戦乱の かつて琉球王国として栄えた沖縄。那覇の港には明、日本、朝鮮、東南アジアから来た船が集まり、盛んに交易をしていました。琉球の人たちも危険を顧みずに、明、日本、朝鮮、東南アジアへと遠い船旅をしていたのです。 尚巴志が琉球を統一したのは1429年です。その年、日本では足利義教が第六代の室町幕府の将軍になっています。 六百年前の沖縄、琉球王国の黎明期をお楽しみください。 「第二部 豊玉姫」は尚巴志の父の思紹が中山王になってから、山北王の攀安知を倒すまでの話です。尚巴志の姪、馬天ヌルの娘のササが大活躍します。 |
1.山田のウニウシ
|
海辺の道を二頭の馬がのんびりと歩いている。馬に乗っているのは若いサムレーと小柄だが貫禄のあるサムレーだった。若いサムレーは希望に目を輝かせ、時々、笑みを浮かべながら馬に揺られている。貫禄のあるサムレーは落ち着いた顔付きで、若いサムレーを見守っていた。 |
2.胸のときめき |
山道の途中だった。「何者だ!」と誰かが言った。前を見ても後ろを振り返っても人影はなかった。さては左右の森の中に隠れているのかとマウシ(護佐丸)とマサルーは馬を止めて、刀に手を掛けた。「若様、飛び道具かもしれませんぞ」とマサルーが言った。マウシはうなづいて、物音に耳を澄ませた。 |
3.恋の季節 |
頭がズキンズキンと鳴っていた。昨夜、慣れない酒を飲み過ぎたようだ。ササに案内された屋敷は思っていたよりも、ずっと立派な屋敷だった。一休みしていると隣りのおかみさんが、グスクで按司様が待っていると伝えてきた。おかみさんと一緒にグスクに行って、豪華な屋敷の二階の一室で叔父と会った。 |
4.キラマの休日 |
降るような星空の中、大きな満月が東の空に浮かんでいた。耳を澄ませば波の音が聞こえ、時々、そよ風が揺らす樹木の葉音が聞こえるだけの静かな夜だった。広場を囲むように、クバの木で作った小屋がいくつも建ち並んでいる。その中でもひときわ大きな小屋の前で酒盛りが始まっていた。 |
5.ナーサの遊女屋 |
首里の城下町造りを始めてから半年余りが経ち、ようやく、中山王の都らしくなっていた。首里グスクへと続く大通りの両側に建つ屋敷はほとんどが完成して、人々も新しい暮らしを始めていた。 |
6.宇座の古酒 |
遊女屋の懇親の宴がうまく行って、重臣たちの心も一つにまとまった。中山王思紹は尚巴志、宗玄、懐機、安謝大親と相談して、新しい王府の組織を作った。日本と明国、以前の組織を参考にして、琉球にふさわしい組織を作ったのだった。 |
7.首里の初春 |
年が明けて、永楽五年(一四〇七年)となった。思紹が中山王となって初めての正月は、慣れない事ばかりで慌ただしくて忙しかった。元旦は東曲輪にある物見櫓から初日の出を拝む事から始まった。幸いにも海から昇って来る太陽を拝む事ができ、今年もいい事が起こりそうな予感がした。 |
8.遙かなる船路 |
朝早くから浮島はお祭り騒ぎになっていた。進貢船を見送るために集まった人出は、浮島が人々で埋まってしまったかと思えるほど凄いものだった。新しい中山王思紹が初めて明国に送る進貢船だった。 |
9.泉州の来遠駅 |
何とか無事に泉州に着いたものの、すぐに上陸はできなかった。半島に囲まれた泉州湾に入ると役人らしい男たちが小舟でやって来た。サングルミーが書類を見せると丹念に書類を調べて、何やら手続きのような事務をして帰って行った。 |
10.麗しき三姉妹 |
メイファンの手下のスンリーはグスク(城壁)の中にある宿屋にいた。それほど高級な宿屋ではなさそうだが、広い庭があって、二階建ての建物の中には大勢のお客がいるようで騒々しかった。スンリーは頭に鉢巻きを付け、ちょっととぼけた顔をした二十代半ばくらいの男だった。 |
11.裏切り者の末路 |
福州の街も泉州と同じように高い城壁で囲まれていた。尚巴志たちは三姉妹と一緒に福州の街に来ていた。三姉妹は勿論、海賊の格好ではなく、ごく普通の女たちの格好だった。敵を倒すにはまず敵を知らなければならない。三姉妹の敵であるチェンイージュンの店を偵察するために来たのだった。 |
12.島影に隠れた海賊船 |
メイファンたちは中洲の山の中にある隠れ家から撤収した。尚巴志たちと三姉妹は馬に乗って、海賊船が隠してある島の近くまで陸路で行った。山道を通ったり海辺を通ったりして、半日がかりで目的地に着いた。そこは小さな漁師の村だった。海の方を見ると大小様々な島がいくつも見えた。 |
13.首里のお祭り |
朝早くから首里グスクの太鼓が、ドンドコドドドンと鳴り響いていた。今日は思紹王が首里グスクに入って一周年を祝うお祭りだ。尚巴志たちが明国に旅立った日から十日余りが経った二月の九日、その日は朝からいい天気だった。 |
14.富楽院の桃の花 |
尚巴志たちは杭州に来ていた。海賊船の鉄炮を見て驚いた次の日から五日間、尚巴志とウニタキは三姉妹から明の言葉の特訓を受けた。メイユーとメイリンは尚巴志とウニタキから琉球の言葉を教わり、必ず、琉球に行くと言って張り切っていた。 |
15.応天府の夢に酔う |
懐機は再会した友、ヂュヤンジンと一晩中、話し込んでいた。お陰で、尚巴志とウニタキも妓楼『桃香楼』に泊まる事になった。泊まったといっても、妓女と夜を共にしたわけではない。富楽院の妓楼で、妓女と床入りするには、何度も通って妓女と心を通じ合わさなければならなかった。 |
16.真武神の奇跡 |
富楽院の『桃香楼』で、ヂュヤンジンとリィェンファの婚約のお祝いだと尚巴志たちは一晩中騒いでいた。前回に一緒だった若い三人の妓女、リーファ、ランファ、ジュファに、チュンファ、インファ、メイファと三人の美女も加わり、さらに別の妓楼からも二人のお祝いにやって来た妓女も加わった。 |
17.武当山の仙人 |
果てしない大地が延々と続いていた。軽い気持ちで、武当山に行くと決めたが、武当山はあまりにも遠かった。辺り一面、広々とした平原が延々と続き、山はずっと遠くの方に見えた。人とまったく出会わない事もあり、人が大勢いた都が懐かしく思えた。 |
18.霞と拳とシンシンと |
尚巴志たちは武当山の山の中で、張三豊の指導のもとに武術修行に励んでいた。数日前の朝早く、朝天宮を出発して天界に入った。細い山道を登って、一天門、二天門、三天門と三つの門をくぐって山頂に着くと、金堂と呼ばれる銅でできたお堂が建っていた。 |
19.刺客の背景 |
尚巴志たちが武当山で武術修行をしていた頃、琉球では馬天ヌルが久高島のフボーヌムイに籠もっていた。首里グスクのお祭りの時、ヌルのスズナリが中山王を殺した事件で、自分が許せなかった。スズナリの正体を見極められなかった自分を馬天ヌルは責めていた。 |
20.龍虎山の天師 |
尚巴志たちの一か月の拳術修行は無事に終わった。わずか一か月で極意を得るのは不可能で、基本を身に付けるにとどまったが、断食をやって、呼吸法を会得した事で、以前よりも体が自由に動くようになっていた。 |
21.西湖のほとりの幽霊屋敷 |
龍虎山から七日を掛けて、やっと杭州に到着した。以前、三姉妹が泊まっていた宿屋に行くと、三姉妹は待っていてくれた。早いもので、三月の半ばに別れてから、二か月半が過ぎていた。お互いに相手の顔を見ると、言葉を交わす前に抱き合って再会を喜んだ。 |
