、『夜明け前・第一部』を中央公論に連載開始。
5月、  林芙美子、『放浪記』を刊行。
6月、  空手が沖縄の小学校の正課となる。
8月19日、世界一周途上のドイツの飛行船「ツェッペリン伯号」が霞ヶ浦に着く。
8月29日、浜口首相、緊縮政策について放送で国民に呼びかける。
10月24日、ニューヨークで株式市場が大暴落、世界恐慌が始まる。
12月16日、東京八重洲口が開業する。

・大卒者の就職難が深刻化して、映画の題名「大学は出たけれど」が流行語になる。
・『東京行進曲(西条八十作詩、中山晋平作曲)』が大ヒットする。
・「銀ブラ」という言葉が生まれ、東京銀座、大阪道頓堀ではカフェーやダンスホールが全盛。
・流行の先端を行く「モガ」と「マルクス・ガール」。
・エノケン、売り出す。

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