22.清ら海、清ら島 |
尚巴志は首里グスクの西曲輪にある物見櫓から輝く海を眺めていた。明国から帰ってきて二十日が過ぎようとしていた。まったく、慌ただしい二十日間だった。明からの船旅は黒潮を超えた辺りで、嵐に襲われたが無事に乗り越え、あとは順調だった。 |
23.今帰仁の天使館 |
八月の初めに旅に出た張三豊たちが、旅から帰って来たのは九月の半ばだった。尚巴志が首里グスクの西曲輪の物見櫓から曲輪内を見回して、『首里天閣』のような高楼をどこに建てようか考えていた時だった。 |
24.山北王の祝宴 |
今帰仁グスク内の新しくなった御内原の屋敷の縁側から、山北王の攀安知は夕日に輝く海を眺めていた。正面に伊是名島と伊平屋島が見え、東の空には満月がぼんやりと浮かんでいた。 |
25.三つの御婚礼 |
華やかな花嫁姿のマカトゥダルはお輿に乗って、朝早くから首里の都を目指していた。二年前の正月、マカトゥダルが十五歳になった時、父がそろそろいいお婿さんを探さなければならんなと言った。会った事もない遠くの按司の息子のもとへと嫁ぐのだろうと思っていた。按司の娘に生まれたからには、それも仕方がないと諦めていた。 |
26.マチルギの御褒美 |
三つの御婚礼は大成功だった。華麗な花嫁行列と荘厳な儀式は噂になって各地に広がり、さすが、中山王の御婚礼だと賞賛された。 サグルー夫婦は島添大里グスクの東曲輪に新築された若按司屋敷に入り、ジルムイ夫婦とマウシ夫婦は首里の中堅サムレーの屋敷に入った。 |
27.廃墟と化した二百年の都 |
北風に乗って、ヤマトゥから続々と船が浮島にやって来た。毎年の事だが、浮島はお祭り騒ぎで、久米村も首里も大忙しだった。今年は進貢船が持って来た商品だけでなく、三姉妹が持って来た南蛮の商品もあるので、去年以上の取り引きができるはずだった。 |
28.久高島参詣 |
ヤマトゥ旅が決まって以来、マチルギは忙しい身ながら、ジクー禅師からヤマトゥ言葉を習っていた。クマヌやヒューガと付き合って来たので、しゃべる事は何とかでき、ひらがなも読めるが、漢字はまったく駄目だった。中山王の世子妃として、読み書きができなければみっともないと言って、真剣に習っていた。 |
29.丸太引きとハーリー |
思紹王は久高島参詣で、十五人もの戦死者が出た事で落ち込んでいた。亡くなった十五人は慶良間の島で鍛えた教え子たちだった。女たちは喜んでくれたが、余りにも犠牲が多すぎた。ウニタキも落ち込んでいた。百人もの残党たちの動きを見逃してしまった事を悔いていた。 |
30.浜辺の酒盛り |
五月十日、マチルギ、馬天ヌル、ササ、佐敷ヌル、フカマヌル、ウニタキの妻のチルー、そして、ヒューガ、ジクー禅師、張三豊とシンシン、三星党のイーカチとシズ、十人の女子サムレーを乗せたマグサの船は馬天浜を出帆した。 |
31.女たちの船出 |
マチルギたちを乗せたマグサの船とシンゴの船は順風を受けて北上し、勝連半島と津堅島の間を抜け、浜比嘉島、平安座島、宮城島、伊計島を左に見ながら進み、ヤンバルの沖に泊まって夜を明かし、次の日、辺戸岬から北西に向かって伊平屋島に着いた。 |
32.落雷 |
マチルギたちが博多に着いた頃、尚巴志は島添大里グスクで、ウニタキと一緒に明国のお茶を飲んでいた。尚巴志がお土産に持って来たお茶は、初めの頃は誰もが変な味と言っていたが、今ではみんなが一休みする時に飲んでいた。 |
33.女の闘い |
消えたマジムン屋敷の跡地に、尚巴志は与那原グスクを築く事に決めた。運玉森ヌルが守ると誓ったウタキをグスクの中に取り込み、グスク内に運玉森ヌルの屋敷も建てるつもりだった。それと、ウニタキのために拠点となる屋敷も建てなければならなかった。 |
34.対馬の海 |
博多に着いたマチルギたちは『一文字屋』のお世話になって、二十日間、博多に滞在した。梅雨も上がって、琉球ほどではないが、暑い夏になっていた。博多に滞在中、白い袴をはいて腰に刀を差して、街中をうろうろしているマチルギたちは目立ち、街の者たちの噂に上っていた。 |
35.龍の爪 |
ナツとメイユーの試合のあと、二人は仲良しになって、メイユーは度々、島添大里グスクにやって来た。子供たちから琉球の言葉を習い、子供たちに明国の言葉を教えていた。物覚えの速い子供たちの方が、尚巴志よりも明国の言葉がうまくなるのではないかと恐れもし、期待もした。 |
36.笛の調べ |
台風の復興対策に付きっきりだった尚巴志が、久し振りに首里に顔を出すと、ジルムイの嫁のユミのお腹が大きくなっていた。サグルーの嫁のマカトゥダルは馬天浜の再建を手伝っていて、そんな兆候はまったくない。マウシの嫁のマカマドゥもそんな兆候はなかった。 |
37.初孫誕生 |
台風で潰れた馬天浜のウミンチュたちの家々も何とか再建された。佐敷グスクの仮小屋で暮らしていた避難民たちもいなくなった十月の八日、ジルムイの妻、ユミが元気な男の子を産んだ。御内原の女たちに囲まれて、祝福された男の子はジタルーと名付けられた。 |
38.マチルギの帰還 |
十二月になると冷たい北風に乗ってヤマトゥの船が次々に浮島にやって来て、忙しい毎日が始まった。大役の安謝大親からヤマトゥの王様、北山殿(足利義満)が亡くなった事を尚巴志は知らされた。 |
39.娘からの贈り物 |
マチルギと話したい事がいっぱいあったのに、飲み過ぎてしまい、朝起きたら、マチルギは首里に行ってしまっていなかった。ナツを呼んで、「昨夜、マチルギから旅の話を聞いたか」と聞くと、「楽しいお話を色々とお聞きしました」と明るく笑った。 |
40.ササの強敵 |
正月の二十八日、中山王の進貢船が出帆した。今回の正使はサングルミー(与座大親)、副使は中グスク大親で、サムレー大将は宜野湾親方、副大将は伊是名親方だった。 |
41.眠りから覚めたガーラダマ |
二月九日、三度目の首里のお祭りが始まった。今年は楼閣の普請中で西曲輪が使えないため、北曲輪で行なわれた。西曲輪に上がれないので、百浦添御殿を見る事はできないが、城下の者たちは恒例のお祭りを楽しみにしていて、多くの人たちで賑わった。 |
42.兄弟弟子 |
旅から帰って来たササが、シンシンと一緒に島添大里グスクにやって来た。ササは首から下げた赤い勾玉を自慢そうに尚巴志に見せた。綺麗に輝く明るい赤色で、二寸程の大きさだった。 |
43.表舞台に出たサグルー |
島添大里グスクのお祭りの五日後、中山王の久高島参詣が行なわれた。去年の襲撃で懲りたので、徹底的に首里から与那原への道の周辺の山や森を調べて、万全の警護のもと行列は進んだ。 |
44.中山王の龍舟 |
サグルーたちの噂も落ち着いてきた閏三月の下旬、侍女のマーミから、ウニタキの弁ヶ岳の拠点が完成したので、張三豊と飯篠修理亮を連れて来てくれと告げられた。 |
45.佐敷のお祭り |
四月二十一日、佐敷グスクでお祭りが行なわれた。中山王思紹が大グスク按司から佐敷按司に任じられ、佐敷にグスクを築いてから二十九年の月日が経っていた。 |
46.博多の呑碧楼 |
尚巴志たちを乗せた交易船は浮島から順風を受けて一気に伊平屋島に向かった。伊平屋島で馬天浜から来た早田新五郎の船と合流して北上した。天候に恵まれて、最高の旅立ちとなった。 |
47.瀬戸内の水軍 |
博多に着いて七日後、尚巴志たちは『一文字屋』の船に乗って京都へと向かった。博多に滞在中、尚巴志たちは日本人に変装していた。琉球から来た事がわかると妙楽寺に閉じ込められてしまうからだった。 |
48.七重の塔と祇園祭り |
尚巴志たちは憧れの京都に来ていた。京都は想像を絶する都だった。明国の都、応天府とはまったく違った都で、考えも及ばない驚くべき都だった。 |
49.幽玄なる天女の舞 |
京都に着いてから、早いもので十日が過ぎようとしていた。何とかして、勘解由小路殿に近づこうと色々とやってはみたが、どれもうまく行かなかった。 |
50.天空の邂逅 |
夜が明ける頃まで飲んでいた。最初にウメが酔い潰れ、次に懐機、タケ、ウニタキと酔い潰れた。尚巴志は何とか頑張っていたが、次第に呂律が回らなくなり、いつ、酔い潰れたのか覚えていない。 |
51.鞍馬山 |
七重の塔で将軍様に会った、その夜、張三豊が高橋殿の屋敷に呼ばれた。中条兵庫助の娘の奈美も加わって宴が開かれた。また夜明けまで飲むつもりかと、尚巴志はウニタキと懐機と顔を見合わせた。 |
52.唐人行列 |
鞍馬山の三日間の修行は終わった。尚巴志とウニタキ、ササとシズは何とか、目隠しでの木の根歩きを成功させた。やはり暗闇の洞窟歩きのお陰だろう。高橋殿はあともう少しという所でつまづいてしまい悔しそうだった。 |
53.対馬の娘 |
瀬戸内海を無事に通過して、尚巴志たちが博多に着いたのは七月二十五日だった。因島では村上又太郎の妹のあやが、尚巴志たちが来るのを首を長くして待っていた。あやの船に先導されて、尚巴志たちは順調に博多港に到着した。 |
54.無人島とアワビ |
家族水入らずで過ごした次の日、尚巴志はイトに連れられて、近くの無人島に行った。二つの島が並んでいて、一つの島に砂浜があった。尚巴志たちは砂浜に上陸した。すぐ目の前に島があるので、船越の方は見えなかった。 |
55.富山浦の遊女屋 |
すぐにでも朝鮮に行きたかったが、海が荒れてきて行けなくなった。ササに聞くと台風が近づいているという。波も治まった八月四日、尚巴志たちはイトの船に乗って朝鮮に向かった。 |
56.渋川道鎮と宗讃岐守 |
尚巴志たちは倭館に向かっていた。五郎左衛門、六郎次郎、ジクー禅師と一緒だった。遊女屋に泊まった者たちはまだ帰って来ていなかった。 |
57.漢城府 |
五郎左衛門が言っていたように、都へと続く道はひどいものだった。道幅が狭くて、でこぼこで、ほとんどが山道同然と言ってよかった。こんな道では荷車は通れなかった。 |
58.サダンのヘグム |
昨日はいなかったが、ハナにはナナという姉がいた。男の格好をして刀を背負い、二十歳を過ぎていると思えるが、お嫁に行かないで、商品の護衛を務めているという。 |
59.開京の将軍 |
懐機は開京でヘグムを手に入れる事ができた。開京には宿屋もちゃんとあって、食事も酒も提供してくれた。尚巴志たちは宿屋に滞在しながら、五日間を開京で過ごした。 |
60.李芸とアガシ |
漢城府に帰ると尚巴志たちを待っている男がいた。イトから話を聞いていた李芸だった。ヤマトゥ言葉が話せるというので、尚巴志も会いたいと思い、丈太郎に頼んでいた。 |
61.英祖の宝刀 |
尚巴志たちが朝鮮に船出した日から七日後の五月四日、豊見グスクで毎年恒例のハーリーが行なわれた。思紹王は王妃を連れて出掛けて行った。 |
62.具志頭按司 |
九月十日、平田グスクでお祭りが行なわれた。お祭り奉行の佐敷ヌルは、ヒューガの娘のユリと一緒に張り切って準備に明け暮れた。メイユー、リェンリー、ユンロンの三人も手伝ってくれた。 |
63.対馬慕情 |
尚巴志たちが朝鮮から対馬に戻ったのは、山々が紅葉している十月の初めだった。九月の初めに漢城府に着いた琉球の使者たちは、二十一日にようやく、朝鮮王に謁見した。 |
64.旧港から来た娘 |
尚巴志たちが家族水入らずの旅から帰って来ると、朝鮮に行った使者たちが博多に戻ったとの知らせが入った。尚巴志はウニタキと懐機を連れて、イトの船に乗って博多に向かった。 |
65.龍天閣 |
十二月二十四日、尚巴志たちは無事に琉球に帰国した。あとを付いて来たパレンバンの船も無事だった。尚巴志たちは休む間もなく、パレンバンの者たちの接待に追われた。 |
66.雲に隠れた初日の出 |
新しい年が明けた。去年は本当に素晴らしい年だった。何もかもがうまくいった。今年もいい年であるように初日の出に祈ったが、雲に隠れて拝む事はできなかった。何となく嫌な予感がした。 |
67.勝連の呪い |
正月の下旬、早田新五郎の船が馬天浜にやって来た。イハチとクサンルーが無事に帰国した。イハチと仲よくなったミツが一緒に来るかと思ったが、来なかった。 |
68.思紹の旅立ち |
サムの勝連按司就任の儀式が終わったあと、ウニタキは今帰仁に向かい、尚巴志は島添大里に帰った。次の日は島添大里グスクのお祭りだった。 |
69.座ったままの王様 |
今年の丸太引きのお祭りは華やかだった。首里は赤、島添大里は水色、佐敷は白、久米村は黄色、若狭町は黒、今年から加わった浦添は告Fと決め、守護神たちは決められた色の着物と袴を着け、丸太の上に乗って飛び跳ねた。 |
70.二人の官生 |
思っていたよりもずっと早く、正月に出帆した進貢船が帰って来た。 正使の中グスク大親の話によると、永楽帝はまだ順天府にいるが、わざわざ来なくてもいいとの事で、応天府で皇太子に謁見して帰って来たという。 |
71.ンマムイが行く |
明国の陶器や南蛮の蘇木、朝鮮の綿布などを大量に積み込んだ『油屋』の船に乗って、ンマムイは家族を連れて今帰仁に向かっていた。 |
72.ヤンバルの夏 |
歓迎の宴で出たヤマトゥ酒はうまかった。京都の高橋殿の屋敷で飲んだ上等の酒と同じような気がするとンマムイは思った。酒も料理もうまかったが、緊張していたので、あまり酔う事もなかった。 |
73.奥間の出会い |
本部から今帰仁に帰った二日後、ンマムイはヤタルー師匠を連れて、アタグの案内で国頭グスクに向かった。国頭按司の妻はマハニの叔母で、マハニからの贈り物を届けるためにンマムイは出掛けて行った。 |
74.刺客の襲撃 |
奥間から今帰仁に帰って来たンマムイは、山北王に付き合って早朝の弓矢の稽古をしたり、湧川大主と少林拳の稽古をしたり、遊女屋に繰り出して騒いだり、『天使館』に行って海賊たちと酒を飲んだりと相変わらずフラフラしていた。 |
75.三か月の側室 |
ンマムイたちが今帰仁を発ち、本部の海辺で遊んでいた頃、浮島に三姉妹の船が今年も二隻やって来た。尚巴志は十月に明国に送る官生を決める会議があって、メイユーを迎えには行けなかった。 |
76.百浦添御殿の唐破風 |
八重瀬按司のタブチが帰ったあと、側室としてのメイユーの歓迎の宴が開かれた。主立った重臣たち、サグルー夫婦とサスカサ、女子サムレーと侍女たちも呼んで、与那原にお祭りの準備に行っている佐敷ヌルとユリも呼び戻した。 |
77.武当山の奇跡 |
武当山の山の中で、思紹とクルー、ユンロンは張三豊の指導のもと、武当拳の修行に励んでいた。琉球を船出してからすでに三か月余りが過ぎていた。 |
78.イハチの縁談 |
首里グスクの北、会同館の隣りに宗玄寺の普請が始まっていた。尚巴志はすべてを一徹平郎に任せ、一徹平郎は立派な禅宗寺院を作ってみせると張り切っていた。 |
79.山南王と山北王の同盟 |
十月二十日、糸満の港に今帰仁から『油屋』の船と『材木屋』の船がやって来た。『油屋』の船には、花嫁の山北王の長女、マサキとンマムイの妻子が乗っていて、『材木屋』の船には大量の丸太が積んであった。 |
80.ササと御台所様 |
ヤマトゥに行った佐敷大親たちが京都に着いたのは六月の十八日だった。四月二十五日に浮島を出帆して、五月十日に薩摩の坊津に着いた。坊津で早田新五郎と別れて、交易船は先に博多に向かい、五月十八日に博多に着いた。 |
81.玉依姫 |
伊勢の神宮参詣から京都に帰ったササたちは、御台所様と一緒にスサノオの神様の家族について整理をした。公家の先生にも話を聞いたが、どうしても、神様の話とは食い違っていた。 |
82.伊平屋島と伊是名島 |
島尻大里グスクで山南王と山北王の婚礼が行なわれた五日後、思紹と張三豊を乗せた進貢船が無事に帰って来た。迎えに行ったのはマチルギで、八人の女子サムレーを連れていた。 |
83.伊平屋島のグスク |
サグルーたちが奥間の木地屋の案内で、辺戸岬の近くにある宜名真という小さなウミンチュの村に着いたのは島添大里を出てから四日目の事だった。 |
84.豊玉姫 |
我喜屋大主と田名大主はいなかったが、山北王の兵もいなくなって、島人たちは大喜びして、小舟に乗って、ヤマトゥから帰って来た交易船を迎えに行った。 |
85.五年目の春 |
永楽九年(一四一一年)の年が明けた。月日の経つのは速いもので、首里で迎える五回目の春だった。尚巴志は四十歳になり、長男のサグルーは二十二歳になった。 |
86.久高島の大里ヌル |
ササは馬天ヌルと佐敷ヌルとサスカサを連れてセーファウタキに行き、切り立った岩の上にあるウタキに登って、豊玉姫と娘のアマン姫に会わせた。 |
87.サグルーの長男誕生 |
勝連グスクでサムの息子、若按司のジルーと勝連ヌルの妹の娘、マーシの婚礼が行なわれた。尚巴志とマチルギ、馬天ヌル、ジルムイ夫婦が勝連に行き、新婚夫婦を祝福した。 |
88.与論島 |
伊平屋島と与論島に兵を送り出した次の日の午後、ヤマトゥへ行く交易船の準備を終えた尚巴志は龍天閣の三階にいる思紹を訪ねた。 |
89.ユンヌのお祭り |
尚巴志、ササ、シンシン、ナナの四人は勝連グスクに行き、翌日、勝連ヌルを連れて、勝連の船に乗って与論島に向かった。勝連グスクは朝鮮に行く船の準備で忙しそうだった。 |
90.伊是名島攻防戦 |
尚巴志とウニタキが与論島の海に潜ってカマンタ捕りに熱中している頃、伊是名島では戦が始まっていた。伊是名親方と田名親方が兵を率いて行ったのは五月八日で、山北王の兵が攻めて来たのは十一日の正午前だった。 |
91.三王同盟 |
ンマムイが山北王の書状を持って今帰仁から帰って来たのは、伊是名島の戦が終わった三日後だった。山北王の書状には同盟のための条件が三つ書いてあった。 |
92.ハルが来た |
六月になってウニタキが与論島から帰って来た。「麦屋ヌルは馬天ヌルに預けたけど、会って来たか」と尚巴志が聞くと、ウニタキはうなづいた。 |
93.鉄炮 |
側室のハルはほとんど佐敷ヌルの屋敷に入り浸りで、二人の侍女も佐敷ヌルを尊敬したようで、真剣に武当拳を習っていた。 |
94.熊野へ |
三姉妹の船が浮島に着いた頃、ヤマトゥに行ったササたちは京都から熊野に向かっていた。 |
95.新宮の十郎 |
本宮から新宮までは船だった。淀川下りのようにお酒を飲みながらのんびりできるとササたちは思っていたが、山の中の川はそんな甘くはなかった。 |
96.奄美大島のクユー一族 |
中山王と山北王の同盟を決めるために、今帰仁に来たンマムイを見送った本部のテーラーは、その三日後、奄美大島攻めの大将として二百人の兵を引き連れて、進貢船に乗って奄美大島に向かった。 |
97.大聖寺 |
与那原グスクのお祭りが終わった。尚巴志は忙しくて行けなかったが、慈恩禅師が越来ヌルと一緒に来たらしい。佐敷ヌルの話だと、二人は夫婦のように仲がよかったという。 |
98.ジャワの船 |
十二月の末、ヤマトゥに行った交易船が無事に帰国した。交易船はジャワの船を連れて来た。突然のジャワの船の来訪で、浮島も首里も大忙しとなった。 |
99.ミナミの海 |
慈恩禅師と別れて、島添大里グスクに帰るとサスカサが待っていた。ナツと話をしていたサスカサは、尚巴志を見ると急に目をつり上げて、鬼のような顔をして騒いだ。 |
100.華麗なる御婚礼 |
二月九日、首里グスクのお祭りが行なわれた。首里に滞在していたイトたちは勿論の事、与那原で武術修行をしていたスヒターたちも戻って来て、お祭りを楽しんだ。 |
101.悲しみの連鎖 |
チューマチとマナビーの婚礼は大成功に終わった。尚巴志たちが会同館でお祝いの宴をやっていた時、御内原では、高橋殿のお陰で呑兵衛になったササたちに勧められて、女たちが祝い酒を楽しんでいた。 |
102.安須森 |
去年の十一月、ヤンバルに旅だったウニタキの旅芸人たちは、浦添、中グスク、北谷、越来、勝連、安慶名、伊波、山田と各城下でお芝居を演じ、周辺の村々でも演じて、人々に喜ばれ、ヤンバルに入った。 |
103.送別の宴 |
佐敷ヌルとササが安須森の山頂で、神様の声を聞いていた頃、馬天ヌルは首里グスクのキーヌウチで、麦屋ヌルとカミーと一緒にお祈りを捧げていた。 |
104.アキシノ |
無事に坊津に着いた交易船から降りた佐敷ヌルとササたちは、一文字屋の船に乗り換えて博多に向かった。左衛門太郎の船から降りたサタルー、ウニタル、シングルーも一文字屋の船に移った。 |
105.小松の中将 |
琉球の交易船の警護をしなければならないと言って、あやは上関に帰って行った。ササたちはあやにお礼を言って別れ、京都へと向かった。 |
106.ヤンバルのウタキ巡り |
ウタキ巡りの旅に出た馬天ヌルの一行は、山田グスクに行く途中、読谷山の喜名で東松田ヌルと会っていた。馬天ヌルが東松田ヌルと会うのは十四年振りだった。 |
107.屋嘉比のお婆 |
今帰仁をあとにした馬天ヌルの一行は運天泊に行き、勢理客ヌルに歓迎された。勢理客ヌルは、馬天ヌルがヤンバルのウタキ巡りをしている事を知っていて、首を長くして来るのを待っていた。 |
108.舜天 |
奥間ヌルが首里に来た。尚巴志は驚いて、焦った。勘のいいマチルギが奥間ヌルと会って、すべてがばれてしまうのではないかと恐れた。 |
109.ヌルたちのお祈り |
六月の半ば、山南王のシタルーの娘が真壁の若按司に嫁いで行った。先代の真壁按司が隠居して山グスク大主となり、中山王の船に乗って明国に行ったのを牽制するつもりだろう。 |
110.鳥居禅尼 |
ササたちが大原から京都に戻ると、南蛮から使者が来たとの噂で持ち切りだった。四年前に若狭に来て、台風にやられた南蛮人だと言っていたので、パレンバンの使者たちに違いなかった。 |
111.寝返った海賊 |
中山王の使者たちが京都に着いて、ササたちが京都の街を行列していた頃、琉球では二月に行った進貢船が無事に帰国した。 |
112.十五夜 |
与那原が台風にやられてから半月後、与那原グスクのお祭りが行なわれた。今年のお祭りは中止しようとマカミーは考えたが、グスクに避難している人たちは、こんな時だからこそ、お祭りはやるべきだと言った。 |
113.親父の悪夢 |
山南王のシタルーは夢を見ていた。子供の頃、八重瀬グスクの庭で、兄弟が揃って遊んでいる夢だった。その年、上の姉のウシが中山王の若按司に嫁いで行った。 |
114.報恩寺 |
島添大里グスクの刺客襲撃事件から二十日が過ぎた。女子サムレーたちはユーナが山南王の間者だったと知って驚いたが、自分たちを裏切らなかったので、いつの日か、また会える事を願っていた。 |
115.マツとトラ |
早田左衛門太郎は倭寇働きをするために、去年の末、明国に行った。戦の経験のない跡継ぎの六郎次郎も連れて行き、浅海湾内の浦々で暮らしている者たち一千人近くを率いて行ったという。 |
116.念仏踊り |
今年最初の進貢船が二隻のパレンバンの船を連れて出帆して行った。正使はサングルミーで、従者としてクグルーと馬天浜のシタルー、イハチも行き、国子監に入る三人の官生も乗っていた。 |
117.スサノオ |
佐敷ヌルたちがヤンバルの旅から帰って来たのは、島添大里グスクのお祭りの四日前だった。「安須森にスサノオの神様が現れたのよ」と佐敷ヌルが驚いた顔をして言った。 |
118.マグルーの恋 |
慶良間の島から帰って来たら梅雨に入ったようだった。尚巴志はヤマトゥに行く交易船と朝鮮に行く勝連船の準備で忙しくなっていた。 |
119.桜井宮 |
手登根グスクのお祭りで、佐敷ヌルの新作のお芝居『小松の中将様』が上演された。手登根の女子サムレーも旅芸人も『小松の中将様』を上演したが、台本が違っていた。 |
120.鬼界島 |
明国の海賊、林正賢から手に入れた大砲を積んだ武装船に乗った湧川大主は、意気揚々と鬼界島(喜界島)に向かっていた。 |
121.盂蘭盆会 |
湧川大主が武装船に乗って喜界島に向かっていた七月十五日、首里の大聖寺で『盂蘭盆会』という法会が行なわれた。 |
122.チヌムイ |
馬天浜のお祭りも終わって、三姉妹たちも、パレンバンのシーハイイェンたちも、ジャワのスヒターたちも帰って行った。浮島は閑散としていて、ヤマトゥの商人たちが来るまでは、一休みといった所だった。 |
123.タブチの決意 |
日が暮れてからブラゲー大主を連れて、八重瀬グスクに来たミカとチヌムイを見て、タブチは首を傾げた。ブラゲー大主が訪ねて来るのは久し振りだった。 |
124.察度の御神刀 |
夜が明ける前の早朝、華麗なお輿が島尻大里グスクに向かっていた。四人の男が担いでいるお輿に従っているのは、頭を丸めた貫禄のあるサムレーとヌルだけで、二人とも馬に乗っていた。 |
125.五人の御隠居 |
シタルーの正妻、山南王妃は察度の娘だった。シタルーの姉が武寧に嫁いだ七年後、武寧の妹のトゥイがシタルーに嫁いで来た。トゥイの母親は武寧と同じで高麗美人だった。 |
126.タブチとタルムイ |
長い一日が終わった翌日、戦が始まった。タブチはシタルーの側室や子供たちを島尻大里グスクから出し、タルムイに味方したい重臣たちや豊見グスク出身のサムレーたちも出て行かせたという。 |
127.王妃の思惑 |
島添大里グスクに集まった東方の按司たちは、今度こそ、タブチに山南王になってもらおうと声を揃えて言った。その中にンマムイもいた。 |
128.照屋大親 |
長嶺按司は長嶺グスクに閉じ込められた。兵の半数近くが下痢に悩まされ、長嶺按司自身も悩まされていた。こんな状態では戦はできん。出直して来ると言って、八重瀬グスクの包囲陣から撤退した。 |
129.タブチの反撃 |
照屋大親と糸満大親の裏切りで、進貢船をタルムイに奪われた事を知ったタブチは物凄い剣幕で腹を立てた。 |
130.喜屋武グスク |
タブチの豊見グスク攻めの二日後、島添大里グスクにンマムイが訪ねて来た。一緒に連れて来たのはチヌムイと八重瀬若ヌルのミカだった。 |
131.エータルーの決断 |
尚巴志はウニタキと一緒に喜屋武グスク(後の具志川グスク)に行って、琉球を去るタブチたちを見送った。喜屋武グスクは海に飛び出た岬の上にあり、思っていたよりも小さなグスクだった。 |
132.二人の山南王 |
八重瀬グスクが炎上している頃、島尻大里グスクでは山南王の就任の儀式が盛大に行なわれていた。山南王になった摩文仁大主は、シタルーが冊封使から賜わった王様の着物を着て王冠をかぶり、感無量の顔付きだった。 |
133.裏の裏 |
島尻大里グスクが他魯毎の兵に包囲された日の翌朝、信じられない事が起きていた。その頃、八重瀬グスクを攻めた東方の按司たちの兵は具志頭グスクを包囲していた。 |
134.玻名グスク |
島尻大里グスクの包囲陣が壊滅したあと、戦は膠着状態に入っていた。他魯毎は島尻大里グスクを攻める事をやめて、糸満の港を守るために、照屋グスクと国吉グスクの間に杭を打って、防壁を築き始めた。 |
135.忘れ去られた聖地 |
具志頭グスクを出て、仕事に戻れとサタルーを追い返したあと、ササたちを八重瀬グスクに連れて行こうかと尚巴志が思っていたら、耳元でユンヌ姫の声が聞こえた。 |
136.小渡ヌル |
シタルーが亡くなってから二か月近くが経っていた。タブチはチヌムイを連れて琉球から去り、八重瀬グスクはタブチの娘婿のマタルーが入って、八重瀬按司を継いだ。具志頭グスクにも娘婿のイハチが入って、具志頭按司を継いだ。 |
137.山南志 |
ウニタキが今帰仁から帰って来たのは年が改まる三日前だった。湧川大主が鬼界島から帰って来たという。今の所、戦の準備はしていないが、来年の正月の半ば頃には南部に兵を送るようだとウニタキは言った。 |
138.ササと若ヌル |
玻名グスクから引き上げたササは、八重瀬グスクに寄ってマタルーの長女のチチーを連れ、兼グスクに寄ってンマムイの次女のマサキを連れて与那原に帰った。チチーを八重瀬ヌルに、マサキを兼グスクヌルにしなければならなかった。 |
139.山北王の出陣 |
山北王の兵が南部に出陣する前、今帰仁に驚くべき知らせが届いていた。知らせたのは奄美按司の使者で、鬼界島(喜界島)の鬼界按司の兵が全滅して、以前のごとく、御所殿が島を支配しているという。 |
140.愛洲のジルー |
シンゴとマグサの船が馬天浜にやって来た。知らせを聞いた尚巴志は玻名グスクから馬天浜に向かった。すでに、『対馬館』で歓迎の宴が始まっていた。マチルギと安須森ヌルが来ていて、みんなを出迎えたようだった。 |
141.落城 |
首里グスクのお祭りから六日後の昼下がり、玻名グスクに一節切の調べが流れていた。吹いているのは勿論、尚巴志である。高い櫓の上から海の方を見ながら吹いていた。 |
142.米須の若按司 |
南部での戦は続いていたが、二月二十八日、島添大里グスクで、例年通りのお祭りが行なわれた。いつもよりも厳重な警備の中でのお祭りだったが、天候に恵まれて、大勢の人たちが集まって来て、お祭りを楽しんだ。 |
143.山グスク |
米須グスクは予想外な展開で開城となった。敵陣に突っ込んで行った米須按司の行動は不可解だったが、若按司の話から、ああなった経緯はわかった。 |
144.無残、島尻大里 |
三月十日の早朝、他魯毎の兵と山北王の兵によって島尻大里グスクの総攻撃が行なわれた。本部のテーラー率いる兵が大御門の前に陣を敷いて、他魯毎が率いる兵が東曲輪の御門の前に陣を敷き、諸喜田大主率いる兵が西曲輪の御門の前に陣を敷いた。 |
145.他魯毎 |
島尻大里グスクが落城した翌日、大グスク、与座グスク、真壁グスクが降伏して開城した。伊敷グスクも降伏して、残るは山グスクだけとなった。 |
146.若按司の死 |
山南王に就任した他魯毎は豊見グスクから島尻大里グスクに引っ越しを始めた。すぐ下の弟、兼グスク按司が豊見グスクに移って、豊見グスク按司を名乗り、三番目の弟のシルムイが阿波根グスクに入って、阿波根按司を名乗った。 |
147.久高ヌル |
戦後処理も片付いた四月の三日、一月遅れの久高島参詣が行なわれた。グスク内に閉じ込められている女たちにとって、久高島参詣は年に一度の楽しみだった。 |
148.山北王が惚れたヌル |
中山王が女たちを連れて久高島参詣をしていた頃、島尻大里グスクでは山北王の代理として本部のテーラーが、山南王の他魯毎に戦勝を祝福して、援軍を送った事に対する報酬として、二つの条件を提示していた。 |
149.シヌクシヌル |
佐敷グスクのお祭りの三日後、ササの弟子たちと安須森若ヌルの一か月の修行が終わった。ヂャンサンフォンは運玉森ヌルと二階堂右馬助を連れて山グスクに移って行った。 |
150.慈恩寺 |
五月四日、梅雨が明けた青空の下、国場川でハーリーが賑やかに行なわれた。戦の後始末も終わり、二年振りに三人の王様の龍舟も揃う事もあって、観客たちが大勢やって来た。 |
151.久米島 |
六月五日、今年最初の進貢船が出帆した。南部の戦騒ぎで半年も遅れた船出だった。正使はサングルミーで、各按司の家臣たちも従者として乗っていた。 |
152.クイシヌ |
安須森ヌル、ササ、シンシン、ナナはクイシヌ様と一緒にニシタキに登った。新垣ヌル、堂ヌル、ミカと八重瀬ヌルも一緒に行った。尚巴志、ウニタキ、懐機の三人は馬を借りて、チヌムイの案内で島内を巡った。 |
153.神懸り |
久米島から帰って来た尚巴志は、クイシヌと出会ったあとの出来事が、夢だったのか現実だったのかわからなかった。クイシヌの顔を見た途端に、頭の中は真っ白になった。 |
154.武装船 |
三姉妹の船がパレンバンの船とジャワの船を連れてやって来た。メイユーは今年も来なかった。娘のロンジェンは健やかに育っていると聞いて、尚巴志は会いに行きたいと思った。 |
155.大里ヌルの十五夜 |
ウニタキが山北王の軍師、リュウインを首里に連れて来た。島添大里にいた尚巴志も、久米村にいた懐機も呼ばれて、思紹と一緒に龍天閣でリュウインと会った。 |
156.南の島を探しに |
十五夜の宴の翌日、台風が来た。それほど大きな台風ではなかったが海は荒れて、大里ヌルとフカマヌルは久高島に帰れなかった。 |
157.ミャーク |
ササたちを石垣に囲まれた狩俣の集落に入れてくれた白髪白髭の老人は、女按司のマズマラーの夫のクマラパという明国の人だった。 |
158.漲水のウプンマ |
昨夜、目黒盛豊見親が開いてくれた歓迎の宴で遅くまでお酒を飲んでいたのに、宮古島に来て心が弾んでいるのか、翌朝、ササは早くに目が覚めた。まだ夜が明ける前で、外は薄暗かった。 |
159.池間島のウパルズ様 |
狩俣から小舟に乗ってササたちは池間島に向かった。クマラパは池間島の神様は苦手じゃと言って、行くのを渋っていたが、娘のタマミガに説得されて一緒に来てくれた。 |
160.上比屋のムマニャーズ |
女按司のマズマラーのお世話になって、村の人たちと一緒に楽しい酒盛りをして、狩俣で一泊したササたちは、翌日、クマラパとタマミガの案内で赤崎のウタキに向かった。 |
161.保良のマムヤ |
上比屋のムマニャーズの屋敷に泊まった翌朝、漲水のウプンマは娘が心配だと帰って行った。赤崎のウプンマは大丈夫と言って残り、ムマニャーズの孫娘のツキミガが一緒に行くと言った。 |
162.伊良部島のトゥム |
夕方になってしまったが、マムヤと別れて、ササたちは高腰グスクに向かった。赤崎のウプンマはアラウスのウタキの事を漲水のウプンマに知らせなければならないと言って帰って行った。 |
163.スタタンのボウ |
十日間、滞在したミャーク(宮古島)をあとにして、ササたちを乗せた愛洲次郎の船はイシャナギ島(石垣島)を目指していた。クマラパと娘のタマミガが一緒に来てくれた。 |
164.平久保按司 |
雨降りの天気が続いて、三日間、多良間島に滞在したササたちは島人たちに見送られて、イシャナギ島を目指した。於茂登岳のあるイシャナギ島は多良間島から見る事ができ、ミャークよりも近いような気がした。 |
165.ウムトゥ姫とマッサビ |
名蔵の女按司が出してくれた小舟に乗って、ササたちは名蔵に向かった。名蔵の海岸は干潟と湿地がずっと続いていた。見た事もない鳥がいっぱいいて、まるで、鳥の楽園のようだった。 |
166.神々の饗宴 |
ナルンガーラのウタキからマッサビの屋敷に戻ったササと安須森ヌルは、ツカサたちと一緒にお酒と料理を持ってウムトゥダギ(於茂登岳)の山頂に向かった。 |
167.化身 |
神様たちとの饗宴の翌朝、疲れ切ってウムトゥダギの山頂から下りて来たササたちは、ナルンガーラの屋敷に着くと倒れるように眠りに就いた。 |
168.ヤキー退治 |
ササ、安須森ヌル、シンシン、ナナ、クマラパとタマミガ、愛洲次郎と山伏のガンジュー、玻名グスクヌルと若ヌルたち、ミッチェとサユイ、ヤラブダギのツカサと崎枝のツカサ、総勢十八人がぞろぞろと屋良部岳に向かっていた。 |
169.タキドゥン島 |
スサノオは五日間も目覚める事なく寝込んでいたが、見事に快復して、豊玉姫と一緒に琉球に帰って行った。 |
170.ユーツンの滝 |
タキドゥン島(竹富島)から帰ったササたちは、名蔵に四日間滞在し、マッサビやブナシルに見送られて、クン島(西表島)を目指して船出した。ミッチェとサユイが一緒に行くと言って付いて来た。 |
171.ドゥナン島 |
ドゥナン島(与那国島)は思っていたよりも遠かった。天気がよくて波も穏やかだったが、風に恵まれなかった。ササは焦る事はないわと言ったが、ジルーは船乗りたちに艪を漕がせた。 |
172.ユウナ姫 |
ドゥナンバラ村はユウナ姫が造った一番古い村だった。ユウナの木に囲まれた広場の周りに、サンアイ村と同じような造りの家が建ち並んでいた。 |
173.苗代大親の肩の荷 |
ササたちが南の島を探しに船出した二日後、平田グスクのお祭りが行なわれた。お祭りに集まった誰もが、ササと安須森ヌルの噂をしていた。無事にミャークに着いただろうかとみんなが心配していた。 |
174.さらばヂャンサンフォン |
張三豊の送別の宴はやらなくても、三姉妹たち、旧港(パレンバン)のシーハイイェンたち、ジャワのスヒターたちの送別の宴はやらなければならなかった。 |
175.トゥイの旅立ち |
張三豊が去ってから六日後、首里の遊女屋『宇久真』に馬に乗った旅支度の女たちが訪ねていた。先代山南王妃のトゥイと三人の女子サムレーを率いたマアサだった。シタルーの一周忌を済ませたトゥイは、ナーサと約束していた旅に出た。 |
176.今帰仁での再会 |
五日間、奥間でのんびりと過ごしたトゥイたちはサタルーと一緒に今帰仁に向かっていた。奥間まで来たのだから、山北王の城下、今帰仁に行ってみたいとトゥイは思った。 |
177.アミーの娘 |
張三豊がいなくなって半月余りが過ぎた。何となく、琉球が静かになってしまったようだと尚巴志は感じていた。 |
178.婿入り川 |
十二月の初め、島尻大里ヌルと座波ヌルが島添大里グスクにやって来た。安須森ヌルは留守なのに、何の用だろうと尚巴志は門番と一緒に大御門に向かった。 |
179.クブラ村の南遊斎 |
ヤンバルの旅に出たトゥイ様が、三日間滞在した今帰仁をあとにして本部に向かっていた頃、ドゥナン島にいるササたちは、ダンヌ村からクブラ村に向かっていた。 |
180.仕合わせ |
ササたちはドゥナン島に一か月近く滞在した。六日間掛けて各村々に滞在したあと、サンアイ村に戻ったササたちは、ナウンニ村にいるムカラーを呼んで、愛洲ジルーの船をクブラの港に移動するように頼んだ。 |
181.ターカウ |
黒潮は思っていたよりもずっと恐ろしかった。船は揺れ続け、壊れてしまうのではないかと思うほど軋み続けた。若ヌルたちは真っ青な顔をして必死に祈りを捧げていた。 |
182.伝説の女海賊 |
熊野権現の広場から大通りを真っ直ぐ行くと、高い土塁で囲まれた唐人の町が見えた。水をたたえた堀に囲まれていて、堀に架かる橋の向こうにある門は開いていた。 |
183.龍と鳳凰 |
遊女屋に行って松景寺の和尚とお酒を飲んでいたササたちだったが、日が暮れると日本人町も唐人町も門が閉まってしまうとカオルに言われ、和尚とクマラパを遊女屋に残して唐人町に戻った。 |
184.トンド |
十二月七日、ササたちはアンアンの船と一緒にトンド王国に向かっていた。何度もトンドに行っているムカラーも、ターカウからトンドに行った事はなく、アンアンの船が先導してくれるので助かっていた。 |
185.山北王の進貢 |
島添大里グスクで島尻大里ヌルと出会って、どこかに行ってしまったマガーチが、首里の自宅に帰って来たのは三日後の事だった。浮島にはヤマトゥの商人たちが続々とやって来ていて、尚巴志も何かと忙しくて首里にいた。 |
186.二つの婚礼 |
山北王の使者たちを乗せた中山王の進貢船が船出した翌日、ようやく、ヤマトゥに行った交易船が帰って来た。同じ日にシンゴ、マグサ、早田六郎次郎の船も馬天浜に来たので忙しかった。 |
187.若夫婦たちの旅 |
マグルーとマウミ、ウニタルとマチルーの婚礼も無事に終わって、尚巴志とウニタキとンマムイは親戚となり、今まで以上に固い絆で結ばれた。 |
188.サハチの名は尚巴志 |
島添大里グスクのお祭りの前日の夕方、マグルー夫婦、ウニタル夫婦、シングルー夫婦、サングルー、福寿坊、カシマは無事に旅から帰って来た。婚礼の翌日、十六日に旅立って、十二日間の旅だった。 |
189.トンドの新春 |
琉球から遙か離れたトンド王国では、ササたちが新年を迎えていた。お正月といっても、トンドは琉球よりもずっと暖かかった。 |
190.パティローマ |
トンド王国に滞在した四か月はあっという間に過ぎて行った。都見物を楽しんだあと、ササたちはアンアンたちと一緒に川の上流にある大きな湖に行った。湖には王様の離宮があって、そこに滞在して舟遊びをして楽しんだ。 |
191.キキャ姫の遊戯 |
奄美大島の万屋に着いた湧川大主は機嫌がよかった。琉球に来ていた鬼界島の船を永良部島沖で沈める事に成功していた。 |
192.尚巴志の進貢 |
土砂降りだった雨もやんで、佐敷グスクではお祭りが始まっていた。馬天浜からシンゴたちも来ていて、山グスクに行っていた早田六郎次郎たちもマウシと一緒に来ていた。 |
193.ササの帰国 |
進貢船を送り出した二日後、首里の武術道場で武科挙が行なわれた。明国の制度を真似して、サムレーになりたい若者は誰でも受ける事ができた。 |
194.玉グスク |
那覇館での歓迎の宴の翌日、南の島の人たちとトンド王国のアンアンたちは安須森ヌルとササたちの先導で、隊列を組んで首里グスクへと行進した。沿道には小旗を振る人たちが大勢集まって、遠くから来た人たちを歓迎した。 |
195.サミガー大主の小刀 |
知念グスクに泊まったササたちは翌日、ヒューガに会うために浮島に向かった。うまい具合にヒューガは水軍のサムレー屋敷にいた。与那覇勢頭とフシマ按司が来ていて、ヒューガは絵図を広げて南の島の事を聞いていた。 |
196.奥間のミワ |
島添大里グスクで安須森ヌルの帰国祝いとタキドゥン按司たちの歓迎の宴を開いた次の日の夕方、ササたちがアンアンたちを連れて島添大里グスクにやって来た。ササは瀬織津姫様のガーラダマを手に入れたと言って大喜びしていた。 |
197.リーポー姫 |
安須森参詣から帰って来た安須森ヌルは、「ヤンバルのヌルたちもみんな参加してくれたのよ」と嬉しそうに尚巴志に言った。 |
198.他魯毎の冊封 |
慈恩寺が変わっていた。前回、慈恩寺に来たのは六月の初めで、クマラパたちを連れて来た時だった。二か月足らずのうちに、慈恩寺の隣りに、『南島庵』というお寺ができていて、南の島から来たヌルたちと首里の女子サムレーたちが武芸の稽古に励んでいた。 |
199.満月 |
八月十五日、首里グスクで冊封使を迎えて中秋の宴が催され、島添大里グスクでは十五夜の宴が催された。中秋の宴は馬天ヌルと安須森ヌルが中心になって行ない、十五夜の宴はサスカサと久高島の大里ヌルが中心になって行なった。 |
200.瀬織津姫 |
精進湖のほとりで焚き火を囲んで、ササたちは瀬織津姫様に出会えた感謝の気持ちを込めて酒盛りを始めた。酒盛りの前に、ササは富士山の大噴火で犠牲になった人たち、森の中で暮らしていた生き物たちのために鎮魂の曲を吹いた。 |
201.真名井御前 |
京都に着いたササたちは、三日後の夕方、箕面の大滝に来ていた。大滝の下に役行者が創建した瀧安寺があった。弁才天堂を中心に多くの僧坊が建ち並び、大勢の山伏がいた。 |
202.八倉姫と大£テ姫 |
高橋殿と御台所様のお陰で、浜の南宮の秘宝である宝珠をササたちは拝むことができた。宝珠は直径二寸弱の球形で、真ん中に一寸程の剣のような物が見えた。『剣珠』とも呼ばれていて、古くから歌や詩にも詠まれているという。 |
203.大物主 |
大粟神社から八倉比売神社に戻って、アイラ姫から父親のサルヒコの事を聞こうと思ったのに、アイラ姫はユンヌ姫と一緒に琉球に行ってしまっていた。幸いにトヨウケ姫がアキシノと一緒に残っていたので、ササはトヨウケ姫からサルヒコの事を聞いた。 |
204.重陽の宴 |
ササたちが生駒山で菊酒を飲みながら重陽の節句を祝っていた頃、琉球の首里グスクでは冊封使たちを呼んで、重陽の宴が行なわれていた。 |
205.王女たちの旅の空 |
ヒューガの船に乗ったリーポー姫たち一行は、夕方には無事に名護に到着した。浜辺に名護按司の弟の安和大主と妹のクチャが待機していて、船が近づいて来ると、ウミンチュたちに命じて小舟を出させた。 |
206.天罰 |
四月の敗戦の時、四十人もの戦死者を出してしまった湧川大主は悔しがって、マジニが止めるのも聞かずに、やけ酒を食らった。こんな惨めな敗戦は初めてだった。 |
207.大三島の伊予津姫 |
奄美大島を直撃して北上した台風は、九州に上陸して九州を縦断すると、周防の国、出雲の国を通って日本海に出て勢力を弱めた。ササたちがいる京都にも大雨は降ったが、被害が出るほどではなかった。 |
208.国頭御殿 |
山北王と会って、今帰仁の城下を見物したあと、リーポー姫たちは山北王が用意した船に乗って国頭グスクに行った。案内してくれたのは山北王の側室のクンだった。 |
209.南蛮船の帰国 |
十月二日、リーポー姫たちは油屋の船に乗って無事に浮島に帰って来た。今帰仁に帰ったテーラーがリュウインの家族を連れて一緒に乗っていた。 |
210.大義名分 |
先代山南王の命日に豊見グスクのお寺で、護国寺の僧たちと山南王のヌルたちによって法要が行なわれた。トゥイ様とマアサはいないが、子供たちや孫たちは皆集まって、冥福を祈った。 |
211.ナコータルー |
十一月の初め、島尻大里ヌルが無事に女の子を産んだ。跡継ぎができたと島尻大里ヌルは涙を流して喜んだ。何度も何度も、御先祖様の神様に感謝した。 |
212.志慶真のウトゥタル |
十二月になって、そろそろ湧川大主が鬼界島から帰って来るだろうとウニタキは今帰仁に向かった。その日、奥間のサタルーが国頭按司の材木を運んで浮島に来た。 |
213.湧川大主の憂鬱 |
ハルたちが屋嘉比のお婆と別れて、奥間に着いた頃、運天泊に鬼界島から帰って来た湧川大主の武装船と三隻の船が着いた。 |
214.ファイテとジルーク |
奥間のサタルーと一緒にヤンバルに行ったハルたちが無事に帰って来た。知らせを受けて、尚巴志が安須森ヌルの屋敷に行くと、シジマを囲んで、みんなが騒いでいた。 |
215.それぞれの新年 |
ファイテとジルークは島添大里に帰って来た。年が明けたら旅に出て、帰って来たら首里に移り、とりあえずは報恩寺の師匠として修行者たちを指導するという事に決まった。 |
216.奥間ヌルの決断 |
正月気分も治まって来た正月の十日、ファイテとミヨン、ジルークと女子サムレーのミカ、ウニタルとマチルーが旅に出て行った。南部を一回りしてから北に向かう予定だった。一行は目立たないように庶民の格好をしていた。 |
217.奥間炎上 |
仲宗根泊から三隻の船に乗って奥間沖に来た諸喜田大主が率いる兵たちは、小舟に乗って砂浜に上陸した。諸喜田大主は配下の仲尾之子に奥間村を偵察するように命じて、全員が上陸するのを待った。 |
218.李芸と再会 |
浮島にヤマトゥから帰って来た交易船、李芸を乗せた朝鮮船、ササたちを乗せた愛洲ジルーの船が着いて、馬天浜にシンゴ、マグサ、ルクルジルーの船が着いた。 |
219.須久名森 |
サムレー大将の田名親方と楽隊に先導されて、李芸と早田五郎左衛門は連れて来た役人や護衛兵と一緒に首里へと行進した。女子サムレーたちが、沿道の家々に朝鮮から使者が来たと触れ回ったので、小旗を振った人たちが李芸たちを歓迎した。 |
220.被慮人探し |
ササと安須森ヌルが須久名森の山頂で笛を吹いた翌日の夕方、首里の『まるずや』で四度目の戦評定が開かれた。安須森ヌルと一緒にササも加わっていた。奥間から帰って来たウニタキはサタルーを連れていた。 |
221.シネリキヨ |
中山王と山南王の進貢船が船出した日、ササたちは沢岻に向かっていた。馬天ヌルは沢岻ヌルを知らなかった。浦添ヌルも知らなかったし、アキシノ様に聞いても、真玉添で会って、一緒に与論島に逃げたけど、その後の事は知らないと言った。 |
222.東松田の若ヌル |
美浜島から勝連に戻ったササたちは、勝連若ヌルを連れて、東松田の若ヌルに会うために読谷山の喜名に向かった。 |
223.大禅寺 |
二月一日、ジクー寺の落慶供養が行なわれ、ジクー禅師によって、『大禅寺』と名付けられた。龍の彫刻がいくつもある立派な山門に、ジクー禅師が書いた『大禅寺』という扁額が掲げられ、本堂には新助が彫った釈迦如来)像が本尊として祀られた。 |
224.長老たちの首里見物 |
首里グスクの北、会同館の西側には赤木が生い茂った森があった。赤木を伐り倒して整地をして、そこに大きな穴を掘って大池を造り、庭園として整備する事に決まった。 |
225.祝い酒 |
ミーグスクでヤンバルの長老たちの歓迎の宴をしていた頃、島添大里グスクの一の曲輪の屋敷の二階で、尚巴志とウニタキが、キンタと真喜屋之子の話を肴に酒を飲んでいた。 |
226.見果てぬ夢 |
ウニタキはヤンバルの按司たちの書状を持って、真喜屋之子と奥間大親を連れて首里に行った。今後の作戦を思紹と練るために、尚巴志も一緒に行った。 |
227.悪者退治 |
昨日は雨降りだったが、今日は朝からいい天気で、島添大里グスクのお祭りに大勢の人たちが集まって来た。ミーグスクに滞在しているヤンバルの長老たちもマナビー夫婦と一緒にお祭りを楽しんだ。 |
228.志慶真ヌル |
庶民の格好に戻ったササたちは、朝早く勢理客村を発って、充分に気を付けながら今帰仁に向かった。 |
229.今帰仁のお祭り |
ササたちが乙羽山でマジムン退治をしていた頃、島添大里グスクに珍しい客が尚巴志を訪ねて来た。瀬長按司だった。 |
230.混乱の今帰仁 |
今帰仁でお祭りが最高潮の頃、島尻大里グスクではトゥイの母親ウニョンを偲ぶと称して、家族たちが集まっていた。トゥイの夢枕に母が出て来て、急遽、家族を呼び集めたのだった。 |
231.逃亡 |
運天泊に帰った湧川大主は武装船に積んである鉄炮の半分、六つをはずして、今帰仁グスクに運ぶようにサムレー大将のナグマサに命じると、そのまま馬にまたがって、玉グスク村に向かった。 |
232.出陣 |
首里グスクの石垣の上に『三つ巴』の旗がいくつも風になびいていた。法螺貝の音が鳴り響いて、西曲輪に武装した一千二百人の兵が整列した。 |
233.戦闘開始 |
四月六日の正午頃、一千五百の兵を率いて今帰仁に着いた尚巴志は城下を見て驚いた。すべてが焼け落ちた悲惨な焼け跡に驚いたが、それ以上に焼け跡に造られた陣地を見て驚いていた。 |
234.志慶真曲輪 |
外曲輪を攻め落とした日の朝、サグルー、ジルムイ、マウシ(護佐丸)、シラー、タクが率いる兵たちは、搦め手の志慶真御門に向かった。総大将はサグルーだった。 |
235.三の曲輪の激戦 |
外曲輪を奪い取った翌日の朝、尚巴志はサグルーたちが志慶真曲輪を攻め落としたとの知らせを受け、順調に行っていると満足そうにうなづいた。 |
236.クーイの若ヌル |
お祭りをクーイの若ヌルと楽しんだ攀安知は、武芸試合もうまく行って、強い若者たちを集められた事に満足した。さらに鍛えて、中山王を攻めるために瀬長島に送ろうと考えていた。 |
237.奇跡の復活 |
アキシノ様を助けるために、ササがいる島添大里グスクに向かった東松田の若ヌル、シンシン、ナナは、四月八日の夜、名護の木地屋の親方、ユシチのお世話になっていた。 |
238.今帰仁グスクに雪が降る |
三の曲輪の本陣の仮小屋で、尚巴志と懐機と苗代大親が今後の作戦を練っていた時、突然、不気味な音が鳴り響いたかと思うと大雨が降って来て、稲光と共に雷が鳴り響いた。 |
主要登場人物 |